Thank You Very Much for Coming to “Seven Deadly Sins Vol.2 LUST”!

Thank you very much for coming to concert performance series “Seven Deadly Sins Vol.2 LUST”! 4月19日は、コンサートパフォーマンスシリーズ「七つの大罪」Vol.2 欲望編にお出で頂きまして、本当にありがうございました!

次回のVol.3 嫉妬編は、2016年1月30日(土)18時より、うはらホールにて開催予定です。

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Photo: Diana Lindhardt

「七つの大罪」Vol.2 欲望編プログラムノート其の7

【私が引き起こした小さな残酷のお話】

M.ガーヤン:おはしのヴァリエーション

子どもの頃の私はヒドイじゃじゃ馬である反面、物事をわりと気むづかしく考える傾向にあったので、子どもであることを純粋に楽しめずに過ごしてしまった。もったい
ないことだ。

生まれて数年しか経っていないくせに、その当時は「死」が今よりずっと身近にあって、私を絶えず悩ませた。

祖父が、世界と日本の偉人伝集を何十冊と買ってくれたので、私はピアノや机の下に潜ってそれらを読み耽けった。偉人たちの前人未踏の偉業は素晴らしくて、私は感動した。しかし、彼らはやがて寿命が尽きて死んでいった。1人の例外もなかった。

一方で、両親は歴史人物伝の全集を買ってくれた。英雄や独裁者たちは革命を起こしたり、陰謀を企んだり、征服したり逃亡したりを繰り返した。そして最期は暗殺されたり、死刑にされたり、またはベッドの上で平和に天寿を全うしたりした。死に方は様々だったが、とにかくみんな間違いなく死んでいった。

生命を持つものは、遅かれ早かれやがてこの世から消えてなくなるのだ。

偉人たちの人生は私を熱狂させたが、栄華のあとの老いや転落、その帰結としての死は本当に恐ろしかった。

この恐怖は多分、私が覚えている一番古い記憶に起因するのかもしれない。

2歳の時、私は両親に連れられて近くのお祭りに行き、金魚すくいをした。まだミートローフサイズの私はきっと不器用に金魚掬すくいの網を扱ったのだろう。1匹も釣れないまま、あっという間に紙を破ってしまった。しょんぼりする私を見て、
屋台のおじさんは2匹の小さな金魚をビニールの袋に入れて、私にくれた。

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(写真:蜷川実花)

家に帰ると、母は洗面所のシンクに栓をして、ビニールの中の金魚と水をそこに離した。その間に、父は金魚鉢を買いに行った。

私は台の上にのぼって、シンクの中を泳ぎ回る金魚をジッと見ていた。チョロチョロ泳ぐ金魚は本当に可愛くて可愛くて、この2匹が自分のものになったことが嬉しくて仕方がなかった。

・・・と、ここで2歳の私の衝動が、この喜びをめちゃくちゃにしてしまう。

何を思ったか、次の瞬間、私はシンクの底の栓を抜いてしまうのである。

シンクに小さな渦が巻き、赤い小さな2匹の金魚はあっという間に暗いパイプの中に飲み込まれてしまった。後には怖いくらいの静寂だけが残った。

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(写真:蜷川実花)

私は台の上に呆然と立ち尽くし、シンクの真ん中に空いたぽかりと黒い穴を凝視した。赤い2匹の金魚は行ってしまった。私には、自分が金魚の命を奪ってしまったことがはっきり分かっていた。自分の小さな手がシンクの栓を気まぐれに引き抜いたことで、あの可愛い生き物は暗い暗い世界に永遠に吸い込まれていったのである。

恐怖と悲しみで火がついたように泣き始めた私を、どうやって両親が宥め諭したかは全く覚えていない。

こんな出来事が人生最初の記憶として残っているだなんて、私もツイテナイ。

しかし、30余年を経た現在。

私はかなり逞しく生きている。その間には、素晴らしい師友との邂逅や芸術との出会い、修羅場や近しい人の死、その他ありとあらゆる種類の感情にまつわる出来事を経験した。

金魚を吸い込んだ暗い小穴は、未だ頭の片隅にあるかもしれない。だが、大人になった今はそんなことより日々生きることに夢中である。博打のような毎日だ。だが、賭けるもののために周到に案を練り準備して、そのたびに自分を燃やし尽くす。そのことで小さな生死を繰り返しているせいか、死は昔のように恐怖をともなって私を襲って来なくなった。

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(写真:蜷川実花)

「おはしのヴァリエーション」は、子どもの頃に誰もが一度はピアノで弾いたことのある曲がテーマになっている。右手と左手の人差し指1本ずつで弾く様子が「おはし」のように見えるところから、この名前がついたのだろう。

子ども時代を存分に楽しめなかった自分のために、今日は思いっきりふざけ散らしながらこの曲を弾きたい。ピアニストとバレリーナの、罪のないイタズラ心とノスタルジアをお楽しみください。

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追伸:好奇心の赴くまま、偉人たちの人生最期の言葉を集めてみました。

・なぜみんなそんなに俺を見ているのだ
若山牧水(詩人)

・私が死んだら、会いにこないでほしい
マリー・ローランサン(女流画家)

・僕はこんなふうに死んでいきたいと思ってたんだ
ヴィンセント・ファン・ゴッホ(画家)

・もうすっかりいやになったよ・・・
ウィンストン・チャーチル(イギリス元首相)

・むこうはとても美しい
トーマス・エジソン(発明家)

・今日が、私の人生で唯一の幸福な日です
マリア・テレジア(ハプスブルク君主国両袖、マリー・アントワネットの母)

・(注射をしにきた医者に向かって)もう結構です、そっとしておいてください
マリ・キュリー夫人(物理学者、科学者)

・もっとシャンパンを飲んでおけばよかった
メイナード・ケインズ(経済学者。20世紀における最重要人物の1人)

・あっちに行け、出て行け!臨終の言葉なんてものは、充分に言い足りなかったバカ者達のためにあるんだ(家政婦が彼に「臨終の言葉を言ってください」と頼んだときにいった言葉。結局これが臨終の言葉になった)
カール・マルクス(哲学者、マルクス主義の創始者)

・(死の二日前、泣きながら妻に向かって)急に何だか悲しくなってきたんだ
国木田独歩(小説家、詩人)

・これでおしまい・・・
勝海舟(幕臣、のちに政治家)

✳︎✳︎✳︎
これでおしまい。

コンサートパフォーマンスシリーズ「七つの大罪」Vol.2 欲望編インフォ:

 http://www.erikomakimura.com/2014/12/七つの大罪vol-2「欲望編」%E3%80%80バレエ&ピアノ/ 

 

 

「七つの大罪」Vol.2 欲望編プログラムノート其の6

【死と寝るということ】

S. サン=サーンス/ F.リスト: 死の舞踏

ー ペスト、またの名を黒死病 ー
14世紀にヨーロッパ全土で流行し、全世界でおよそ8,500万人、ヨーロッパでは当時のヨーロッパ人口の3割から6割に当たる、約2,000万から3,000万人の命を奪った、悪魔の伝染病。症状としては高熱を発症し、リンパ節がこぶし大に腫れ、ペスト菌が全身にまわって敗血症を起こし、全身が黒いあざだらけになった。罹患者は、痛みに苦しみ悶えながら死んでいった。

ペストは本来ネズミの感染症だが、ペスト菌に感染したネズミを吸血したノミが媒体となって、人間にも感染が拡大したと言われている。

死が常に真横に寄り添って、微笑んでいる中世暗黒時代。その時代の人間の心理は、この恐ろしい伝染病をどのようにとらえていたのだろうか。

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1つに、この悪魔の病気が神からの試練であると受け止め、懺悔して神に祈るというとらえ方があった。

教会では生き残って集まった人々に対して、「自分がいつか必ず死ぬことを忘れるな」という意味の警句である「メメント・モリ」を頻繁に説いた。早かれ遅かれ、誰にもいずれ訪れる「死」に備えよ、と。

しかし、死への恐怖と生への執着に取り憑かれた人々は、祈りの最中、墓地での埋葬中、または街中で半狂乱になって踊り始めた。威張りくさった王も王妃も、神父も僧侶もみなペストで死んでいった。殺人鬼も赤ん坊も売春婦も死んだ。死だけが、この世で最も公平に与えられた贈り物だった。

人々は失神するまで踊り狂った。踊りの最中、あまりの恐怖から発狂して、ケタケタ笑い出す者もいた。この集団ヒステリーの様相はやがて1世紀ののち、「死の舞踏」と呼ばれ、多くの音楽家や画家、作家たちに多大なインスピレーションを与える題材となってゆく。

 

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教会で祈り、死の舞踏を踊る者がいる一方で、ペストは祈祷では回避出来ないと思う者もいた。そういった者は、ペストの元凶たる犯人を捏造し、罪をなすりつけて迫害するという行為に走った。

「犯人」はもちろん、呪われた異教徒、ユダヤ人であらねばならなかった。

ユダヤ人たちは、キリスト教徒が最も軽蔑する職業 ー すなわち、金貸し業に従事しており、治世者たちはユダヤ人に対して多大な負債を抱えていた。「ペストの元凶はユダヤ人にあり」と弾劾することは、債権者ユダヤ人を抹殺する絶好の機会であった。

ユダヤ教徒が井戸へ毒を投げ込んでいる。

このデマはあっという間に広まり、ペストを引き起こしたとされるユダヤ人たちが大量に虐殺された。

シュトラスブルクでは、同市のユダヤ人2,000人が、暴徒と化した市民によって焼き殺された。ユダヤ人の家からは全てが略奪されたが、その中には多くの債務証書が含まれていた。マインツでは、12,000 人が焼き殺された。

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暗黒の中世から600年を経た現在。「死」への恐怖はまだまだ克服出来ずにいる。また、死に到るまでの病気への恐怖も和らいではいない。ワクチンによるペストの治療薬が開発されても、次から次へと奇病が生まれ出る。

「死の舞踏」を弾いて踊ることは、「死と寝る」ことである。今日、アマゾネス2人は死と寝ることで、「生きる」ことへの悦楽を思う存分得てみせる。せめて、舞台の上でだけでも。

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「七つの大罪」Vol.2 欲望編インフォ:

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「七つの大罪」Vol.2 欲望編プログラムノート其の5

【「金」と「愛」を天秤にかける男と、かけられた女について、そしてロマたち 】

M. デ・ファリャ:スペイン舞曲 (オペラ「はかなき人生」より)

オペラ「はかなき人生」は、他の多くのオペラと同じように、惚れた腫れたに一喜一憂する男女の悲恋物語である。

サルーというロマの娘が、スペイン人の青年パコと恋に落ち、愛を約束する。しかし一方で、男には金持ち娘の婚約者がいる。それを知ったサルーは、パコとその婚約者の結婚式場に現れ、「私と愛を誓ったのに裏切るのね?それなら私を殺して」と叫ぶ。パコは逆に怒ってこの女を叩き出せと怒鳴り、あまりのショックにサルーはそのままパコの足元に崩れ落ちて死んでしまう。

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(ロマ   Photo: Josef Koudelka)

正直に言って、毒にも薬にもならない、ひどい筋書きである。

このオペラは現在では上演の機会をほとんど見ない(この筋書きでは仕方が無いか)が、ファリャはこの作中で1曲、ウルトラC級のメロディーをものにした。

それが、今日演奏される「スペイン舞曲」である。

オペラでは、この曲とともにフラメンコダンサーが踊る演出になっているが、もうこの際、ひどい筋書きなどはどうでも良くなってくるほど、切なく胸苦しく美しい曲だ。

スペイン舞曲(3分10秒あたりから)https://m.youtube.com/watch?v=soICFlLudro

このスペイン舞曲以外、取り立てて語ることもないオペラ「はかなき人生」だが、しかし実はこの作品は現在も無視出来ぬ大きな問題を内包している。

ロマ(ジプシー)問題だ。

スペイン人青年パコは、愛より金を選んだと同時に、ロマの女よりスペイン人を妻として選んだのである。

ロマたち「流浪の民」の歴史は、そのまま迫害の歴史でもある。ロマは現在ヨーロッパで600万人以上、全世界で約1,000万人以上いると推定されているが、習慣・文化・思想の相違からロマに対する差別は激烈で、近いところでは2010年のフランス/サルコジ政権下での、ロマに対する強制送還措置があげられる。8,000人以上のフランス国内のロマがルーマニア・ブルガリアに強制送還され、世界中から非難の声が上がった。

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(ヴァイオリンのレッスンを受けるロマの子供たち。ブダペスト)

ロマたちの送還された先の状況はどうなのか。以下、ルーマニアでのロマっへの処遇を、wikipediaより引用する。

【現在のルーマニア】
ルーマニアにおけるロマに対しての差別は根深く、結婚、就職、就学、転居などありとあらゆる方面にて行われている。

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 (ロマ  Photo: Josef  Koudelka)

21世紀に入った現在、ルーマニアでのロマ問題は拡大の一途をたどっている。EU諸国からのロマの強制送還により、ロマ人口が増加しているのである。ルーマニアにおいて、ロマは自己申告に基づく国勢調査では50万人だが、出自を隠している人も含めると150万人に達すると言われる。

ルーマニアの身分証明書には民族記入欄が無いため、ロマであることを隠し社会に同化する人も少なくない。2002年の調査では、ロマの進学率が極度に低いことが明らかになっており、高卒以上は全体の46.8%に対し、ロマは6.3%、全く教育を受けていない無就学者の割合は、ロマだけで34.3%にも上るのに対し、少数民族を含むルーマニア全体では5.6%にとどまっている。

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(ロマの美しい少年)

これらの問題に対してルーマニア政府は、「国内にロマはいないため、ロマに対する差別問題は存在しない」としてロマの存在自体を否定している。つまり、ルーマニア国内にロマが存在しない以上、ロマに対しての差別は存在しえず、ロマ差別はあくまでもルーマニアでは架空の存在でしかない、というのが政府の見解となっている。

このため、国内におけるロマ問題への対策をルーマニア政府は何一つ行っていない。さらに、国内外からのロマ対策を要求する声に対しても何の反応も示していない。この結果、ルーマニアでのロマ問題は解決のめどは立っておらず、逆にロマ差別自体がルーマニア人ならびに国家ルーマニアとしてのアイデンティティになっていることは否定できなくなっている。(Wikipediaより抜粋)

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記憶が定かでないのが悔やまれるが、以前何かの本で、ロマたちは服を着たまま愛し合うのだと読んだ覚えがある。外敵にいつ襲われても、すぐに逃げられるように。

「はかなき人生」の主人公サルーも、青年と愛を確かめ合う時は、服を着ていたのだろうか。」

直感のまま、モメンタム・モメンタムを激しく貪欲に生ききっていけば、いつか死が全てを浄化してくれるのだろう。人生は儚(はかな)くなど、ない。貪欲の末の透徹なカタルシスを求めて、私はこの曲を弾く。

コンサートパフォーマンスシリーズ「七つの大罪」Vol.2 欲望編インフォ:

http://www.erikomakimura.com/2014/12/七つの大罪vol-2「欲望編」%E3%80%80バレエ&ピアノ/

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