「七つの大罪」Vol.2 欲望編プログラムノート其の1
【一瞬の肉欲とその代償】
F. シューベルト:即興曲Op.90-1
体の異変に気付いた時、まさかという嫌な予感はあった。震える手でメガネを取ると、フランツは自分の顔を鏡に映してまじまじと見た。金壺眼(まなこ)に、赤い唇、肉ののった短い顎。青白い皮膚にはうっすらと赤い発疹が散っていた。
まさか。
エステルハージ伯爵のハンガリーの避暑地での出来事が思い出され、心臓を錐で突かれたような衝撃を受けて、思わず洗面台で体を支えた。
1818年の夏。うっそりとした庭園の緑。小間使いのエルザ。流し目と口元の酷薄な笑み。白い手に誘(いざな)われた自分の無骨な手。解かれたタイと脱がされた白いシャツ。30女の熟した肌。ギシギシ嫌な音をたてる彼女の部屋の粗末な寝台。
ああ、何がどうしてあんなことになってしまったのか。エステルハージ家の気品溢れる令嬢達のピアノ教師という堅い立場を忘れ、なんという堕落・・・。 あの、爛れるような肉欲と快楽の一瞬に対して、支払わなければ鳴らない代償ががこれか。
人には明かせない病気。
特に父には言えない。あの、厳格で破廉恥を決して許さぬ父には。父フランツ・テオドール・シューベルトの第12子である自分が、まさかこのようなことになるとは。
(父、フランツ・テオドール・シューベルト)
もう一度恐る恐る鏡に目をやると、今度は顔だけでなく頭部にも無数の赤い発疹を認め、フランツは蹲(うずくま)って顔を覆って嗚咽した。
以下、フランツの発病と病状を彼と彼の友人達の手紙や証言に基づいた年譜で追う。
1818年
エステルハージ伯爵の避暑地で令嬢にピアノを教える傍ら、小間使いと情事
「人には言えない」病気に感染
1822年終わり
明らかな体調不良
1823年
2月28日、「健康状態が外を出ることを許さないから訪問できない」
5月、ウィーンの一般市民病院に入院 髪の毛が全部抜け落ちる
8月、「健康はまあまあ良好」「(しかし)僕がまた完全な健康体に戻れるかというと、それはほとんど信じられない」(ショーバーに宛てた手紙より)
11月初旬、 悪化
11月末、完全復活(本人談)
12月24日、「シューベルトはまた快方に向かっている。それほど遠くない時期に、また自分の髪で出歩くようになるだろう。なにしろ発疹が出来たために、丸坊主にしなくてはならなかったんだからね。今はなかなか良いカツラを被っているよ」(シュウィントからショーバーへ宛てた手紙より)
(左:スターバリトン歌手フォーグル、右:シューベルト)
1824年
4月、重い再発
「僕は自分が世界中で最も不幸で最も惨めな人間だと感じている。健康がもはや2度と回復しない人間のおとを考えてみてほしい」
4月14日、「シューベルトはあまり具合がよくない。左腕に痛みがあるので、全くピアノが弾けない」(シュウィントからショーバーへに宛てた手紙より)
5月、エステルハージ伯爵避暑地にて、再びピアノ教師の職に就く
これより3年間、病気は小康状態を保つ
1827年
頭痛がし始め体調悪化。鬱状態もひどくなる
10月15日、「私は病気で、しかもどんな方の相手をするのも全く不可能なほど病気です」
1828年
11月12日、「ショーバー!僕は病気だ。11日間も飲むことも食べることも出来ずに、疲労でフラフラしながらベッドとソファの間を行ったり来たり繰り返している。何か口に入れてもすぐ吐いてしまう」
死の床で朦朧としながらもフランツは祈った。生きたい、なんとしても。もっと曲を書かねば。シンフォニーのコーダ、金管楽器の輝かしいファンファーレが、叩きつけるような頭痛の中を鳴り響く。
生きたい 能(あた)う限り 生きたい
11月19日、フランツ・シューベルト死去(31歳)
(シューベルトの眼鏡)
「七つの大罪」Vol.2 欲望編 インフォ:http://www.erikomakimura.com/2014/12/七つの大罪vol-2「欲望編」%E3%80%80バレエ&ピアノ/