Essay Vol.4 Designer Yukari Hotta
きっかけは1枚の写真だった。『 tree hugging』と題された、それは美しいフォルムのベンチが収まった写真。座部に小さな切り込みが入っており、スライドさせるとそこに優しい空間が生まれ、まるで樹の幹をぐるっと抱くかのようにベンチは形を変える。木漏れ日に目を細めながら、樹の緑にすっぽりと覆われて過ごす午後のひと時。座ってみたい、とこんなに強く思わせるベンチは今まで見たことがない。
それが3年前の出来事で、このベンチのデザイナーに会ってみたいと折に触れて思いつつも、時は無常に過ぎていった。しかしエッセイの連載を始めるにあたり、今こそデザイナーに実際会ってインタビューをしなければ、という強い衝動にかられ、私は一気にメールを書き、そして読み返しもせず送信してしまった。
恋文の返事を待つようになんとなくそわそわしている間、デザイナーのウェブサイト、www.yukarihotta.com を何度か訪れる。日本人女性だ。漢字ではどう書くのだろう。サイトには『Tree hugging』 の他にも作品がずらりと紹介されている。
例えば、『Chotto』 というなんとも愛らしい名前を持つ椅子。その名の通り、座部が規定のサイズよりchotto(ちょっと) はみ出している。
もしもこの椅子が蔦の這う中庭に面したカフェに置かれていたら。
そのはみ出た優しい空間に、女の人は華奢なビーズのバッグを無造作に載せるだろう。あるいはカフェラテの大きなマグカップ。もしくは恋人へのサプライズプレゼントを彼女からは見えぬよう、隠すようにそっと置くかもしれない。chotto の部分が持つ物語性の強さと、木が醸し出す温かみと、脚部のラインの美しさ。
『Chotto』 も大好きです・・・。そんなまるで小学生の作文のようなメール第2段を書こうかと迷い始めた矢先、受信トレイに新着メールが届いた。ミーティングの依頼を快く承諾下さるという、家具デザイナー堀田紫(ゆかり) さんご本人からのメールだ。Kødbyen で会いましょう、とお誘い下さった。
待ち合わせ場所はV1 Gallery。大人気のダイニングバー Karriere Bar の真横にあり、私も何度も足を運んだことのあるギャラリーだ。柔らかなブラウンの瞳が印象的な女性が出迎えて下さった。紫さんだった。
聞けば、このギャラリーの共同経営者の1人が紫さんのパートナー、Mikkel Grønnebæk 氏とのこと。V1 Gallery はKødbyen がコペンハーゲンの最もヒップなエリアになる前にいち早く移転して、選りすぐりのアーティストの作品を手がけるギャラリーとして名を馳せている。プロヴォカティヴなアート作品で、各メディアを大いに賑わせたこともしばしばある。
角のワインバーPate Pate に移動して、グラスを傾けながらお話を聞くことになった。
現在、Leif Jørgensen 率いる BS Architects のデザイナーとして活躍される紫さん。ファッション・インテリアショップの改装・改築・内装・ファーニシングを広く手がけており、クライアントは例えばヨーロッパ各地に支店を持つ Vila、カルト的人気を誇るセレクトショップ Storm、私もちょくちょく覘くおしゃれなインテリアショップ、 Hay など。
Leif Jørgensen デザインの Loop Stand Table はHay で取り扱っているので、もしかしたらご覧になられた方もいるかもしれない。とかく外国人の正規採用事情の厳しい昨今のデンマークで、紫さんはアクティブな建築事務所の正社員としてばりばりと活動されている。
Højskole で2セメスター学び、その後 Design Skolen Kolding に移りインダストリアルデザインを3年、そしてコペンハーゲンの Det Kongelige Danske Kunstakdemis Skoler 家具空間科で2年修練の末にマスターを取得。学生時代にインターンとして働き始めた BS Architects に請われ、デザイナーとして働き始めて現在に至る。正式に労働許可が下りるまでの間に、移民局に提出した膨大な量のドキュメントについては、改めて述べるまでもないだろう。
「これぐらいの資料を送りました」といたずらっぽく親指と人差し指で隙間を作って見せてくれたが、その厚みは一体何センチほどあっただろうか。
学生時代にのびのびと自分の創作活動に励んでいたのとは異なり、実際社会に出てみれば、クライアントに具体的な数字、期日を示され様々な制約のもとでベストを尽くさなければならない。しかし同時にそれは、クリエイターとしてまた違った緊張感と面白みがあるのではないだろうか。意のままに奔放にデザインすることと、型を与えられてその中で創造性と抑制を上手くあやしながらデザインすること。どちらも意欲を掻き立てられることに違いない。
家具のオーダーを受けて、無視できないのが輸送にかかるコストだと紫さんは言う。それゆえ、コンパクトにパッキングできる、組み立て式の家具をデザインすればそれだけ輸送コストが抑えられ、同じ予算の中でもっとよい素材を使ったものを製作することが可能だそうだ。
その話を聞いて、紫さんの作品の1つ、『Kile』を思い出す。それは組み立て式の棚で、金属のボルトではなく、淡いパステルブルーや濁りのないネイビーブルーに彩色された木片で枠を接続する構造になっている。転勤や引越しの多い方でも、これなら小さな箱に収めてどこにでも持っていくことが出来る。
彼女のパートナーMikkel はV1 Gallery の他に『Norse Projects』というファッションブランドも手がけている。紫さんはブランドと協力し、東日本大震災のためのチャリティーTシャツをデザインして、収益の全てを義援金として送っているそうだ。NY在住アーティスト、河合美咲さん、デンマークのアーティスト、HUSK MIT NAVN も紫さんたちのコンセプトに賛同し、デザイン提供を行っている。チャリティー物の製作・販売・送金までの過程がいかに大変かという内情を知る身として、ただただ本当にお疲れ様です、と頭が下がる思いだ。
長いまつげに縁取られた綺麗な目を輝かせて、紫さんは家具デザインの世界について丁寧に語ってくれる。いつの日か、紫さんが選んだ美しい木目の入った木材で、世界にたった一脚の椅子を自分のためにデザインしてもらいたい・・・。そんな風に思わせてくれるデザイナーとの出会いに感謝しつつ、私たちは別れを告げあった。テーブルにぽつんと残された、紫さんの白ワインのグラスの佇まいが美しかった。
赤い靴に琥珀の酒Vol.IV 赤い靴編 『堀田紫』
写真はhttp://www.yukarihotta.com/ より転載。