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A Two Weeks in October, 2014 Vol.1

10月某日(木)

デンマークより、フォトグラファーの友人が来日。今朝成田空港に到着したとのこと。彼女とは午後に京都駅で落ち合う手筈となっている。

明後日に奈良でのピアノリサイタルを控えている私は、ドレスや靴、楽譜を詰めた大きなスーツケースを引いて神戸の実家を出た。

家を出る直前、プログラムの印刷が無事上がったことを確かめ、明日の親族での夕食会の予約を入れ、フォトグラファーが予定通り新幹線に乗ったのを確認し、10月中に宿泊する9つのホテルの予約を完了させた私を見て母が言う。

「また帳尻(だけ)合わせている!」

(沈黙。言い訳の言葉見つからず…)

…じゃあ行って来ますと元気に手を振る。そう、一旦請け負ったことはなんとか帳尻を合わせ、万一合わせられなかった時は、自ら「責任」という名の落とし前をつけて生きていかねばならないのである。

京都まで約1時間半。私にとって移動時間は至福の時で、企画のコンセプトを思いつくのは大抵電車の中だ。

16時。京都駅で、フォトグラファーと再会。「セーターは必要ないからね。日本はまだ29度もあるから」とあれだけ何度も書いたのに、絵に描いたようなノルディック柄のウールのセーターを着ている!

ノースリーブのサマーワンピース姿の私とハグを交わすや否や、早速からかわれる彼女。あゝ愛すべきデンマーク人。言うことを聞かない、この頑固でチャーミングな国民性。

もう日暮れどきだったので観光は諦め、錦市場をひやかし、私の気に入りのおばんざい屋に入って再会に乾杯。9月にもコペンハーゲンでディナーを共にしたが、話は尽きず。ホテルに戻って温泉に浸かりながら話し、部屋でも芸術論から罪のないゴシップまで延々話し続ける。彼女が大好きだと言うコアラのマーチを食べながら。

日本のトイレのテクノロジーに驚き、私があげた「蒸気でアイマスク」の機能に驚き、そうこうするうちにやがて可愛らしいすうすうという寝息が聞こえてきた。私もすぐに寝落ち。

10月某日(金)
奈良県は五條市へ移動の日。

思いがけず早くに目が覚めてしまったので、フォトグラファーを起こさぬようそっと部屋を抜けて、誰もいない露天風呂に身を浸す。悦楽、愉楽のモメンタム。

 

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(朝の温泉に浮かんだヴィタミン)

それにしても、この1年の慌ただしさといったらどうだろう。ヨーロッパと日本を5回往復、新しくパフォーマンスアートの世界に飛び込み、日本で新プロジェクト「七つの大罪シリーズ」を立ち上げ、さらにもう1つ大きな企画が産声を上げようとしている。

その合間に練習やレッスン、ミーティング、リハーサルもあるのだが、私には本を読む時間もカフェで放心する時間もある。こうして温泉に浸かる時間も。

1日36時間を与えられた者の悦び。

やがて時計は8時を指し、名残惜しくも浴場を出た。

 

さて、旅は京都駅から始まる。

幼い頃、毎夏休みを過ごした五條は、私のノスタルジーが凝縮された旧い町で、惚けるほど遊んで、神戸に帰る夏休みの最後の日、別れたくないと言っていとこ達とオイオイ泣くのが恒例行事だった。

しかし、遠い・・・。

京都から乗り換え4回。京都、大阪、そしていったん和歌山に入って、奈良に戻るという不合理な旅で、乗り換えの合間合間にISETANで買い求めたお弁当を開いては閉じ、の繰り返し。

約3時間後、やっと五條のホテルにチェックイン。

ホテルからは歴史深い新町通りを歩いて、会場の宝満寺に着いた。

ちょうど良いタイミングでピアノ運送会社も到着し、屈強の3人衆が1トン近い巨大なグランドピアノの搬入作業を始めた。お寺の急な階段を四肢踏ん張りながらピアノを引き上げる作業は見ていて辛いほど。

いつも思うが、コンサートやショーというのは、とんでもない数の人々の助けがあってようやく成し得る努力の結晶である。

ようやくピアノ設置が終わり、調律師がやって来るまで練習に没頭。

 

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(荘厳の中の調律)

調律師の方が到着し、私は着替えてフォトグラファーとの撮影を開始。今回、彼女の来日が決まった時、私たち2人が属するパフォーマンスアートグループのリーダーから、日本プロジェクトの打診があり、撮影してくるようにとミッションが下りた。テーマを組み立てながら、限られた時間で極度の集中のなか、撮影は進む。

リズムに乗ること。タイミングを掴むこと。そして全幅の信頼。

これによって大抵の芸術が成立しているように思う。音楽、演劇、陶芸、彫刻、写真。

お互いの疲労が極に達した時点で撮影終了。長い1日であった。

夜は皆で和食屋さんの膳を囲む。すぐ前を流れる吉野川で取れた天然の鮎にかぶり付いた。

旬が広がる。

 

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(Food Porn! 料理の写真を撮影してSNSで公開することをフードポルノと言うのだそう)

 

10月某日(土)
「七つの大罪シリーズ」Vol.1 憤怒編のリサイタル当日。

14:00開演のマチネーのため、朝から慌ただしい。この辺りの名産品の柿の葉寿司や和菓子の差し入れが各家から入り、生まれ育った町ではないにせよ、故郷を持つとはこういうことかと素朴な厚意を甘酸っぱく温かく感じる。

 

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(着物姿で撮影するデンマーク人のフォトグラファー)

会場はありがたくも満員御礼で、開始前に従兄弟の僧が美音の鐘の音を轟かせてくれ、静寂が戻りきったところで舞台に上がった。

16:00、演奏終了。

関西一円、東京、そしてデンマークからはるばる駆けつけてくれた友人達との再会は本当に胸に沁みる。

舞台の上での2時間、私は小さな生死を経験する。始めに渦が生まれ、その渦が生み出すエネルギーはやがて暴発寸前まで高まり、そしてその先にあるのは無である。

この小さな死、無のあとの再生期間をどう過ごすか。それによって、その後の音楽家としての「輪廻」の在り方が決まってくると思う。

公演後、奈良駅へ向かった。駅隣接のホテルに1泊。

 

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(本日の衣装と楽譜)

10月某日(日)
東大寺へ。小学生の時に来たきりなのでゆうに30年ぶりだろうか。

雨に潤った奈良公園では愛らしい鹿たちが人間をジッと観察している。この公園では我々人間の方が異邦人である。否、大して当てにならぬ本能しか持たぬ人間こそが、地球上どこに在ろうと異邦中の異邦なのかも知れぬ。動物の持つ確かな本能が羨ましい。

 

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(L’Etranger)

あおによしの奈良の都はそれなりに情緒があるが、観光地の悲しさか、土産物店が醸し出す俗っぽさと哀愁ときたらどうだろう。

しかし、一歩大仏殿の門をくぐると、多くの観光客にも関わらずそこには荘厳があり、大仏さまが静かに愁いの中に鎮座ましておられた。

仏教の力が増大しすぎたのを恐れた桓武天皇が、政教分離を目指して都を奈良から京都に移したのが794年。デンマークの友人にそれを告げると、なんと勇気ある果断かと驚いていた。

ヨーロッパの歴史を紐解くと、確かに首都移しの理由としては異例なのかと納得する。しかし710年に平城京に首都が固定される以前の日本の王朝は、天皇1代限りで遷都を繰り返していた。

「死穢(しえ)」を嫌ったからだと、以前読んだ「逆説の日本史」という本にあったのを思い出した。

外は強い雨が吹きさすび、大仏殿の前は色とりどりの傘で埋め尽くされている。

 

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(憂いの大仏さま)

夕方、京都に移動。閉店間際のアンティーク着物店に友人を連れて行くと、普段は冷静で聡明な彼女の理性のバランスが崩壊するのが手に取るように分かり、可笑しかった。

6枚お買い上げののち、おばんざい屋で梅酒のロックのグラスを鳴らしあった。

 

10月某日(月)

朝方は台風で大荒れだったらしい京都。2人とも思いっきり寝過ごして、午後になってからやっと街に出た。

台風一過後の空気はフワフワと頼りなく、しかし湿度はぐんと下がって、街歩きには絶好の天候。

国内外の友人が訪ねてくれるお陰で、私も京都に来る機会が増えた。しかし歴女の性(さが)か、通りを歩いていても、私は今の京都を見ていない。平安の昔や、応仁の乱で焼け爛れた、或いは天下布武の最終目的地であった戦国の頃の京ばかりを感じてしまう。

今この瞬間目に映るものを、過去の記憶や教育に影響されず、ただ純粋に楽しむというのはなかなか難しい。

円山公園の辺りは大抵観光客でごった返しているのに、台風の影響か、今日は人影とて無し。いつもはちっとも良いと思わないが、本日はなかなか風情あり。

清水寺への道にはさすがにわらわらと人が集まって来た。そして門まで登り着いた瞬間、台風一過の空に、一筆書きで描いたような虹がさっと架かるのが見えた。まるで趣味の悪いカレンダーかのような、人工的なまでに美しい、青い空と虹と門の朱のコントラスト。フォトグラファーの友人が「It is almost too much! (嘘みたい)」を繰り返しながら、しきりにシャッターを切る。

 

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(Almost too much!!!)

去年、友人と訪れた永観堂の紅葉は圧巻であったから、1ヶ月遅ければ是非彼女に見て欲しかったし、撮って欲しかった。しかし、今の時点で、京の都の紅葉はまだそこはかとない気配のみ。

夜は、宿近くのおばんざい屋でサーロインステーキを焼いてもらう。ワサビ、塩、ライムをチュッとかけて食べるステーキ。見事なマーブル模様の霜降りはさすがWagyūクオリティー。このようなステーキは初めてのようで、フォトグラファーは至福の時を味わった模様。

宿に戻り、私は持ち込んだ仕事に没頭。彼女は温泉へ。

10月某日(火)
ミーティングとレッスンのため、京都から神戸へ戻る。私の神戸の友人がフォトグラファーの観光に付き合ってくれることになり、非常にありがたい。ミーティング後、夜遅くまでレッスン。そして、夜中までプログラム作りや月末の神戸でのイヴェントのための文面作成し、就寝3時。

10月某日(水)
抜けるような青空のもと、一路箱根へ。寝不足が続いて少々辛いが、多少疲れている時の方が逆に良い案が浮かんだりする。新幹線で、12月締め切りの企画書に手を付け始めた。来年のコンサートのプログラムにも少々手を加える。

箱根の宿で、東京の友人と合流するのが楽しみでならない。また、信じ難い出来事が次々と巻き起こるであろう。

新幹線はやがて小田原駅に滑り込んだ。

〜続く〜

 

 

 

 

 

A One Week in August, 2014

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image8月某日(日)
ここ2日間、東京に滞在している。スウェーデン人の友人が出張でこの街に滞在中というのに加え、またコペンハーゲンで出会った友人たちも、会ってくれるというので、皆で再会を祝すためだ。全くもって休みが取れなかった私の、2日間の夏休み。
私は、タガが外れたようにはしゃいで、朝から夜中まで姦(かしま)しくおしゃべりを続けた。夏の思い出をこの2日間に凝結させるべく、焼肉屋さんに言っては笑い、合羽橋でお買い物をしては笑い、蕎麦屋に入っては笑い、お友達が腕を振るって素晴らしいディナーを作る横でふざけては笑い転げ、夏休みは終わらないと信じる小学生のように、はしゃぎ尽くした。
次は、友人の住むストックホルムで再会したいと願いつつ、私は東京駅行きのバスに乗った。待ち合わせ場所に向かう。
こぼれるような笑顔でこちらに向かって手を振っている方がいる。前回神戸でお目にかかってから、約1ヶ月ぶりの邂逅。
白ワインで乾杯する。ワインの向こう側には、理知的で本当に美しいお顔。
この方は、今の時勢上、最も必要とされており、超多忙なジャーナリスト・作家である。
この方とお会いしてお話をする度に、私の小さな逡巡や迷いは霧散し、この道を歩んで行ってよいのだ、という強い確信と信念が新たに生まれる。
脳がジンジン刺激を受け、ほとんどエクスタティックなまでに活性化されてくる。
いつまでもお話していたいが、やがてタイムオーバー。私は明日の朝、コペンハーゲンへのフライトが控えている。成田空港近くのホテルに部屋を取ってあるので、今夜中にチェックインしなければならない。
電車に揺られること1時間。午前1時にチェックイン。
8月某日
結局、一睡も出来ぬまま朝を迎える。昨夜も含めたこの週末の興奮を鎮めることが出来なかったようだ。ホテルのバスタブに湯をたっぷり溜めて、ブクブクと沈んでみる。
これから2週間半、また息つく暇もない日々が待っている。大丈夫だろうか。
飛行機は無事成田を離陸し、これまた無事コペンハーゲンに着陸した。
夜は、会いたかった友人と早速再会を果たし、タイレストランでトムヤムクンやヌードルを山のようにテイクアウトして、部屋に持ち帰る。近況をキャッチアップ。
新しいことに果敢に挑戦する彼女は、強くしなやかだ。
8月某日(火)
フォトグラファーと朝食ミーティング。
彼女は私より大分年下だが、Age is just a number. とはよく言ったもので、楽しく付き合っている。
もうすぐ来日を控えており、細々とした打ち合わせを重ねる。そして、来年は2ヶ月間の大プロジェクトを共にするので、それについてもディスカッション。
午後は、デンマークでのマネジャーを引き受けてくれている友人宅に行き、日本から持って来ている数々の仕事を一緒にやっつけてゆく。
美味しい夕食をご馳走になり、私は猛烈なジェットラグにやられ、地に頭がめり込むほどの睡魔で、自分の目がどこに付いているかも分からなくなってきた。ゴメンね・・・と呟きながら、寝落ち。彼女はその後も遅くまで作業を続けていた。
8月27日(水)
午前中は資料作成と、週末のショーのためのプログラム最終案の決定。午後からはレッスン。
中学生の生徒とは、指折ってみれば既に5年の付き合いとなる。
“Two Women!” 私たちがピアノの前に仲良く並んで座り、何やら熱心に話し込んでいるのを見て、彼女の父が笑顔でそう言った。
先生と生徒と言う枠を超えて、私たちはいろいろなことを共有する。
彼女が小学生の時、学校で「私の理想の人」という題材でエッセイを書く課題が出たことがあった。級友たちがマイケル・ジャクソンやハリウッドスターを取り上げる中、彼女は私を選んでくれ、堂々とプレゼンをした。「私の理想の人、それは私のピアノの先生、エリコです」から始まるエッセイを読んだ時、湧き上がるような歓びと、大した人間ではない自分を羞じる思いが激しく交錯し、レッスンの帰り途に涙がとめどなく流れたのを覚えている。3年前の話だろうか。
修羅の中でもがいていた時期である。
8月28日(木)
8月某日(金)
午前10時。Nikolaj Kunsthalで2日後に催される大晩餐会に出演するアーティストが一堂に会してのミーティング。
7アーティストが前菜や、スープ、メイン、デザートといったメニューが供されるごとに、それぞれ10分ほどのショーを繰り広げて行く、パフォーマンスアートを取り入れた非常にユニークなイベントである。
つい先ごろまで日本にいて出遅れている私は、今日のこのミーティングで、会の流れ、人の動き、自分の役割の全てを把握しなければならない。
会場に着くと、見知った顔が多くあり、心強くなる。
進行係の男性はイベント開催のプロで、水際だった働きをしてくれるので、私はぐっと気が楽になった。共演アーティストたちも非常に親切で、1時間半のミーティングでほぼ概要を掴むことが出来た。
その後、共演者の1人で、私の親友でもあるアーティストとランチ。
彼女との縁は、4年前の私の衝動から始まった。
私のコンサート来ていた彼女を見て、私はその圧倒的な存在感と美に、全くもって驚愕しまった。
北欧には、いわゆる西洋的な価値観で言うところの美人は多い。しかし、彼女のほとんど日本の藍色のような目、くっきり意思的な眉、か細い肩、持て余すほど長い脚、そしてライオンのタテガミのような北欧人には珍しい非常に硬質の長いブロンドヘアは、アンバランスな強烈な個性となって私の目を釘付けにした。
私は当時のボーイフレンドにあれは誰かと尋ね、人物を確認すると、彼女のメールアドレスを彼から聞き出してその日のうちにメールを書いた。私がいかに彼女の圧倒的な存在感と美に衝撃を受けたか、そこにいるだけで周りのものを魅了して視線を外すことが出来ない存在とは、どれだけインスパイアされるものか等々、連々と書き綴った。
メールを受け取った彼女は面喰らったに違いない。私も後から自分の書いた文を読み返して、思わずのけぞった。どう読み解いても、これでは熱烈な恋文である。
そして4年後の現在。私たちは素晴らしい友人関係を築き、今や一緒にプロジェクトを推進する仕事仲間でもある。ありがたいことだ。
・・・じゃあ2日後に!と彼女と別れ、私はデッドラインが迫った企画書を夜の会食までに仕上げてしまおうと、カフェで集中する。
家に戻り、夜の外出の支度をしながらも、文章の「てにをは」を直す。右手でキーボードを打ち、左手で口紅を引く。
タイムオーバー。歩きながらも草稿を読み返し、デザイナーとの会食場所へ向かう。仕事続きのため今夜は飲まないと決めていたが、相手がお酒抜きでも十分過ぎるほどに楽しい相手なため、全く問題ではない。
ところが、食後にこのレストランのオーナーがやって来て、会話に加わった。話が弾み始め、どうやら腰を据えて話す雰囲気だ。
ついに彼は、ウェイターにレストランで最もいいシャンパンを開けるように命じた。ああ、今夜も長くなりそうだ・・・。
コペンハーゲンというのは、お酒で人とが人とが密になってゆく魔都だ、と書こうとしたが、よく考えれば日本のだってそうだ。ロシアも、ドイツも、フランスも、そしてイタリアだって。
8月某日(土)
朝、目が覚めると、左手に奇妙なものを握っていることに気づいた。何かの種のようで、3cmほどのポケット型をしており、表面に柔らかそうな和毛が生えている。レストランのオーナーにもらったものだと気づいた。
これにそっとナイフを入れて中の実を取り出し、それをトリュフのように削って食べる。昨夜、レストランのオーナーがそうやって食べさせてくれた。芳ばしい香りがして、とても美味しい。何という名の実だったか、教えてもらったのにすっかり忘れてしまった。
午前中は、明日のショーのための買い出しに出て、午後は練習に当てる。雨で
ひんやりと肌寒く、久々に作ったホットココアで一息いれた。デヴィッド・リンチの映画のサントラを弾きちらす。
8月某日(日)
大晩餐会当日。この日は大雨で各地が浸水し、コペンハーゲンは大混乱の様子。大きなコンサートやショーのがある日はいつもこうだ。道が閉鎖され、大荷物を抱えた私は途方にくれて、タクシーを拾った。いつもの3倍時間がかかる。
会場のNikolaj Kunsthalは私のお気に入りのヴェニューで、初めて弾いたのは2年前のファッショウィーク中のショーでのことだ。
今夜のパフォーマンスアートを取り入れた大晩餐会は非常に人気で、もう1ヶ月前あらチケットはソールドアウト。奇才アーティストたちが案を出し、技術者たちがそれを実現可能か討議し、ショーを形作ってゆく。
数百人のゲストが到着し、大晩餐会は開会のベルとともに幕開いた。
ショーの様子はコチラから→
私は今回は演出はせずとも良く、弾くことに専念する仕事だったので、純粋に楽しむことが出来て、非常に愉快な一夜だった。愛するドラッグクイーンの友人との久々の再会もあり、アーティストとの新たな出会いもあり、実りの多い経験だった。
8月某日(日)
ここ2日間、東京に滞在している。スウェーデン人の友人が出張でこの街を訪れているのに加え、コペンハーゲンで出会った東京組の友人たちも揃って予定を空けてくれたので、皆で再会を祝すために上京。2日間の夏休みだ。

スウェーデンの友人とは、2002年にベルリンで知り合った。私たちは出会った日から意気投合し、数年後にははなんと一緒にショーを開催するに到るまでとなった。

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(アートフェスティバルでの一夜)

私の古くからの友人と、数年前に知り合った新しい友人が、一緒になって大笑いを繰り返しているのを見て、こんなに嬉しいことはあるだろうかとしみじみ思う。

別れを惜しみつつ、次はストックホルムで会おうと再会を約束し、私は東京駅行きのバスに乗った。

混み合ったバスの中。先ほど靖国神社の骨董市で、デンマークの友人たちのために山のような土産を買ってしまった。バッグの中でぐい呑みやお皿や漆器や花瓶が、バスの揺れるたびにカタカタと鳴りづめに鳴る。信じ難いほど、重いバッグ。東京中探したって、こんなに重いバッグを肩から下げている人などいないだろう。みな、流行のバッグか若しくはクラシックな美しいフォームのバッグを持って、颯爽と歩いている。

丸ビルに着くと、こぼれるような笑顔でこちらに向かって手を振っている方がいる。私は20kgはあるであろうバッグを引きずりながら、そちらへ走った。

レストランへ入り、モヒートで乾杯する。グラスの向こう側には、理知的で本当に美しい笑顔。前回神戸でお目にかかってから、約1ヶ月ぶりの邂逅だ。

この方は、今の時勢上、最も必要とされており、超多忙なジャーナリスト・作家である。

お会いして一緒にお話をするたびに、私の小さな逡巡や迷いは霧散し、ああ、やはり今歩んでいるこの道を進んでよいのだ、とか、いや、このままこの位置に安住していはいけない、という強い確信と判断を、自ら断ずる力を与えてもらえるのだ。

脳がジンジン刺激を受け、ほとんどエクスタティックなまでに活性化されてくる。

いつまでもお話していたいが、やがてタイムオーバー。私は明日の朝、コペンハーゲンへのフライトを控えている。成田空港近くのホテルに部屋を取ってあるので、今夜中にチェックインしなければならない。

電車に揺られること1時間。午前1時にようやくホテルに到着。

8月某日(月)
結局、一睡も出来ぬまま朝を迎える。昨夜も含めたこの週末の興奮を鎮めることが出来なかったようだ。ホテルのバスタブに湯をたっぷり溜めて、ブクブクと沈んでみる。

これから2週間半、息つく暇もない日々が待っている。大丈夫だろうか・・・。

私の心配をよそに、飛行機は無事成田を離陸したし、これまた無事コペンハーゲンに着陸した。

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(Finnairのロゴは、本当によくデザインされていると思う)

夜は、会いたかった友人と再会。タイレストランでトムヤムクンや春巻、ヌードルを山のようにテイクアウトして、部屋に持ち帰る。近況をキャッチアップし合った。

新しいことに果敢に挑戦する彼女は、強くしなやかだ。

8月某日(火)
フォトグラファーの友人と、朝食ミーティング。

彼女は私よりグッと年下だが、Age is just a number. とはよく言ったもので、何のへだたりもなく、楽しく付き合っている。

そのフォトグラファーはもうすぐ来日を控えており、スケジュールなど細々とした打ち合わせを重ねる。日本という類まれな、歴史と文化が幾重にも複雑に層を成す国を来訪することで、新境地を開拓するであろう彼女の作品を、私は今からひどく楽しみにしている。

そして、来年私たちは2ヶ月間の大プロジェクトを共にするので、それについてもディスカッション。

午後は、デンマークでのマネジャー役を引き受けてくれている友人宅に行き、日本から持ちこした数々の仕事を一緒にやっつけてゆく。

美味しい夕食をご馳走になっているあたりから猛烈なジェットラグにやられ、地に頭がめり込むほどの睡魔で、私は自分の目がどこに付いているのかも分からなくなってきた。ゴメンね・・・と呟きながら、失神するかのように寝落ち。彼女はその後も遅くまで作業を続けていた。

8月某日(水)
午前中は資料作成と、週末のショーのためのプログラムを最終推敲。午後からはレッスン。

この中学生のお嬢さんとは、指折ってみれば既に5年の付き合いとなる。先生と生徒と言う枠を超えて、私たちはいろいろなことを共有する。

“Two women sitting together!” 私たちがピアノの前に仲良く並んで座り、何やら熱心に話し込んでいるのを見て、彼女の父が笑顔でそう言った。

彼女が小学生の時、学校で「私の理想の人」という題材でエッセイを書く課題が出たことがあった。級友たちがマイケル・ジャクソンやハリウッドスターを取り上げる中、彼女は迷うことなく私を選び、皆の前で堂々とプレゼンをした。「私の理想の人、それは私のピアノの先生、エリコです」から始まるエッセイを読んだ時、湧き上がるような歓びと、大した人間ではない自分を悲しむ思いが交錯し、レッスンの帰り途に堪えていた涙がとめどなく流れたのを覚えている。3、4年前の話だろうか。

修羅の中でもがいていた時期である。

8月某日(木)
朝起きたら、日本からの嬉しいニュースがメールボックスの中に入っていた。ここ数年、実験的に試していた内容の企画だが、どうやらカタチになり始めたようだ。

今日もあっという間に1日が終わってしまった。ありがたいことに、友人の獅子奮迅の働きにより、日本の仕事が一段落した。

世界中、もう足を向けて寝られない恩人だらけである。丸く体操座りをして眠らなければならない日は、そう遠くはない。

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(今回はお蔵入りとなった写真の1枚。昭和なメイクとメデューサのような髪)

8月某日(金)
午前10時。Nikolaj Kunsthalで2日後に催される大晩餐会に出演するアーティストが一堂に会してのミーティング。

7アーティストが、前菜や、スープ、メイン、デザートといったメニューが供されるごとに、それぞれ10分ほどのショーを繰り広げて行く、パフォーマンスアートを取り入れた非常にユニークなイベントである。

つい先ごろまで日本にいて出遅れている私は、今日のこのミーティングで、会の流れ、人の動き、自分の役割の全てを把握しなければならない。

会場に着くと、見知った顔が多くあり、心強くなる。

進行係の男性はイベントのバックステージを司るプロ中のプロで、水際だった働きをしてくれるので、私は気が楽になった。共演アーティストたちも非常に親切で、1時間半のミーティングでほぼ概要を掴むことが出来た。

その後、共演者の1人で、私の親友でもあるアーティストとランチ。彼女との縁は、4年前の私の衝動から始まった。

2010年2月。私のコンサートを聴きに来ていた彼女を見て、私はその圧倒的な存在感と美に、全くもって驚愕しまった。

北欧には、いわゆる西洋的な価値観で言うところの「美人」は多い。しかし、彼女のほとんど日本の藍色のような目、くっきり意思的な眉、か細い肩、持て余すほど長い脚、そしてライオンのタテガミのような、北欧人には珍しい非常に硬質の長いブロンドヘアは、アンバランスで強烈な個性美となって私の目を釘付けにした。

私は当時のボーイフレンドにあれは誰かと尋ね、さっと人物を確認すると、彼女のメールアドレスを彼から聞き出してその日のうちにメールを書いた。私がいかに彼女の圧倒的な存在感と美に衝撃を受けたか、そこにいるだけで周りのものを魅了して視線を外すことが出来ない存在とは、どれだけインスパイアされるものか等々、連々と書き綴った。

メールを受け取った彼女は面喰らったに違いない。私も後から自分の書いた文を読み返して、思わずのけぞった。どう読み解いても、これでは熱烈な恋文である。

そして4年後の現在。私たちは素晴らしい友人関係を築き、今や一緒にプロジェクトを推進する仕事仲間でもある。ありがたいことだ。

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(Muse)

・・・じゃあ2日後に、とハグを交わして別れ、私はデッドラインが迫った企画書を夜の会食までに仕上げてしまおうと、カフェで集中する。

家に戻り、夜の外出の支度をしながらも、企画書の「てにをは」を直す。右手でキーボードを打ち、左手で口紅を引く。

夜道を歩きながらも草稿を読み返し、デザイナーとの会食場所へ。仕事続きのため今夜は飲まないと決めていたが、相手がお酒抜きでも十分過ぎるほどに楽しい相手なため、全く問題ではない。

ところが、このレストランのオーナーが食後にやって来て、私たちのテーブルに加わった。話が弾み始め、どうやら腰を据えて飲む雰囲気だ。

ついに彼はウェイターに、レストランで最も美味しいよく冷えたシャンパンを開けるように命じた。ああ、今夜も長くなりそうだ・・・。

コペンハーゲンというのは、お酒で人と人とが密になってゆく魔都だ、と書こうとしたが、何のことはない、日本だってそうだと気づく。ロシアも、ドイツも、フランスも、そしてイタリアだって。

8月某日(土)
朝。目が覚めると、左手に奇妙なものを握っていることに気づいた。何かの実のようで、3cmほどのポケット型をしており、表面に柔らかそうな和毛が生えている。レストランのオーナーにもらったものだと気づいた。

表皮にそっとナイフを入れて中の実を取り出し、それをトリュフのように薄く削って食べる。昨夜、レストランのオーナーがそうやって食べさせてくれた。芳ばしい香りがして、とても美味しい。何という名の実だったか、教えてもらったのにすっかり忘れてしまった。

午前中は、明日のショーのための買い出しに出て、午後は練習に当てる。雨でひんやりと肌寒く、久々に作ったホットココアで一息いれた。練習の合間、デヴィッド・リンチの映画のサントラを弾きちらす。

8月某日(日)
大晩餐会当日。この日は大雨で各地が浸水し、コペンハーゲンは大混乱の模様。この街は水に弱い。大きな被害が出なければいいけれど….。

ああ、それにしても、私のコンサートやショーのある日はいつもこうだ。

道が閉鎖され、大荷物を抱えた私は途方にくれて、タクシーを拾った。いつもの3倍時間がかかる。

会場のNikolaj Kunsthalは私のお気に入りのヴェニューで、初めて弾いたのは2年前のファッショウィーク中のショーでのことだ。

今夜のパフォーマンスアートを取り入れた大晩餐会は非常に人気で、もう1ヶ月前からチケットはソールドアウト。奇才アーティストたちが案を出し、技術者たちがそれを実現可能か討議し、ショーを形作ってゆく。

やがて数百人のゲストが到着し、大晩餐会は開会のベルとともに幕開いた。

ゲストたちは、会場の入り口で、まずはアダムとイヴのイヴに拝謁しなければならない。イヴはもちろん、生まれたままの姿である。首には生きた蛇を巻きつけている。

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(イヴとゲスト。Photo:Anika Lori

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(会場設営中の1枚。Photo: Anika Lori)

数百人のゲストで会場は埋め尽くされ、着式すると、テーブルには本日のメニューが。

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(メニュー  Photo: Anika Lori)

今回のショーでは私は演出せずとも良く、弾くことに専念する仕事だった。純粋に楽しむことが出来て、非常に愉快な一夜となった。ドラッグクイーンの友人との久々の再会があり、アーティストとの新たな出会いもあり、実りの多い経験。

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(司会進行のRamona。衣装この日のためにデザインされた特注のドレス)

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(Ramonaの狂乱の舞。Photo: Sigrun Gudbrandsdottir)

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(アーティスト、Anika Loriのビデオインスタレーションと共に)


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(霊媒師との体験。Photo: Anika Lori)

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(デザートをサーブされるゲストたち。エボラ出血熱の時事問題と絡めたプレゼン)

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(酩酊状態。見事な構成のショーだった。Photo: Sigrun Gudbrandsdottir )

9月に続く・・・

An Interview with Eriko Makimura

7月16日(水)の神戸新聞朝刊「人」の欄に、私のインタビューが掲載されました。厚く御礼申し上げます。

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Sisters Academy ~Education for the Future ~

Sisters Academy Project : http://sistersacademy.dk/

SA-music

【Chain Hands Pianist】

For her playing the piano means a total catharsis. She can purify dark emotions such as fear, anxiety, grief and sorrow through the performances through the performances.

She puts some mannequin hands on the piano when he plays it. She has been hallucinated that her left hand was amputated when she was thirteen. She has been looking for her left hand since then, however, at the same time she is afraid of finding it since she thinks her performance has improved to much higher level since she lost her hand. And she would not prefer to lose her performance skill by finding her missing left hand. She finds her consolation in her mannequin hands and would like to continue living a metaphysical world.

When she plays the piano in public, she shares enormous empathy and sensibility with her audience. So does when she teaches. When she plays the piano only for herself, she enjoys the pure emotional explosion and absolute technical control.

She is always overdressed and carries a chain. The chain is her symbolic token to connect her soul and music to this current world. The chain is also used for her piano performances. Her hair is black as crows.

Her current focus is how to live in an ambivalent world and to comprehend its multiplicity.


left hand

Sisters Academy takes place here: http://sistersacademy.dk/about/1-2/

Dates: from 24.02 to 07.03. 2014.

Video: http://vimeo.com/84764253

Photos by Diana Lindhardt

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