日時:2014年7月19日(土)開演:13:30 (開場:13:00)
場所:神戸文化ホール中ホール
アクセス等はコチラ:http://www.kobe-bunka.jp/hall/contents/access/
入場料:前売り3,000円 (当日3,500円) 中学生以下2,000円(当日2,500円)全席自由
チケットお問合せは、神戸文化ホールプレイガイド(078-351-3349)または、メール:77deadlysins77@gmail.com (牧村英里子)まで。
マネジメント:KONTA Inc. (0797-23-5996)
【プログラム】
Lera Auerbach from Prelude for Piano
Annie Gofield: Blooklyn October 4,1941
Manuel de Falla: Fantasia Baetica
Sergei Prokofiev:: The Dance of the Knights
Charles Ives: Variations on “America”
Frederic Chopin: Nocturne No. flat Major, Waltz No.
Federic Rzewski: Winnsboro Cotton Mill Blues
七つの大罪シリーズVol.1「憤怒編」はピアノソロリサイタル。「憤怒」に比肩する動物は「ユニコーン、ドラゴン、狼」で、私はポスターの写真では狼の毛皮を纏(まと)っている。今回弾く七作曲家の作品の間と間を、グレゴリオ聖歌のひとつ、「Dies Irae 怒りの日」で繋いでゆく。あたかもプロムナードの役割を果たすように。曲間に演奏される、様々にアレンジされた七回の「Dies Irae 怒りの日」を楽しまれたい。
怒りにもさまざまな種類がある。噴火するような怒りもあえば、諦念を含んだやるせない怒り、復讐を誓った怒り、侮辱された時の怒り、恋を燃え立たせるための嫉妬の怒り、微笑みに擬せられた裏の憤怒。
中世の吟遊詩人、トルバドゥールになった気で、愛や悲しみや裏切り、時には法悦から引き起された「憤怒」の物語を紡いでみようと思う。
Lera Auerbach from Prelude for Piano
彼女の恍惚状態はその後小半刻を過ぎても一向に止むことなく、次第に心配になり始める。
「大丈夫かい?」
「ええ、大丈夫よ。もう暫くそっとしておいて」
「でも・・・あまりに長く続くから」
「そのうち神託が降りるかもよ、シビラのように」
「・・・シビラ?」
「知らないの?巫女シビラを。恍惚状態で神託を伝えた古代の巫女よ。ああ、私にはユダヤの血が濃く流れているの」
「・・・」
「貴方には必ず裁きの斧が振り下ろされる日が来るわ。私をこんなに堕落させて。貴方の「Dies Irae」をいまかいまかと待っているのよ、私」
そう言うと、彼女は横たわったまま震えるような細いソプラノで歌い始めた。
怒りの日、その日は
ダビデとシビラの預言どおり
世界が灰燼に帰す日です
審判者が現れて
すべてが厳しく裁かれる時
その恐ろしさはどれほどでしょうか
・・・彼女はいつか必ず私を殺す。考え得る最も残忍な方法で。
Annie Gofield: Blooklyn October 4,1941
Manuel de Falla: Fantasia Baetica
1939年、アルハンブラ宮殿近くに住まうファリャは、震える手で最後の音符を五線紙に書き入れた。ペンが床に落ち、インク壺のふたが乱暴に閉じられる。
半分ほど空いた赤ワインのボトルをインクに汚れた手で引っ掴み、一気に残りの液体を瓶から喉に直接流し込んだ。手の震えはまだ止まない。 机に転がった幾つかの乾涸(ひから)びたイチジクを口に運びながら、耐え難いほどの虚無感がひたひたと彼の足を這い登ってくるのを感じる。作品を仕上げた後はいつもこうだ。
親友の詩人、フェデリコ・ガルシア・ロルカがファシスト、フランコ率いるファランヘ党によって銃殺に処せられたのは、もう3年も前になるのか・・・。あの男の燦然と輝く才能。あの強烈な個性と至高の芸術性・・・。
“La vida breve.” 独りごちてみる。はかなき人生。若き日に書いたオペラの題名だ。当時まだ軽薄な青二才だったとはいえ、なんという名のオペラを書いてしまったのだろう。
18年もの長きに渡り、自分はグラナダで隠遁生活を続けた。去勢されたふりをしながら細々と生きながらえてしまった。 ロルカのように、華々しく芸術家として銃弾に倒れることもなく、何が「はかなき人生」だ。忌々しさから、床に痰を吐いた。
ちょび髭の独裁者が牛耳るスペインを捨てて、アルゼンチンへ亡命しよう・・・。決意を固めるとがたんと音を立てて椅子から立ち上がった。外套を羽織って帽子を被り、外へ出る。
今夜は理性が吹き飛ぶまで酒を飲まずにはおられない。
★Lera Auerbach: 24 Preludes for Piano
★Annie Gosfield: Brooklyn October 4, 1941
★Manuel de Falla: Fantasia Baetica
★Sergei Prokofiev: The Dance of the Knights
★Charles Ives: Variations on “America”
★Chopin: Nocturne No. 8 D flat Major, Waltz No.7 c sharp minor, Mazurka No.13 Op.17 no.4
★Federic Rzewski: Winnsboro Cotton Mill Blues
【「七つの大罪」シリーズVol.1 「憤怒編」について】
「七つの大罪」シリーズ~カタルシスへの旅 Vol.1「憤怒(ふんぬ)編」は私、牧村英里子によるピアノソロリサイタルです。
七つの大罪についてはコチラ→「七つの大罪」 ~カタルシスへの旅~
「憤怒」を象徴する動物は「ユニコーン、ドラゴン、狼」で、私はポスター用の写真撮影には狼の毛皮を纏(まと)って挑みました。
「七つの大罪」シリーズは、毎回七作曲家を取り上げ、その作品と作品の間をグレゴリオ聖歌のひとつ、「Dies Irae 怒りの日」であたかもプロムナードの役割を果たすように繋いでゆきます。曲間に演奏される、様々にアレンジされた七回の「Dies Irae 怒りの日」をお楽しみ下さい。
怒りにもさまざまな種類があります。噴火するような怒りもあれば、諦念を含んだやるせない怒り、復讐に狂った怒り、侮辱された時の怒り、恋を燃え立たせる嫉妬から引き起こされた怒り、微笑みに隠された裏の憤怒。
中世の吟遊詩人、トルバドゥールになった気分で、愛や悲しみや裏切り、時には行き過ぎた法悦から引き起された「憤怒」の物語を紡いでみようと思います。
末尾になりましたが、このプロジェクトを推進するにあたり、獅子奮迅の働きをして下さった笠間妙子さんに、心よりお礼申し上げます。
牧村英里子
(神戸新聞社様、リサイタル情報を掲載して下さいまして有難うございました。)
【プログラムノート】
★Lera Auerbach: from24 Preludes for Piano
アウエルバッハ:24のプレリュードより
彼女の恍惚状態は、その後小半刻を経ても収まりを見せず、私は次第に心配になり始める。
「大丈夫かい?」
「ええ、大丈夫よ。もう暫くそっとしておいて」
「でも・・・あまりに長く続くから」
「そのうち神託が降りるかもよ、シビラのように」
「・・・シビラ?」
「知らないの?古代の巫女シビラを。恍惚状態で神託を伝えた古代の巫女よ。ああ、私にはユダヤの血が濃く流れているの」
「・・・」
「貴方には必ず、裁きの斧が振り下ろされる日が来るわ。だって私をこんなに堕落させたんですもの。貴方の『Dies Irae』をいまかいまかと待っているのよ、私」
そう言うと、彼女は目をつぶったまま、震えるような細いソプラノで「Dies Irae」歌い始めた。
怒りの日、その日は
ダビデとシビラの預言どおり
世界が灰燼に帰す日です
審判者が現れて
すべてが厳しく裁かれる時
その恐ろしさはどれほどでしょうか
・・・彼女はいつか必ず私を殺す。考え得る最も残忍な方法で。
(月満ちた夜の絞殺)
★Annie Gosfield: Brooklyn, October 5, 1941 for Piano, Baseballs, and Baseball Mitt (1997)
ゴスフィールド:ブルックリン、1941年10月5日
1941年10月5日、アメリカはブルックリン。野球のワールドシリーズ第4戦目の今日、ブルックリンのエベッツフィールド・スタジアムは嵐のような狂気に渦巻いていた。
ニューヨーク・ヤンキースvs. ブルックリン・ドジャース。過去3戦の成績はヤンキース2-ドジャース1で、ナショナルリーグは1920年以来21年ぶりの出場となるブルックリン・ドジャースにとって、今日の試合は絶対負けられない1戦なのだ。
8回裏までの結果は、ヤ3-ド4。地元ドジャースがリードしている。まだまだ油断はできないが、試合はこちらに有利に進んでいる。ブルックリン市民の熱狂的な応援にますます拍車がかかった。
(The photo taken in 1940’s. )
9回表。ブルックリン・ドジャースの投手、ヒュー・ケイシーの放った球は、見事な放物線を描きながら名キャッチャー、ミッキー・オーウェンのグローヴに収まる筈であった。少なくともブルックリン市民全員が、そんなことは肉屋に行けば肉が買えるのと同じくらい当然のことと思っていた。
それなのに。
悪夢が起こった。
ニューヨーク・ヤンキースはその回に4点を加点し、呆然としたブルックリン・ドジャースが9回裏に1点も入れられぬまま試合は終了。
スタジアムでは、失望に取って代わられたブルックリン市民の憤怒が爆発した。ヤンキースファンとの間に取っ組み合いの喧嘩が始まり、あちこちで血しぶきが噴いた。
ブルックリン市民の怒りはひとえにこれから弾くこの一曲に凝縮されている。
(ピアノ、ミット、私)
★Manuel de Falla: Fantasia Baetica (1919)
デ・ファリャ:アンダルシア(ベティカ)幻想曲
ファリャがアンダルシア幻想曲を書いてちょうど20年後の1939年。アルハンブラ宮殿近くに住まう彼は、震える手で最後の音符を五線紙に書き入れた。ペンが床に落ち、インク壺のふたが乱暴に閉じられる。
手の震えが止まらない。 机に転がった幾つかの乾涸(ひから)びたイチジクを口に運びながら、耐え難いほどの虚無感がひたひたと彼の足を這い登ってくるのを感じる。作品を仕上げた後はいつもこうだ。
詩人の親友、フェデリコ・ガルシア・ロルカがファシスト、フランコ率いるファランヘ党によって銃殺に処せられたのは、もう3年も前になるのか。あの男の燦然と輝く才能。あの強烈な個性と至高の芸術性・・・。
“La vida breve.” 独りごちてみる。はかなき人生。若き日に自分が書いたオペラの題名だ。作品はパリの観客の間に熱狂を巻き起こし、彼は一躍時の人となった。
だが。
当時まだ軽薄な青二才だったとはいえ、なんという名のオペラを書いてしまったのだろう。“La vida breve.” はかなき人生。
18年もの長きに渡り、自分はグラナダで隠遁生活を続けた。去勢されたふりをしながら細々と生きながらえてしまった。 ロルカのように、華々しく芸術家として銃弾に倒れることもなく、何が「はかなき人生」だ。忌々しさから、床に痰を吐いた。
チョビ髭の独裁者が牛耳るスペインを捨てて、アルゼンチンへ亡命しよう・・・。決意を固めるとがたんと音を立てて椅子から立ち上がった。外套を羽織って帽子を被り、外へ出る。
敬虔深いファリャは、教会に向かって歩を早める。彼の生誕地で現在も居を構えるアンダルシアは、古代ローマ時代にはラテン名で「ベティカ」と呼ばれた。フラメンコを生んだ、明るい陽光のさんざめく、誇り高きアンダルシア。まるで、詩人ロルカそのもののような。
この美しい地の静謐(せいひつ)を軍靴で踏みにじったチョビ髭フランコに対する、目の眩むような憤(いきどお)りを沈めるため、教会で祈る。声が枯れ尽きるまで。
(独裁者、フランシスコ・フランコ。独裁者はチョビ髭を好むようだ)
★Sergei Prokofiev: The Dance of the Knights
プロコフィエフ:騎士の踊り
セルゲイのことを、妻である私をKGB(秘密警察)に「売って」自らの潔白を証明したと批評して、軽蔑の目を向ける人も少なくない。
・・・本当にそうだったのかしら。
1941年3月15日、セルゲイはトランクを1つ提げて家を出ると、再び帰ってくることはなかった。セルゲイと24歳年下のミーラ・メンデリソンとの愛の前に、私と息子2人はなす術もなかった。3ヵ月後、ドイツ軍がソビエトに侵攻。セルゲイとミーラは国家の庇護下にあって、いち早く安全な場所に疎開したわ。私と息子たちは4年間、モスクワで空襲に怯えながら肩を寄せ合って暮らした。
終戦まで生き延びることができて、運がよかったわ。だけど、悪夢は終わらなかった。1947年、セルゲイは私との離婚を裁判所に申請。裁判所は、彼と私の結婚はそもそも無効であると裁決。私たちはアメリカで出会い、そこで結婚したので、国外で提出された婚姻届はソビエト国内ではなんの効力も発揮しないとのこと。
結婚「していなかった」セルゲイにはもちろん「離婚」届は不要で、翌年1948年、彼はさっさとミーラと結婚。
そして2月20日。
郵便配達の電話でアパートの下に降りたところ、私は身柄を拘束され、連行された。行き先は、スターリン秘密警察(KGB)本部だった。
(若い頃のスターリン。見事な七三ね)
私の容疑はスパイ工作。セルゲイとともに西側諸国を演奏旅行で回っている時に、西側の高官と接触して、国家の重要事項を漏洩した疑いがかけられ、結果は有罪。私は強制収容所での重労働20年の刑を宣告された。
北緯66度に位置する収容所に送られ、そこで地獄を見た。蛇足ですけれど、北極圏の限界線となる北緯66度33分線を北極線というのよ。ラーゲリはまさにその線上にあった。だけど、私は死ななかった。1956年にようやく釈放されるまで、生き延びたわ。
収容所で寒さに凍えながら労働に従事している時、セルゲイの音楽の断片がパラフレーズとなって、いつも頭の中で鳴っていた。あの豊かな叙情のメロディー。ロシア人特有のメランコリー。シンデレラ、ピアノ協奏曲、ロミオとジュリエット・・・。
(セーラー服のまだあどけなさ残るセルゲイ。彼はチェスをこよなく愛した)
そう、1936年に初演されたバレエ「ロミオとジュリエット」だけど、完成1年前の段階ではハッピーエンドになるよう筋書きしていたのよ、セルゲイは!私は笑ってしまった。空前絶後の文学の神であるシェイクスピアの最も人気作品の結末だって、彼は平気で変えてしまう人なの。その理由というのが、バレエの振付において、生きている人は踊ることができるが死者は踊れない、といういかにも彼らしいものだったわ。
(時を経てなおチェスを愛するセルゲイ。お頭はちょっと寂しくなられたわね)
セルゲイは、1953年3月5日に死んだ。
彼の人生における最大の皮肉は、彼があれだけ恐れたソ連の独裁者スターリンが、彼と同年同月同日に死んだことね。
ミーラだってとっくの昔に死んだ。
彼のことを怒っているかですって?とんでもないわ。何故そんな馬鹿なことを聞くの?彼は死んで、私は生きているのよ。これほどの勝利があって?
(Lina Prokofiev)
★Charles Ives: Variations on “America” (1891)
アイヴス:アメリカ変奏曲
私はかなりのうっかり者である。友人宅を訪れて、さてお暇(いとま)して駅に向かっていると、「英里子さーん、靴を履き忘れていますよー」と、先ほどの友人が息せき切って追ってくることが何度かあるほど、うっかりしている。
なので、アイヴスの「アメリカ変奏曲」の楽譜が届き、主題をパラパラと弾いている時、「あら?これってイギリス国歌の『God Save the Queen』じゃないかしら?またいつものうっかりで、アメリカのつもりがイギリス変奏曲を買ってしまった」くらいにしか思っていなかった。
ところが、(珍しく)私は間違っていなかった。グレートブリテンおよび北アイルランド連合王国、通称イギリスの国歌、「God Save the Queen」を主題としたアイヴスのこの曲は、正真正銘「アメリカ変奏曲」と名づけられているのだ。
アメリカ国歌「星条旗」の由来をたどると、1812年~14年の米英戦争まで遡(さかのぼ)る。捕虜となった友人の釈放交渉のため、イギリスの軍艦に出向いた詩人で弁護士のフランシス・スコット・キーは、夜間砲撃後の夜明けの曙光の中で、味方の砦の上に星条旗が翻(ひるがえ)るのを目にする。
激しい砲撃にも関わらず、砦が死守された事に感銘を受けたキーは、その思いを高らかに謳い上げた詩を創作した。この詩はさらに、当時人気のあった酒飲み歌「天国のアナクレオンへ」のメロディに合わせてアレンジされていった。
そして1931年3月3日、キー作詞の「星条旗」がアメリカ合衆国の国歌として正式に採用された。
つまり、アイヴスの「アメリカ変奏曲」が作曲されたのは1891年当時は、あれだけ死闘を繰り広げた憎きイギリスの国歌を、ためらいもなく「アメリカ変奏曲」の主題に用いたほど、アメリカ国歌はまだあいまいな状態だったようだ。
アイヴズは、存命中は大して相手にされなかったが、現代においては大変な人気作曲家である。そんな今、このイギリス国歌の主題による「アメリカ変奏曲」は、本国アメリカでは、彼らが愛する「ブラックユーモア」として愛聴されているのだろうか。熱烈な愛国者たちは、行き過ぎた冗談として、この曲が流れるとこめかみの辺りにうっすらと怒りの静脈を浮き立たせるのかもしれない。
(America! この曲を弾くときの足元はもちろん英国ユニオンジャックのハイヒール)
参照:
The DoorsのクールなGod Save the Queen(27’55”):https://www.youtube.com/watch?v=gB37g7al-F4
Jimmi Hendrixの感動的なギターソロ、The tar pangled Banner :https://www.youtube.com/watch?v=sjzZh6-h9fM
★Frederic Chopin: Mazuruka Op.17 no.4, 他
ショパン:マズルカ 他
ショパンの秘められた憤りについて、怒りについて書こうと、来る日も来る日も呻吟し続けたが、私はついに筆を放り出した。
フランス王の愛妾たちが一斉に宝石箱の中身を撒き散らしたかのように、燦然と煌くような筆致が冴え渡る平野啓一郎氏の著、「葬送」を読んでしまった後に、ショパンについて書ける勇気など私にはない。
この本は、当時の留学先ベルリンに父が送ってくれた。私は貪(むさぼ)るように読み、鬼才とはこういう作家のことを言うのかと唸った。ショパンがピアノを弾く瞬間を捉(とら)える描写はいささか流麗に過ぎるほどで、もはや彼の曲そのものを聴くより饒舌であり、ショパンを弾くことから私を一時的に遠のかせたほどだ。
是非、ご一読ください。
(平野啓一郎氏著、「葬送」)
★Federic Rzewski: Winnsboro Cotton Mill Blues
ジェフスキ:ウィンスボロ綿工場のブルース
フレデリック・ジェフスキーはマルクス主義の政治色濃い作曲家だ。彼のよく知られた作品には、「不屈の民」変奏曲(政治闘争歌 による36の変奏曲)、The Price of Oil (石油価格)、Coming Together( 1971年のアッティカ刑務所暴動の際の、同刑務所服役囚からの手紙に曲付け)、そして今日弾く「ウィンスボロ綿工場のブルース」が入った曲集「ノースアメリカンバラード」など、体制への批判と皮肉、労働者や社会的弱者の側に立つ作品が多い。
(ある綿工場の家族)
ジェフスキーの「ウィンスボロ綿工場のブルース」の曲の中間部に挿入されるブルースは、作者不詳。1930年代の歌で、歌詞は、ノース・キャロライナの織物工場の劣悪な労働状況を歌っている。
Old Man Sargent, sittin at desk,(老いぼれサージェントが、デスクにすわっている)
The damned old fool won’t give us a rest(このくそったれは、俺たちに休みをくれる気がない)
He’d take the nickels off a dead man’s eyes(やつは死人から小銭を奪った)
To buy Coca-Cola and Eskimo Pies(コカコーラとエスキモーパイを買うために)
I’ve got the blues, I’ve got the blues(ブルース、ブルース)
I’ve got the Winnsboro cotton mill Blues;(ウィンスボロ コットン ミル ブルース)
You know and I know, I ain’t got to tell,(おまえも俺も知っている、俺が教えるまでもない)
You work for Tom Watson, got to work like Hell.(おまえはトム・ワトソンのために働く、死ぬほど働かされるのさ)
When I die, don’t bury me at all,(俺が死んだら、土に埋めてくれるな)
Just hang me up on the spoon-room wall;(ただ、部屋の壁に吊るしてくれ)
Put a gaffer in my hand,(手に親方を握らせてくれ)
So I can spool in the Promised Land.(そうすりゃ、天国でも糸巻き作業ができるってもんだ)
I’ve got the blues, etc.(オー、ブルース)
(Winnsboro Cotton Mill Blues)
・・・最後に、激しい怒りをどことなく瓢(ひょう)げたユーモアに昇華させて、七つの大罪Vol.1「憤怒(ふんぬ)編」は幕を下ろす。アンコールには、私がこの世で最もチャーミングだと思う曲を弾かせて頂きたいと思っています。