2月某日(土)
家を出てから既に25時間。飛行機はようやくカストロップ空港に向けて着陸態勢をとり始めた。関空発パリ経由コペン着。トランジットも含めると、このルートはひどく長くて疲れる。
関空で重量超過料金を課せられたスーツケースを受け取り、出口に向かう。出発前も日本で何かと忙しく、寝不足の日が続いていた。一刻も早く靴を脱ぎたい。そして、旅の際にいつもうっそりとつきまとうメランコリーをシャワーでざっと洗い流してしまいたい。
メトロの方へと歩きだすと突然、”Eriko! Eriko!!” と誰かが何度も私の名を呼ぶのが聞こえた。驚いて声の方向へ目をやると、今にも生まれそうなほど大きなお腹をした友人が笑顔で大きく手を振っている。
「びっくりした?サプライズで迎えにきちゃった。今夜はまだ生まれそうにないし」
私は驚きと嬉しさで彼女をぎゅっと抱きしめてから、大きなお腹に頬ずりした。居心地がよいのか、予定日を過ぎてもお腹に居座っているベイビーボーイ。生まれてきたら私はこの子を舐めるように可愛がるだろう。早く出ておいで。
空港の外に出ると、彼女のボーイフレンドも車の横で大きく手を振っているのが見えた。
2月某日(日)
カフェ「N」にて友人とブランチ。三角に切られた全粒粉のパンに、分厚いブリーを載せて齧りつく。カリッと香ばしいソーセージにツナと枝豆のサラダ、そして楽しいアカンパニー。これ以上の日曜日の朝は望めない。
右脳左脳どちらも非常に発達した人というのが稀にいるが、目の前に座る彼女がそうだ。いつも多角的なアングルから物事を見る目を持ち、私に刺激を与えてくれる。
彼女と別れて電車で次の目的地へ向かう途中、すれ違う人の波の中に懐かしい人の顔を見たような気がして思わず振り返った。
実は私にはひとつ深刻な病がある。人の顔を覚えられないという病気である。
付き合っていたボーイフレンドたちの顔でさえちゃんと覚えていない。匂い、声、感触、交わしたいくつもの会話の記憶から、私はその人をやっと「個」として認識するらしく、顔での識別は非常に難しい。
さっきすれ違った人もきっと人違いだ・・・。
電車は目的地に滑り込み、待ち合わせていた友人とお茶を共にする。この友人の存在の意味はとても大きい。この人がいたおかげで、私はコペンで待ち受けていたすべての不可能を可能に転換することが出来た気がする。
夜は長らく会えていなかった別のお友達からのお招きで、美味しい料理の饗応に与る。中近東のさまざまな豆や穀物を使ったサラダ、焼き目も美しい鴨肉。デザートのお手製マフィンには私の大好きなホワイトチョコレートが忍ばせてある。
時差ぼけのせいで酔いがまわるのも早く、帰りの電車で寝入ってしまい、3駅分引き返す。
2月某日(月)
朝から2件用事を済まし、3人にレッスンをしたところで、友人が車で私をピックアップにやってきた。これから大きなプロジェクトに参加するため、オーデンセへと向かうことになっている。
車中には4名。プロジェクトメンバーの1人である演出家と話が弾む。去年、偶然同じ日にドストエフスキーの「悪霊」を劇場で観劇していたことが分かり、さらに会話の枝葉が多方面に伸びてゆく。新しい出会い。楽しい。
2時間後、オーデンセに到着。山のような荷物をバンから運び出し、既に昨日から会場入りしていた仲間たちとの再会を喜び合う。12名のパフォーマー、演出家2名、ライトテクニシャン1名、サウンドエンジニア1名、フォトグラファー1名、映像アーティスト1名、そして生徒175名、教師22名によるビッグプロジェクト。今週は準備期間で、来週より2週間”Sisters Academy”という名の、新しい教育のあり方を問う、五感で感じる革新的なエデュケーションプログラムの始まりだ。パフォーマーたちはその間、学校に泊り込みである。
メンバーが取っておいてくれた夕食の残りを温めなおしながら、キッチンに集まって近況を報告し合う。私たちはそれぞれ部屋をあてがわれ、各々自分のキャラクターに合った装飾を施し、演出家、ライトテクニシャン、サウンドエンジニアーと協力しあって個性的な空間を創造してゆく。私はピアノが設置してあるグランドホールの一角を自分のタブローとし、明日から飾りつけ作業に入ることとなる。
この夜、眠りにつくのに1分とかからなかった。
2月某日(火)
オーデンセ2日目。朝食ミーティングで、来週月曜日のオープンまでの流れをざっと確認し合う。何ヶ月も前からワークショップやミーティングを繰り返してきた”Sisters Academy”プロジェクト。ようやく現地入りの運びとなり、みな真剣である。
朝食を終えると四散し、作業に入る。私は学校のピアノとオルガンを隅に配置し、オルガンの上に大きな鏡を置いた。楽譜を紅茶で染め、乾いたところでぐしゃぐしゃにしてピアノ上の壁に留め付けてゆく。床にも楽譜とレコードをばら撒いた。
(My little continent.)
ほかのパフォーマーたちも、部屋作りに余念がない。これらの部屋に生徒たちは自由に行き来することが出来て、パフォーマーたちとのインターアクションを体験することになる。
(Protector of the Archive’s room.)
午後は仲間の1人と入り用のものを求めて町に出る。オーデンセの町の、アンティークショップの多さに驚く。その中の1軒で、見たことのないほど気味の悪い赤ん坊の人形を見つけ、非常に心をそそられたが、値段を見て諦める。
それにしても、私はなぜこんなにも不気味なものや変なものに対して興が湧くのだろうか。人に対しても同じで、奇妙な人ほど面白い。そのせいで、私はいつも台風の目の中にいる。なんのことはない、すべてのドラマは自分が引き寄せているのである。
(Strange stuff which I desire.)
夕食後も延々作業が続く。ベッドに入った時間も覚えていない。
2月某日(水)
オーデンセ3日目。朝食ミーティングを終え、昨日に引き続き各々部屋で作業に入る。今日は演出家に加え、ライティングの専門家とも最終的にどう部屋を仕上げてゆくかを話し合い、足りないものはアンティークショップへ借り受けに行くことになっている。私も、椅子やサイドテーブルなどを演出家と一緒に選びに行った。
(Amputated left hand and some sheet music by Prokofiev.)
17時。朝からぶっ続けの作業を終了し、簡単にパッキングをすると仲間たちに挨拶してから学校を後にする。レッスン、リハーサル、打ち合わせなどが溜まっているため、一旦コペンハーゲンに戻らなければならない。オーデンセからコペンハーゲンまで、電車では1時間半。今夜はミュージシャンの友人宅で、ディナーを兼ねてのブレインストーミングの予定。
コペンに着くと、友人が最寄り駅まで迎えに来てくれていた。数日前からオッソ・ブッコをことこと煮て準備してくれていたという。彼女のほとんど痛ましいまでの芸術家特有の繊細さに触れると、私は血の滴るビフテキのような自分の屈強な精神を、申し訳ないようなありがたいような、名状し難い思いで見つめ直すことになる。
「透明な繊細」と「土着の屈強」はしかし妙に気が合い、それは愉快な晩餐となった。
音楽談義が続き2本目のワインのコルクを開けるころ、話は私たちの共通の友人の身の上へと移った。聞けばその友人は、近頃チンピラに因縁をつけられ大変なことになっているらしい。ダニのような人間というのはこの世に確かに存在するのだ。そしてそのダニは、善良な人間にしかつかないという特性を持っている。
警察も当てにならないらしく、どうしたらよいのか・・・。
私たちはその友人に何通もsmsを送った。問題には触れず、思いつく限りの面白いこと、下世話な話、ちょっぴりエロティックな冗談を書いて、思わず噴き出すような写真を何葉も送った。
夜が白み始めるまで私たちは話し続けた。
2月某日(木)
昨夜は結局2人でビールを数本、白ワインを2本、アイスランド産のウォッカをショットグラスに数杯空けてしまったが、今朝は二日酔いの気配もない。ただし、喋りすぎのせいか声が枯れてひどい声。電話をかけてきた友人など私の「もしもし」を聞いて、思わず電話を切ったくらいだ。
朝食後、数時間習してからプロジェクトを一緒に推進しているアーティストと打ち合わせ。そしてリハーサルへと向かう。今日は今度のコンサートで弾く室内楽の初合わせ。
無事終わると、ホテルNimbへと急ぐ。スウェーデンから来ている友人にどうしても会いたくて、お互いの一瞬の合間を縫ってほんの僅かな逢瀬が叶った。ロイヤルミルクティーで乾杯。
次に会えるのはストックホルムだろうか。中央駅を通り抜け、夕食会の待ち合わせ場所に歩を急がせながら、数え切れないほど訪れたストックホルムを思う。そこで出会った愛しい人たちー 老いた大女優の時代がかった立ち居振る舞い、8ヶ国語を自由に操るパパヘミングウェイのようにチャーミングな友人の父、ベルリン時代に出会った私の愛してやまない親友・・・。
Istedgadeを歩く。夜はなるほど猥雑な雰囲気だが活気がある。早朝のそれのように、どうしようもないほどのやるせない哀しみは漂っていない(Istedgadeは娼婦が夜客を取るために立つ)。足早に通り過ぎると、あるレストランの前で、お友達がこぼれるような大きな笑顔で手を振っているのが見えた。少し迷っていた私のために、外で待っていて下さったよう。なんて優しい。本当にありがたい。
(My very dear friend from Sverige!)
淑女4名、殿方2名による楽しい夕食会の始まり。
2月某日(金)
午前中はSisters Academyに必要なものを買出しに街へ。私は”Chain Hands Pianist”というキャスト名で、文字通りチェーンが私のトークンである。工具屋に行き、美しい金銀のチェーンを4種類も買ってしまう。2m×4本。渡された袋はずしりと重い。
アカデミー開催中のコスチュームについて、未だ明確なイメージが湧かず、暫く考えた末、スタイリストの友人にアドヴァイスを貰おうと思い立つ。電話してみると運の良いことに時間があるとのこと。オフィスの前でベルを鳴らす。
彼女は私が最も美的感覚を兼ね備えていると思う人の一人で、話を聞くや否や、山のようなアイディアを噴出させ、どんどんメモに書き留めては私に渡す。美のバプタイズを受ける私。そればかりか、オフィスに散乱している布やパーツ、細い繊細な鎖を使って装飾品まで即興で創作してくれた。
5日分のコスチュームの目処が立ち、私は何度もお礼を言って彼女のオフィスを出た。そして次の待ち合わせに急ぐ。深く慕っているお友達との楽しいひとときが待っているのだ。
チーズケーキの専門店で、シトロンフロマージュとブルーベリーチーズケーキを頼み、仲良くシェアする。
このお友達が今までくれたもの ー 手作りのジャム、丹精の紫蘇の葉、郷里の美味しいおつけもの、お手製のフレンチ料理カスレ、ショパンのチョコレート、秘蔵のタイ料理レシピ、日本への長距離電話、たくさんの温かいメッセージ、そしてカフェでの大笑いの時間・・・。私の大事な大事なお友達。
名残りおしかったが、ピアノの練習が残っていたので立ち上がり、また今度ねとハグし合う。交わした会話を反芻しながら練習場所へと向かった。
練習を終えてから、ガールズ2人に誘われてカクテルを飲みに出る。離婚調停中の有名な某政治家が私の真横のテーブルで女性とデートしている。
デンマークだ、ここは。
2月某日(土)
朝、香ばしいパンケーキの焼ける匂いで目が覚める。昨夜は結局友人宅へ流れ、そのまま泊り込んだらしい(記憶があいまい)。
キッチンを覗くと、kimonoガウン姿の友人がフライパン片手に、おはよう!と笑顔を向けた。
日本で買ったという藍色の大皿に、黄金色のパンケーキが山積みされている。テーブルには、ホイップクリームや栗のペースト、メープルシロップ、タイからのココナッツペースト、フルーツなどが所狭しと並べられ、好きなものをパンケーキにのせて、くるくる丸めていただく。祖母、母、彼女と3代に渡って伝わる、土曜日の朝の甘い習慣。
しばらく雑談し、来週の予定などを確認しあったあと、彼女に暇を告げ、Torvehallerneへ。先に到着して窓辺に座って目薬を差していると、ほっそりと長い足とキュッと締まった美しい足首が視界に入った。ふくらはぎも綺麗だなと目をぱちぱちさせながらその足の持ち主を見ると、待ち人来る。友人の彼女だった。人の足に恍惚としながら見惚れるなど、私はなかなか不埒な人間のようである。
Fish n’ Chipsをつまみながら、私たちはしみじみと語る。朝から油モノを一緒に食べてくれる女ともだち。非常に稀有な存在。語っているうちに、内に溜まっていた澱(おり)とFish n’ Chipsの油がともに溶けて浄化されてゆくような気持ちになってゆく。
いつも笑いと気遣いをありがとう。貴女。
午後は練習、そして音楽家とプログラムについての話し合い。それから、用事で友人宅に寄らせてもらったらちょうど夕食時だったようで、ローストビーフをご馳走して頂いた。私はラッキーバスタード。
2月某日(日)
朝早く、デンマーク人のお友達一家に日本からのお土産を渡しに行く。上質のお抹茶と茶筅、茶さじのセット。8歳と5歳の子供も加わって、みんなでお茶の真似事をしてみる。案外器用に茶せんを操る子供たち。
下の男の子が私の膝に這い登って来て、「エリコはスーパークール。大好きー」と照れ笑いに身をくねらせながら囁いたかと思ったら、ばっと廊下に駆けて行った。
この日のこの光景を、この異文化の体験を、子供たちは大人になってふと思い出す日は来るのだろうか。
お抹茶を立てた茶碗は私の私物で、今夜オーデンセに持って行かなければならない。そう断ると友人は綺麗に洗ってくれ、割れないように箱に入れて渡してくれた。そして、「今夜オーデンセへ向かう電車の中で、この箱を開けてみて」とウィンクする。
多方面に向けて感性を育てている生徒とのレッスンと個人練習、そしてリハーサルを終えて時計を見ると、予約してある電車の発車まであと20分しかない。駅まで走りに走って電車に飛び乗った。ああ、間に合ってよかった。荒い息を抑えるのに暫く時間がかかった。
ひとごこちついたところで、自分の空腹に気づく。今日はランチを取る時間がなかった。向こうに着くのも遅いし、私の分の食事はもうないかもしれない・・・。空腹と不安感と疲労で少し弱気になったところで、ふと友人の言葉を思い出した。
箱を開けてみて・・・
言われたとおり茶碗の入った箱を開けてみると、そこに手作りのキャロットケーキがたっぷりのクリームとともに入っていた。可愛い赤いスプーンまで添えられていた。
ふと胸が熱くなって、慌てて窓の方に目をやる。
(Handmade carrot cake in my green tea cup. It saved my life.)
2月某日(月)
昨夜はオーデンセに到着後、夜中の2時まで自分に与えられた部屋で作業に没頭。今朝は5時45分起き。疲れた体に鞭打ち、化粧にかかった。
一面にビーズ刺繍が施されたブラックドレスに、ピンクのフェザーが縫い付けられた、恐ろしく人目を引くケープを羽織る。金鎖のヘッドドレスを着け、5連のパールを首にグルグル巻き、指には12のデザインリング。足には10cmヒールのエナメルスティレット。まるで気のふれた男爵夫人のような装いだが、仕方がない。過剰であるというのが、自らに課したタスクであるのだから。
(My cabriole leg stilettos and medusa masque)
7時半。果たして登校してきた175人の生徒と22人の教師たちは、奇異の目でこわごわと私に視線を向けてくる。
しかし、奇異なのは私だけではない。ほか11人のパフォーマーたちも、それぞれ思い思いのコスチュームに身を包んでいる。1人のパフォーマーなど、もともと185cmの長身なのだが、そこに15cmヒールを履き、全身ブラックのキャットスーツを纏っている。2mになんなんとする体をゆらゆらさせながら歩くさまは、さながら異界からの使者のようで、朝から完全にホラーである。
我らがシスターが”Sisters Academy”開校を高らかにマニュフェストする。校旗が下ろされ、代わりに”Sisters Academy”のロゴが入った旗が真っ青な空に舞い上がった。
(Our sister. A founder of Sisters Academy and a lady gifted with both intelligence and beauty.Photo by Diana Lindhardt))
朝の集いが終わると、授業開始。私は早速音楽クラスへの参加を求められ、即興パフォーマンスを始める。1つのテーマを元にしてバリエーションを作り、テーマがどう展開していくかを生徒に弾いてみせたりもする。ソフトばかりでもなぁ、ハードもなくては・・・と、爆音を炸裂させた即興も弾いてみせたら、どうやら後ろでPolitiken(新聞社)のジャーナリストが聴いていたようで、翌日のPolitikenの中で記事になっていた。
(記事はコチラ:http://politiken.dk/kultur/kunst/ECE2217920/dystre-soestre-skubber-laerere-og-elever-ud-over-graensen/)
12時に揃ってランチミーティング。Sisters Academy開催中、私たちパフォーマーはナイフ・フォークの使用は禁止されており、手づかみで食べなければならない。豚肉のオーブン焼きも、魚のバターソテーも、チリコンカーンもサラダもライスも、全部手づかみ。よりsensuous(感覚的)であることを啓蒙する目的。しかし、チリコンカーンのスプーン無しがこんなに辛いとは。食べども食べども永遠にお皿から無くならない。
午後。生徒たちは少し戸惑いながらも、授業の合間にいろんな部屋を覗いてゆく。演劇のクラスでは、私のピアノに合わせて生徒たちが様々な動きを展開していく。
夕方。ミニコンサートを開くと、授業を終えた生徒たちがバラバラと集まってきた。私のピアノ椅子の真横に座って、私の呼吸を感じている子もいる。最後はリクエストに答える形で、彼らの弾いてほしい曲を順々に弾いていくと、目を輝かせて喜んでくれる。
(Students listening to my performance. Photo by Diana Lindhardt)
17時。閉校の時間だが、生徒は立ち去りがたいようでなんとなくグランドホールに残っている。18時まで居残りを許し、やっと初日は幕を閉じた。
19時。メンバー全員が揃って夕食。もちろん手づかみ。チキンのバター焼きと苦闘を繰り広げる。今日の報告と、明日の予定を確認。かなりの数のメディアが動き出しており、私は明日やってくるP2の誘導を任される。
それぞれ極度にインテンシブな1日を過ごしたようで、頭痛発症者が続出。日本から持ってきていた頭痛薬をみんなで仲良く(?)飲み、明日の準備をしてから横になった。アラームを午前6時に設定しなければならないのが忌々しい。私は夜行性動物なのに。
2月某日(火)~某日(木)
初日は好奇心と戸惑い、シャイなどが入り混じった表情を見せていた生徒たちだが、2日目からはかなりアクティヴに生徒の方から率先して交流してくるようになった。
スクールナースのところへヒーリングに行く者、サイコマジシャン(プロの精神科医)にタロットカードを視てもらいに行く者、ガーデナーと自然について話す者、我らがリーダー、シスターに自分の受けている授業について話に行く者・・・。
(Our Psycho Magician. Photo by Diana Lindhardt)
(パフォーマー紹介はコチラ:http://www.erikomakimura.com/2014/03/photo-gallery-%ef%bd%9esisters-academy%ef%bd%9e-vol-1-photos-by-diana-lindhardt/
私の元にもたくさんの学生がやってくる。この学校は音楽、芸術、演劇に力を入れているので、ピアノを弾ける生徒もデンマークの他の学校に比べたら多い。即興に付き合ったり、詩のクラスの生徒の朗読に音楽をつけたり。辛いことがあり過ぎて、音楽に癒しを求めに来る生徒もいる。私が弾いている間、目を閉じてひっそり涙をこぼす生徒もいる。
(Playing and playing… until the candles burn out.)
授業の間を縫って、雑誌やテレビ、ラジオの取材も多い。11時5分には恒例のパフォーマーと教師たちのミーティング。12時にランチミーティング。午後も常に人に囲まれており、夕食どきまでオンゴーイング。
夕食は19時で、そこで毎朝行われる朝礼で何をするかについて話し合う。毎日日替わりでテーマがあり、ある日のキーワードは”unknown”。パフォーマーは目を布で覆い、何かを求めてさ迷い歩く。何かとは、個性かもしれないし、失ってしまった希望、夢かもしれない。絶望かもしれない。下のリンクは、木曜日の朝のリーチュアルの模様。
http://politiken.dk/poltv/nyheder/kultur/ECE2225349/elever-goer-store-oejne-til-roegfyldt-morgensamling/
パフォーマー間にも強い連帯感が生まれ始め、夕食後の交流のひと時が毎日の楽しみとなる。飲み物がアップルジュースしかないため、私たちは毎晩学校を抜け出して、スーパーにワインを買いに出かける。持ち帰って、中庭でコルクを開ける楽しさ。
お互いのプライベートは殆ど知らないまま共同生活が始まったが、みんな驚くほど素敵な人たちで、ありとあらゆる話に花が咲く。水曜日の晩はパラドクスについて盛り上がった。1人のパフォーマーとは共通点が多く、私たちの特徴として、インテレクチュアルな人物が好物なくせに、いざ話してみると大半のインテリゲンチャが「知的自慰行為(intellectual musterbation)」を行っているように思えて気が滅入る、という点が上がった。嗚呼、パラドクス。本の虫だった人の持つ、典型的な現象である。
疲れているし、次の日の講義の準備もあるのに、みんなとの交流が面白く、就寝時間がどんどん遅くなるという日々。
(Dear Psycho magician,tell me my fortune!)
2月某日(金)
“Sisters Academy”オープンハウス。そして私にとっては最終日。アカデミーは来週も続行されるが、私は日本でのリサイタルのため、今週のみの参加となっていたのだ。
文化省や大学機関、各雑誌社のエディターなど、何百人の重要なゲストたちがやって来る。それと並行して、私は音楽のクラスでの演奏、さらに”discipline(自己を鍛える)” についての講義を半時間ほどして欲しいと頼まれている。合間合間に詩のクラスの生徒や美術のクラスの生徒によるインタビューもあり、ランチを取る暇もないまま仕事に追いまくられる。日本の庭についてのレクチャーも頼まれた。去年訪れた竜安寺と大徳寺についての知識をありったけかき集める。私は思うのだが、雑学ほど人を助けるものはないのではあるまいか。マーラーの第5交響曲について専門的な知識があったところで、一体何になるのだ・・・。
午後4時、最後のゲストが去るや、私はピアノ椅子に崩れ落ちた。ほかのパフォーマーもピアノの周りに倒れこみ、死んだように横たわっている。Sisters Academy1週目が幕を閉じた。まったくなんという日々だったのだろう。
やがて一人のパフォーマーが私のドレスの裾を引っ張って言った。ショパンを弾いてくれないか。
息をするのも苦しいほど疲れていたが、暫く目をつぶって呼吸を整えると、ワルツを引き始めた。続けてマズルカ、バラード、またワルツに戻って立て続けに3曲、雨だれ、ポロネーズ・・・。
小1時間も弾いていただろうか。最後の1音を弾き終わると、しばらく静寂が私たちを包んだ。やがて、みなはゆっくり起き上がり、ありがとうとでも言うように、私に優しい微笑みを向ける。自分自身も何か憑き物が落ちたような気持ち。自らが弾く行為によってカタルシスを感じるというのもそうそうないことだ。よほど疲れていたのか。
軽く食事を取ると、それぞれ車に分乗し、一路コペンハーゲンへ向かう。車内ではみんな言葉少なだった。
2時間後、私は呆然と車から降りた。
体は鉛のように重いのに、神経だけは冴え渡っていてすぐに眠れそうにない。友人からちょうど連絡も入ったことなので、私たちは連れ立ってワインバー、Bibendumへ向かった。1杯のはずが、2杯、3杯とグラスを傾けてゆく。下界と閉ざされていた5日間のあとのシャンパンが、すごい勢いで細胞の中に吸収されてゆく。細胞の1つ1つが快哉の雄叫びを上げている。
帰宅してお風呂に湯を溜める。酔いのせいで手元が狂い、大ボトル半分もの入浴剤をバスタブにぶちまけてしまった。バスルーム中、天井に届きそうなほど泡だらけになり、私を慌てさせた。
3月某日(土)
7時起床。這うようにしてベッドから出て、キッチンに直行。エスプレッソマシーンで立て続けに2杯カプチーノを淹れ、一息つく。朝9時からリハーサルの予定が入っており、ぐずぐずしていられない。場所はFrederiksberg Haveに位置する Møstings Hus。目の前に鴨がたくさん泳ぐ小さな池の広がる、とてもチャーミングな建物だ。明日はここでコンサート。
( Møstings Hus)
つつがなくリハを終え、街中でデザイナーとのクイックランチミーティングを済ますと、レッスン場所に直行する。非常に聡明なハイティーンの彼女との、年齢を超えた交流を私はいつも心待ちにしているのだ。
今回もまた深く長く話し込んでしまった。話し足りない心地がしたが、今夜はもう1つ約束がある。電車で移動。
移動。移動。移動。
そう、ここ10年、私はいつもいつも移動している。車で1日1,500km移動したこともある。オーストリア、スウェーデン、ドイツと1日で移動したこともある。練習以外の時間で、じっとしていた時などあったためしがないのではないか。
待ち合わせ場所のレストランに行くと、友人が手を上げて合図を送ってきた。優待券があるから、とディナーに招待して頂いているのだ。この1週間、プロジェクト期間中の食生活は非常に乏しかった。どの料理も感動的に美味しい。西洋ワサビがピリッと効いたスピナートとケールのソテーが気に入った。野菜も私の食生活から長らく欠乏していた。
土曜の夜というので、知り合いも何人か見受けられる。彼らと短い挨拶を交わしたり、軽く手を振ったりしているうちに、ふと「一期一会」というのは英語でなんというのだろうという疑問が頭をよぎった。携帯で調べてみると、 “for this time only”, “one chance in a lifetime”, “treasure every meeting for it will never recur”とある。どれも少しずつ違うように思うが、友人にその言葉の意味を教える。茶道における1つの心理、境地だと。
楽しい時間を家族や友人たちと過ごしたあとはいつも、私は生きているのではなく生かされているのだと、帰宅して暫し鏡の中の自分を見つめる。
3月某日(日)
コンサートの日。朝8時に覚醒。体が墓石のごとく硬直し、果てしなくだるい。死んだ鯖になったような気分だ。
このまま横たわっていたら私は本当に腐乱し始めていただろう。のろのろと体を起こし、バスルームの扉を閉める。たっぷり湯を張り、その中へぶくぶくと頭を沈めてみる。死んだ鯖から、死にかけの鯖くらいにまで気分が回復しところで湯から上がり、キッチンで紅茶を淹れると深いため息が漏れた。
しかし、血の気のない顔に化粧をし、昨日選んでおいた20年代風のブラックドレスを着て、気に入りのピアスを留め付ける頃には、死にかけの鯖は元気のない秋刀魚くらいには活力を取り戻して、コンサート会場へと向かった。11時半開演。ありがたいことに、会場は満員御礼。
数年会っていなかった友人がコンサートを聴きに来てくれたため、自分の番が終わると私たちはコーヒーハウスへ足を向けた。近況を報告しあう。彼はコペンハーゲンに数々の旋風を巻き起こした、知る人ぞ知る伝説の男である。その伝説は今も人々の口から口へと語り継がれている。ノーリミット、ノーコントロール。でも、私は彼が好きだ。果てしない探究心と好奇心が、彼をいろんな狂気へと走らせるだけだ。
彼と別れると、音楽家たちとの慰労ランチの場所へ向かい、楽しいひととき。そして次はレッスン場所へと走り、2人にピアノのレッスン。
このあたりで、少し動悸がし始めた。明日、また日本へのロングフライトが待っているのに、そして何一つパッキングしていないのに、私はこれから友人の参加するコンサートを聴きに行かねばならないのだ。
ゲストリストに名前を載せてくれている彼女の厚意を無駄にするわけにはいかない。その上、メインアーティストは私が愛するドイツのバンド、Einsturzende Neubautenのボーカル、Blixa Bargeldなのだ。
丹田にぐっと力を込めると、肩がツンと張ったミニドレスに着替え、髪をブラッシングし、新しいストッキングの包みを開けて取り出した。リップペンシルで縁を取り、クリスマスプレゼントに親友から貰った真っ赤なシャネルルージュを塗る。女にも武装が必要な時がある。
会場に着くと、たくさんの知った顔があり、来てよかったと心から思う。コンサートのキュレーターもお世話になっている人で、近況を報告し合った。
コンサートはとてもよかった。Bargeldのマニック性、フリーキーなカリスマ性は、虜になる。毒々しい男。
(Blixa Bargeld and Messer Quvartetten)
帰ったら夜中の0時。それからパッキングし、気を失ったか突然眠りに落ちたかのどちらかの現象が私を襲った。
3月某日(月)
再び飛行機の中。日本では2、3のコンサートが私を待っている。そのあとはコペンハーゲンでソロリサイタル。去年、2014年は少しペースを落とそうと決めていたのに、なんなのだろう。休息という贅沢はまだまだ許されていないらしい。
日本に着いたら、まずは眠ろう。赤ん坊のように1日中眠るのだ。初日に空港まで迎えに来てくれた友人は、あのあと数日後に元気で可愛い男の子を産んだ。ベイビーMもミルクを飲む以外は1日すやすや眠っているだろう。
次にコペンハーゲンに戻って真っ先にすること ー ベイビーMとそのママ、パパに逢いに行く。
Sisters Academyに関するメディア掲載
【Politiken.dk】
http://politiken.dk/kultur/ECE2207627/gymnasie-skole-i-odense-gaar-med-i-ekstremt-eksperiment/
http://politiken.dk/kultur/kunst/ECE2217920/dystre-soestre-skubber-laerere-og-elever-ud-over-graensen/
http://politiken.dk/kultur/ECE2230946/elever-skriver-takkebreve-til-skole-performere/
http://politiken.dk/kultur/ECE2225203/laererhjerte-danser-af-glaede-over-eksperiment-i-odense/
【Politiken.dk video】
Our morning ritual here: http://politiken.dk/poltv/nyheder/kultur/ECE2225349/elever-goer-store-oejne-til-roegfyldt-morgensamling/
http://politiken.dk/poltv/nyheder/kultur/ECE2213081/sisters-academy-vil-inspirere-morgendagens-mindset/
【Kopenhagen.dk】
http://kopenhagen.dk/no_cache/magasin/magazine-single/article/sisters-academy-an-aesthetic-educational-system/?fb_action_ids=650294331684755&fb_action_types=og.likes&fb_source=feed_opengraph&action_object_map=%7B%22650294331684755%22%3A257632424403807%7D&action_type_map=%7B%22650294331684755%22%3A%22og.likes%22%7D&action_ref_map=%5B%5D
【sistersacademy.dk】
http://www.facebook.com/l.php?u=http%3A%2F%2Fsistersacademy.dk%2Fpress%2F&h=MAQEa_1wY
家を出てから既に25時間。飛行機はようやくカストロップ空港に向けて着陸態勢をとり始めた。
関空発パリ経由コペン着。トランジットも含めると、このルートはひどく長くて疲れる。
関空で重量超過料金を課せられたスーツケースを受け取り、出口に向かう。出発前も日本で何かと忙しく、寝不足の日が続いていた。一刻も早く靴を脱ぎたい。そして、旅の際にいつもうっそりとつきまとうメランコリーをシャワーでざっと洗い流してしまいたい。
メトロの方へと歩きだすと突然、”Eriko! Eriko!!” と誰かが何度も私の名を呼ぶのが聞こえた。驚いて声の方向へ目をやると、今にも生まれそうなほど大きなお腹をした友人が笑顔で大きく手を振っている。
「びっくりした?サプライズで迎えにきちゃった。今夜はまだ生まれそうにないし」
私は驚きと嬉しさで彼女をぎゅっと抱きしめてから、大きなお腹に頬ずりした。生まれてきたら私はこの子を舐めるように可愛がるだろう。居心地がよいのか、予定日を過ぎてもお腹に居座っているベイビーボーイ。早く出ておいで。
外に出ると、彼女のボーイフレンドも車の横で大きく手を振っているのが見えた。