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November, 2014 Vol.2 2014年11月の記其の2

11月某日(日)

北欧の秋は短くどこまでも透徹で儚(はかな)い。

人が夢を見ると書いて、儚いと読むのか…。詩的要素に著しく欠如した私でさえ安い感傷的な詩人に仕立て上げてしまう、北欧の輝けるように美しい秋の日曜日。

日本で見ている受験生から送られてくる楽典(音楽の文法)の宿題を、添削する仕事で本日はスタート。私が仕切った期日ごとに、宿題を写真に撮ってメールで送付してもらっている。いま一度楽典を勉強し直す機会に恵まれ、本当にありがたい。学生時代、なぜあんなに嫌い抜いていたのだろう。

午後は、コペンハーゲン中の様々なイヴェントをオーガナイズしている友人に会いに行く。今日はフリーマーケットを開催しているとのことで、他の友人も誘って会場へ。

そのイヴェントオーガナイザーの友人は、今年2月に男の子を産んだ。彼女の出産予定日、私はちょうど日本からパリ経由でコペンハーゲンに戻る便に乗っていた。夜、疲れ果ててコペンの空港に着くと、なんとスイカのように大きなお腹の彼女が出口で大きく私に向かって手を振っているではないか。

どうも今日は生まれそうにないから、Erikoを迎えに来ることにしたと笑顔で言う彼女を、私は胸が詰まってなんだか口が聞けず、ただ強く抱きしめたものだ。

会場で、コーヒーとチョコレートケーキをお供に近況をアップデートしあう。彼女は先月から、月に1回分のイベントオーガナイズから得る収入をまるまる子供基金に寄付することに決めたそうだ。そんなに多額な寄付は出来ないけれどね・・・とほほ笑む彼女はまだ30になるかならずである。なかなか出来ることではない。

近々彼女にインタビューをして、日本語で1本記事にまとめ上げることを約束する。

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(photo by Rita Christina Biza♥︎ 背景のピアノで去年パフォーマンスをした)

掘り出し物を幾つか下げたまま、アート仲間とミーティング。突貫工事ではない、サステイナブルなアートフレームを構築していくため、私は仲間たちと何度も何度もミーティングを重ね、ブレがないか、同じ信念・美学をもって同方向に進んでいるかを確かめ合う。結局、人間同士が生み出すものなので、一緒に企画を遂行していく過程というのはそのまま、その人の人となりを学んでゆく過程でもある。

短いミーティングだったが、互いの琴線に確かに触れ合ったという静かな興奮に包まれながら、次の待ち合わせに急ぐ。

デンマークの伝統料理レストランでのある会に寄せて頂き、ああコペンハーゲンに住む同胞の方々というのはなんと滋味深くてあったかいんだろうと、クリスマスビールを飲みながらしみじみ感じ入る。食べたものがそのまま私を形作るように、素晴らしい人たちに会うことで、豊穣にあやかり、心に栄養を頂くことで人として潤っていくことが出来る。

実りの多い秋の1日であった。

11月某日(月)
ドラフトを書いただけで暫く放っておいたプログラムノートの校正に着手。昨夜、文学談義を楽しませて頂いたおかげで、ようやく重い腰を上げる気になった曇天の月曜の朝。

実はこのプログラムノート、いわく付きである。数ヶ月前にコペンハーゲンからアムステルダムに飛ぶショートフライトの中で、突如として何かが降臨。紙ナプキン4枚をフライトアテンダントから貰って一気に7つの物語を書き上げた。しかし、着いたアムスの空港で私は完全に放心してしまい、その4枚を空港のどこかに置き忘れてきてしまったのだ。

アムスから関西空港への飛行機に搭乗してから紙ナプキンの紛失にはたと気づき、私はシートベルトを付けたまま膝に突っ伏して慟哭した。

悲しみにくれながら日本までのフライト中に書き直しを試みたが、筆致に勢いとリズムが戻らず、そのまま今になるまで手をつけられずにいたのだ。

悲嘆の中で書きつけたメモを読み直すと、なるほど確かに筆致はイマイチ冴えない。しかし、紙ナプキン4枚を失くした私の慟哭がそこはかとなく透けてみえる点が、ちょっといい感じのような気もする(気のせいか)。

夢中で校正しているうちにあっという間にレッスンの時間になり、慌てて外に飛び出した。

そしてレッスン後、急いである場所へ向かう。

昨日、急遽ミニコンサートの話が持ち上がり、グランドピアノがあるヴェニューへと走るエリコ。

充分リハーサルに時間をかけてリサイタルを行うのも、今日のように前日にリクエストを受けて弾くというのも、音楽家に求められたタスクだと思う。今後、ゲリラコンサートをどんどん入れていこうと誓う。本当に、コペンハーゲンのお友達にはいろんなアングルから育てて貰っている。

Andersen Bakery様から、丸々1ホールのリンゴケーキを差し入れて頂き、大感激。こんなにココロときめくプレゼントがあろうか?コックリとした蜂蜜色のキューブ型のリンゴがコロコロと詰まったそれは美味しいケーキ。

数年前の夏、北シェランドのサマーハウスで数週間を過ごしたことがあった。庭のリンゴをもいで、生まれて数ヶ月の仔馬に1日1個あげに行っていたのを、ケーキを頂きながら思い出した。確か、エスメラルダという名前だったあの愛らしい仔。今はどうしているだろうか。

それにしても、リンゴという響きの愛らしさは他のフルーツには到底敵わないだろう。キウィ、ミカン、ブドウ、梨、バナナ・・・。

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(Andersen Bakeryのリンゴケーキ × グランドピアノ。黄金の秋色)

11月某日(火)
午前中は、来週のワークショップの準備。来年8、9月のスウェーデンでのアート・教育プロジェクトのため、コペンハーゲンで2回、スウェーデンのマルメで1回のワークショップが、次の2週間で開催されるのだ。

午後の一瞬の隙を突いて、お友達と再会。いつも素晴らしいタイミングでメールをくれる気遣いの人。メールで楽しいやりとりがあるので久々に会った気がしないけれど、実際会って話す楽しさといったら!

近々ボトルを空ける約束をして、コートとダウンジャケット越しのハグを交わす。そう、コペンハーゲンは秋を通り越して、もはや初冬の匂いに満ちている。

そして夜。友人たちが出演中の人工精神病棟空間でのパフォーマンスを体験しに、Valbyの指定された場所へ向かう。

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Ventestedet by  a Copenhagen based artistic collective SIGNA (photo: Arthur Köstler)

 

・・・人工精神病棟空間・・・ (私の造語です。対訳に困った末・・・)

19時シャープに始まり、終わるのは24時という、パフォーマーと参加者たちとの完全なるインターアクション型の5時間に渡るサイコパフォーマンスである。

プロットを大まかに説明すると、ヨーロッパ中に蔓延した病原体を保有した患者とその治療チーム(パフォーマー全25名)が住む精神病棟に、私たち参加者(50名定員)が病原体を保有した新患者として入院するという設定。建物1棟まるまるを病棟に仕立てられており、精神を冒されたそれぞれの病人室で我々参加者は彼らのくりなす狂気に巻き込まれてゆく。

治療チームは、患者に精神・肉体両面の治療を施し、私たち参加者を新たな入院患者として、徹底的にマニピュレイトしていくのだ。

参加者たちは、自分を狂気に冒されていると信じるも良し、ノーマルだと信じて徹底的に医療チームに反抗するも良し。我々の態度によって、パフォーマー側も一気に、またじわじわと態度を変えて打って出てくる。

その間の5時間、我々のスケジュールは徹底的に管理されており、参加者は医療チーム・古参の入院患者によって、次々と病室、診察室に誘導されていくシステム。

24時ぴったりに病棟を追い出され、一緒に行った友人3名と外で顔を見合わすや、私たちはセキを切ったように自分たちの経験を話し始めた。

私たちはそれぞれ違うグループに振り分けられていたため、この5時間に経験したことはかなり違う。

好き嫌いの多寡はあろう。しかし、完璧にオリジナルで完璧にオーガナイズされた、このような前衛アートフレームを創り出した原作者のプロフェッショナリティーに頭を垂れぬわけにはいかない。

このパフォーマンスについては改めて詳細をレポートしようと思う。

就寝午前4時。

11月某日(水)
昨夜の経験を反芻するべく、一緒に参加した友人の1人と午後からディスカッション。今日は完オフを取ろうと決めていたのに、結局熱烈に話し込んでしまい、夕食を食べながらさらに話しに話し、結局夜中の0時になってようやく解散。

母語でのやりとりでなくても、同じ言語を話していると感じられる仲間がいるのは本当に素晴らしい。逆に、母語で話しているのにコミュニケーションが取れない、通じ合えないケースが一番辛く感じる。

11月某日(木)
フォトグラファーの友人と写真の編集作業に入る。お昼時に会おう、簡単なランチを作るねとメールを送ってから急いでスーパーに行き、はたと気づいた。恥ずかしながら、コペンハーゲンに戻って以来初めてのスーパーでの買い物だ…。本当に、方々でご馳走になってばかりです。寄食させて下さっている皆さま、この場を借りて深くお礼申し上げます…。

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(おにぎりどうぞ  みそ汁もどうぞ…   エリコ感動)

炒飯と卵入りの中華スープ、肉じゃがとシンプルなグリーンサラダという折中献立を立てる。肉じゃがは余計だったが、何かをコトコト煮たい気分で材料を揃えてしまった。

ジャガイモの皮を剥いたり、タマネギを飴色に炒めたり、卵を溶いたりという行為が私は単純に好きだ。無我  ー 野菜や米や調味料に対して、ただただ無我でいられるのが無性に良いのだと思う。

食事を終え、写真と向き合う。写真編集は、本当にもう気の遠くなるような作業だ。コンセプトを確認しながら、全体・細部の色調をほんの少しずつ変えて、整えてゆく。行っては戻り、行っては戻り。

休憩なしで数時間仕事をして、とりあえず出来上がったものを一晩寝かせることにする。近付きすぎた作品をいったん突き離すのは、音楽家も小説家もやること。明日の朝、新たな眼でもう一度見てみようということになった。

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(フォトグラファーのMacのスクリーンセーバーが、私が演奏している最中の1枚だった。I am totally honored.)

夕食からの時間を数週間ぶりに1人で過ごす。机に向かって1つの企画に打ち込もうとしたが、どうにも考えがまとまらず。1時間ほどしてようやく諦めると、キッチンにお茶を飲みに行った。

調理台の上には、肉じゃが用に買ったタマネギの残りがたくさん転がっていた。ゆうに20個はある。私はふらふらと吸い寄せられるように調理台に立つと、昼に引き続き無我の境地に没入すべく、その20個を黙々と切り刻み始めた。

ハッと気づくと、全てのタマネギはフライパンに投入されており、心地よい夢から覚めた直後の余韻と同じ、優しい気持ちと芳ばしいタマネギの匂いがキッチンに充満していた。これでとびきり手間ひまかけたカレーを作ろう。何時間もかけて、トロトロの飴色に仕上げていき、赤ワインも2本使って更にコトコトしてゆく。これを、忙しい中おにぎりを作ってそっと置いていってくれたお友達に食べてもらおう。

オニオンスープもいいな…と邪(ヨコシマ)な思いもチラと掠めたが、私は究極のカレーを作るため、ひたすらタマネギを炒め続けた。

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(20個のタマネギと赤ワイン2本。綺麗なバーガンディ色になってきました)

11月某日(金)

ストックホルムに住む親友から、飛行機のチケットを送るから遊びにおいでとの電話。24歳の時にベルリンで彼に出会ってから、一体どれだけの笑いと涙を共有したことだろう。

彼抜きにして私のヨーロッパ生活は語れず、また彼抜きにしてアーティストとしての私はあり得ない。彼は芸術で生計を立てているわけではないが、私が知る最もアバンギャルドな美的感覚の持ち主の1人である。

私たちは短い期間一緒に住んでおり、その間に彼から学んだこと、一緒に経験したことはそれこそ無数にある。

・思考、好み、時間、悩み、秘密を100%の信頼のもと共有すること
・ワガママを許されること
・Karl-Marks-Alleeが美しいという感覚(旧東ベルリン地区の大通り。1949-1961年まで、Stalinalleeと呼ばれており、スターリン様式の巨大な灰色の団地が延々と続く)
・金曜の明け方までのクラブホッピング、土曜の恒例ホームパーティー
・湖でのムーンライトスウィミング
・上品な態度を崩さず、最も下品な冗談を言うこと

思いつくまま書き出してみるうちに、改めてあゝ私たちは若かったのだと思わず笑みがこぼれた。

午前・午後は、来デン中の音楽家と急遽リハーサルしたり、幾つかミーティングがあったりの日常。

夜。Hotel D’Angleterreのレストランで、アマゾネスたちとの恒例トリオディナー。出会ったのは4年前。私たち3人の共通点は… ない。ないな。共通項だらけだとずっと思っていたが、今箇条書きにしようと思ったら、何も浮かばなかった。

・・・1つあった。3者とも人生に異様な数のドラマ・・・。

いつもながら、興奮と、聞いたこともないような奇妙な体験談と、めちゃくちゃに飛びまくるノイロティックな会話満載の、美味しく楽しい夜でした。ありがとう。

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(私のコペンハーゲン最古参の友人たち)

11月某日(土)

今週はインプットの多い、有意義な1週間だった。いつもに比べたらアクティビティーは控えめだったが、今後の道標となるだろう様々な気付きがあり、何よりも出会った人たちとの心に沁み入る会話があり、一本勝負のような熱気と真剣の対話があった。

今日は1日籠もって練習、そして来週からのワークショップ準備に充てよう。

と思っていたら、オートクチュールデザイナーの友人から、Erikoにピッタリのドレスがあるから、是非見に来なさい、セール中よと電話。こんな誘惑に抗えることのできる人っているんだろうか。

3週目に続く・・・。

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(Love you sincerely.)

 

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