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「七つの大罪」Vol.3 嫉妬編 プログラムノート其の1

F. ショパン: ノクターン第8番 変ニ長調 Op.27-2

1837年7月7日、イギリス旅行に対するショパンの査証(ビザ) が下りた。

その査証を見るともなしに眺めながら、ショパンは額にかかる前髪を物憂げに搔きあげて、3度ほど力のない空咳をした。

年齢: 26歳、身長: 170cm、髪: ブロンド、額: ノーマル、眉毛: ブロンド、瞳: 灰青色、鼻: ノーマル、髭: ブロンド、顎: 丸型、顔: 卵型、肌: 白色

付け加えて言うなら、体重は45kgであった。

他人に自分はこう映るのか、とショパンは自嘲して笑った。この顔が卵型とは!

そして、これだけの身体的特徴を問うておきながら、健康状態についての質問がないのも笑止に耐えなかった。

 

彼の家系は当時の死病である肺結核に取り憑かれていた。ショパンが愛してやまなかった妹のエミリアも14歳の幼さでその病に命を奪われていたし、ショパン自身はその病に罹っていることを断固認めようとしなかったが、絶え間ない空咳は止めようがなかった。

ショパンは健康を羨んだ。もっと正確に言えば、健康な人々を妬んだ。例えば、パリで自分と音楽家としての人気を二分している1歳歳下のフランツ・リストの強靭な肉体と体力を。

ショパンがこれから9年の長きに渡って愛憎の関係を持つことになるジョルジュ・サンド夫人も頑健であった。彼女はショパンより7歳も年長であるにも関わらず、彼の方が先に死ぬことを確実に予期してよくこう囁いた。

「貴方が死ぬ時は、私の腕の中よ」

サンド夫人がこう言いながら彼の額に唇を押し付ける時、ショパンはほとんど歓喜と呼んでよいセンセーションに襲われた。彼女のまろやかな母性そのものの腕の中で死ぬために生まれてきたのだと、恍惚に浸るときが何よりの幸福であった。

ジョルジュ・サンドが予期した通り、彼は1849年、39歳の若さでこの世から去ることになる。しかし、死に場所は彼女が固く約束した腕の中ではなく、パリの自宅のベッドの中であった。

サンド夫人の姿は臨終の席にはなかった。近しい友人たちが涙を堪えながら彼の周りを囲んでいた。

「あれほど強く約束したのに!」

激しく喀血しながら、ショパンはベッドの中でのたうった。

意識は明瞭であった。自分の命は風前の灯火であることも分かっていた。この忌むべき死病に取り憑かれた短い命。健康に焦がれ続けた日々。

しかし。

彼はゴボゴボと血を吐きながら思った。我が勇壮の作品たちは、生き続けるであろう。例えば祖国ポーランドの誇りそのものである英雄ポロネーズ。ピアノソナタ第3番。そして、東洋の真珠玉の如く崇高な珠光を放つ、プレリュード、ワルツ。ああ、何にも増して、ノクターン。ノクターンとは「夜想曲」の意味である。夜を想う曲…。

あの、余人にはなせぬ強烈な個性を放つ作品群を書き上げたことが、サンド夫人のように自分に不実であった人や、呪われた病に対する復讐の完遂であるように思われた。

オーロール!

ショパンは胸の中でサンド夫人の名を絶叫した。自分が死にかけている一方で、彼女は今もどこかで情熱を周囲に撒き散らしながら生き生き暮らしていることが堪らなく妬ましかった。

オーロール!!

今度は声に出して、彼女の名前を絶叫しようとした。その瞬間、この紙のようにやせ衰えた身体の一体どこに、と彼の友人たちが恐怖するほど大量の血が喉から溢れた。チャルトリスカ公爵夫人がその血を何枚ものタオルで拭った。

 

この大喀血後は、彼はもう何も感じなくなった。しかし意識はまだあった。ポトツカ夫人に変ニ長調の夜想曲を弾いて欲しいと頼みたかったが、声が出なかった。

 

午前2時。喀血の海の中、人間は夜に生を得て、また夜に死にゆくのだ、何故だろうと彼は想った。そうして、部屋の片隅でジッと「その時」を待っていた死神がゆっくりとベッドに近づいてくるのを見ると、自らその冷たい手に絡め取られていった。

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