Concert Review Vol.1 “Madame Butterfly” at Operaen Store Scene
第1回目は Operaen Store Scene での『マダムバタフライ』 (プッチーニ) をレポート。
(photo:Det Kongelige Teater ホームページより)
2010年12月3日より上演開始ということで既にご覧になられた方もいらっしゃると思うが、実は去年私のコンサートで演出を手伝って下さったChristian Friedländer 氏が総合舞台演出をされるというので、個人的にとても楽しみにしていたオペラなのだが、ようやく行く機会に恵まれた。
日本は長崎が舞台のこのオペラ、「健気で耐える可憐な日本女性」 という印象を全世界に知らしめるに大きく貢献した作品である。数年前、イタリアの、とある町にコンサートで行った際、地元の女性に 「オー、ジャポネーゼ!マダムバタフラーイ!」 といきなり抱きしめられたことがある。都市部ではもはやそんなこともないだろうが、こんな風に美しき勘違いによって日本女性を熱く見つめてくれるマンマ達 がイタリアの田舎にはまだおられることを、申し訳なくも有り難く思った次第である。
さて、オペラは歌手たちの実力・美貌は言うに及ばず、衣装・演出も、その作品の出来を決定的にする重要なエレメント。私が学生生活を送ったベルリンは、世界でNo.1とも言われるほど前衛的で過激な演出で有名なのだが、ベルリンの3つのオペラ劇場の1つ、コミッシェオーパーでのマダムバタフライは見ものであった。
(photo: via http://j.mp/jZ1O2J)
どこかの場末のキャバレーのような設定。安いソファセットとけばけばしいネオン、それに身を持ち崩したスリップ姿のオネエサンたち。そして肝心の蝶 々さんは、丸々としていて (と言っては大変失礼だが)、愛の末に自刃するとはなかなか思えぬ健康的な歌手によって演じられた。
こんな男性のどこに惚れたのかと呆れるほど自堕落なピンカートンとのやり取りが1幕であり、2幕の頭にマダムバタフライはかの有名なアリア、”ある 晴れた日に” に挑む。そしてクライマックスに近づくと、彼女は手にしていたコカコーラの瓶をやにわに逆さにし、頭からドバドバと掛け始めた。
ポルノ、ヴァイオレンス、キッチュな演出に慣れきったすれっからしのベルリーナー達は 「またか」 といった感じで反応薄だったが、真面目な批評家 たちには噴飯ものだったのか、翌日には辛らつな批評が各紙の文化欄にデカデカと掲げられた (私はといえば、はじめから終わりまでただニヤニヤと意地悪く楽しんでいたのだが)。
前置きが長くなったが、Operaen でのマダムバタフライは前評判もよく、何枚かの写真でも衣装やメイキャップの素晴らしさが十分に伝わったし、何より Christian の演出家としての才能には前々から敬服していたので、今回ようやく行く機会を得て期待は高まるばかりだった。
幕が上がると、そこに6角形・7層のピラミッド型ひな壇が現れた。縦に長いオペラハウスでは、空間を立体的に利用するための舞台構築は最重要項目の1つ。そのひな壇の周りを北斎の富岳36景からの転写が何枚もほどこされた天幕が半円型にぐるりと取り巻く。
さて、ひな壇の効果が最大限に生かされるのが、蝶々さんが10数人の女性とともに初めて舞台に現れる場面。彼女たちがゆらゆらとかんざしを揺らしな がら、長い袂を引きずりつつ壇を上がっていくシーンは、まるで生きた5人官女達やお雛様がひな祭りの準備を始めたかのように艶やかで、幻惑とでもいうのだ ろうか、視覚から強い酔いがまわる感覚にしばし陥る。
ではコスチュームはどうであったか。これが、本当に素晴らしかった。日本人の私は、海外で “日本モノ” という謳い文句を見ると、途端に用心深くなる。これまで観劇してきたマダムバタフライでも、他のアジアの衣装と混同したマガイモノであったり、下品なテロ テロした化繊の長襦袢みたいな衣装で、がっかりすることが多かった。
だが、Operaen のプロダクションは、まるで Dior を手がけるジョン・ガリアーノのショーのように独創的で、こぼれるような色彩美、なおかつ “日本的” というはなはだ曖昧な、ほとんど感覚的な要素もしっかり組み込まれており、ビジュアル的な満足感はたっぷり得られる。
このオペラはご存知の方も多いと思うが、ほとんどポップメドレーのように誰もが知っているメロディーがそこかしこに散りばめられている。さくらさく ら、越後獅子、宮さん宮さん、星条旗よ永遠なれ、君が代。Wikipedia であらすじを調べてみると、”基本的には、アメリカ海軍士官ピンカートンに騙されて弄ばれた挙句に捨てられ、自殺する気の毒な大和撫子の話” と 身も蓋もない書き方で、思わず笑ってしまったが、 悲恋というのはドラマになりやすく、オペラには格好のテーマ。トスカ、椿姫、ラ・ボエーム、カルメンも然り。だが、たまには思う存分泣いてもいいではない か。
休憩を挟み、第2幕。前半とは打って変わり、蝶々さんは暗い色調の衣装を纏い、ピンカートンの再来日をひたすら待ちわびる。結婚の際は15歳だった ので、3年後の今は18歳か。舞台には和紙で作られた巨大なランプが吊るされている。あまり大きな声では言えないが、これだけで何百万というお金が制作費 として費やされたとか。このランプがクライマックスで衝撃的な効果を挙げることになるのだが、これは舞台を見てのお楽しみということで、ここでは控えるこ とにしよう。
2時間半のショーを堪能し、バックステージに行って出演していたミュージシャン達と談笑。つい5分前までバリトンの美声を轟かせていたアメリカ長崎 領事がうろうろと仲間を探していたり、蝶々さんの子供役の男の子が眠そうに両親に連れられ帰ってゆくのを横目で見るのも楽しい、活気溢れるバックステー ジ。ヴァイオリニストの友人が 「今日の蝶々さん役のソプラノ歌手、最後の瞬間には感極まって毎回泣くのよ」 と言っていたのが耳に残った。可憐でしかも強い蝶々さんを2時間半、何度も演じ抜くのは相当強靭な精神を持っていなければ難しいだろう。頭が下がる思い だ。
さて、第2回目は Det Kongelige Teater でのバレエ、”an Evening of Bellet” をレポートします。
牧村英里子