A Two Weeks in October, 2014 Vol.2
前編はコチラ→ http://www.erikomakimura.com/2014/10/a-two-weeks-in-october-2014-vol-1/
10月某日(木)
昨日は箱根の宿で東京の友人と無事合流。お宿の濁り湯に浸かり、お食事を頂き、夜はフォトグラファーの友人と3人、布団を並べて仲良く川の字になっての就寝となった。
今日は生憎の曇り空だが、私たちはススキ野で有名な仙石原と大涌谷を訪れるべく、宿を後にした。
ススキ野は台風の影響で紅葉が遅れているそうだが、曇り空から時折光がさす瞬間、ススキの穂が光を受けて煌めくのが美しかった。英語でススキはSilver Grass というそうだ。銀の大地。
(仙石原のススキ野。ススキは英語で Silver Grass)
ロープウェーで大涌谷へ。まるで絵に描いたような物見遊山である。いとをかし。
(大涌谷で長寿を願い、温泉卵を食す。)
夕方。箱根を後にして、東京はお台場に向かう。箱根の大自然と一変、東京のsci-fi な夜景で驚いてもらおうと、少々不便ながらお台場の高層ホテルに宿を取ったのだ。
今回の旅では万事ツイている私たちだが、ここでも部屋が大幅に屋がアップグレードされている。カーテンを開けるとそこには悪い冗談のように、レインボーブリッジ、東京タワー、スカイタワーの3点セットが借景として準備されていた。
ヨーロッパではこのような夜景は珍しい。フォトグラファーの友人の興奮の余波がこちらにも伝わってくる。彼女は今まで世界各国を散々旅しているのだが、今回の日本トリップで、そのダイナミックで多角的、豊潤、複雑にして神秘的な歴史と文化のレイヤーに完全に魅せられてしまったらしい。
私も彼女の目を通して、日本を再発見している。
この国の独自性。
例えば11世紀、ヨーロッパがまだ沼に覆われていた頃、日本では既に、世界最古にして最高芸術と讃えられる小説「源氏物語」が紫式部によって紡ぎ出されていたのだ。
そして21世紀の今、政治・経済両局面において長らく混迷が続いているとは言え、音楽やバレエ、ファッション、前衛アートの国際コンクールでは日本人が入賞・入選しないことの方が珍しいし、日本のミニマリズム、洗練、そして凄烈な追求の精神を愛してやまない欧米人は非常に多いのである。
ホテルを出てゆりかもめに揺られながら、私は今後の自分の在り方について思いを巡らせる。近未来的な風景が広がる中、刻一刻と変容して行く東京に居て、自分のスタイルを確立するなどというのはツマラナイ、「変容を柔軟に容認して行くこと」こそが自分の道であるという、不意の閃きがあった。
ちっぽけな今までのスタイルなど、ドブに投げ棄ててしまえ。
少々青臭くはあるが、ゆりかもめでのこの突然の啓示にしばし茫然とする。あゝ、このままあと5時間ほどゆりかもめに揺られていたい・・・。
しかし、その唐突な啓示に頭を痺れさせつつ向かった先は、立ち飲みならぬ、「立ちトンカツ屋」であった。会社帰りの酔いどれサラリーマンでごった返す中、同郷の友人と3人、ハイボール、梅干しサワーでカンパイ。そう、アーティストとしての啓示とヒレカツと梅干しサワーが三位一体となって、体内をグルグル駆け巡ってなんの混乱も来たさないのが牧村英里子という人間の特徴である。
友人と楽しい夜を過ごし、フォトグラファーとはホテルに戻って再びコアラのマーチタイムである。そして、糖分補給したところでフォトセッション。
午前3時。ようやく就寝。
(借景とフォトグラファー)
10月某日(金)
朝、フォトグラファーが目覚めるまで、ベッドの中にPCを持ち込んで仕事。今日こそ寝過ごそうと思ったが、今月末にまた本番が幾つかあるし、来月頭からはヨーロッパに戻る。少しの空き時間にも仕事を片付けて行かねばならない。いったん仕事にかかると私は此の世とは遮断された無我三昧に入る。その間、親しい友人たちはいつもそっとしておいてくれる。有難いことで深く感謝している。
午後からは合羽橋。目的は陶器買いにトチ狂うことである。今年で3回目だろうか。東京に寄るたび、この道具屋エリアで散財する私である。
ところで話は変わるようだが、私の生まれついての性質は、リスクテイカーである。またはギャンブラーとも言う。イチバチ勝負の修羅場向きに出来ている。
このことを熟知しているが故、私は自ら危険には近づかない。実生活では近づかない代わり、その代替として、パフォーマンスアートの世界で無茶をやって、ウサと普段溜まっている危険への渇望と欲求不満を存分に晴らすのである。
そして、ここから話の核心に迫っていくが、昨春、お友達と京都を訪れた際に、彼女が或る骨董屋さんに連れて行ってくれたことがあった。そして扉を開けた刹那、私の中の「お道具」に対する欲望のトグロが渦を巻き、うねり始めたのである。
コレは危ない。ハマったら、ピアノやら家やら、下手したら(買い手はいなさそうだが)いっそのこと身売りさえしかねない・・・。
私は小学生の頃から、青山二郎や小林秀雄、白洲正子の本を読んでおり、骨董やら何やら、オタクな雑学に埋もれながら生きているオンナである。猛烈な好奇心に物理的な対象(すなわち骨董お道具)が加わるとどうなるか。猫にカツオ節、破産は間違いなし、である。湯呑み一椀のため、私はピアノを売るタイプの狂気の人間なのだ。
・・・というわけで前置きが長くなったが、合羽橋である。この辺りの、罪の無い価格の陶器類で、適当に物欲をあやしている程度に抑えておくがよいのである。
(今のうちは)
楽しい。お買い物に付き合ってくれているお友達は、驚くほどいろんな分野に精通している。そして、ここが重要なのだが、一緒にいてただただ楽しい。このような友に巡り合えて、全くもって幸運である。
夜は韓国料理、その後はお友達の計らいで、素晴らしい夜景を臨めるプライヴェートバーに案内頂いた。
Tokyoとはマコトに面白い街だ。これまで多くの国の様々な街を訪ねたが、目下私の一番のお気に入りが、Tokyo。
10月某日(土)
午前4時45分起床。私は死んだ鯖を両肩に2匹ずつ乗せたような気分で歯を磨き、半分眠りながらフォトグラファーと地下鉄の駅に向かった。
そう、我々は築地市場に行くのである。4匹の死んだ鯖どころではない、何千匹という、生きた明石鯛や、シャコや、タコや、凍ったマグロの解体を見るのである。そして、お寿司を食べるのだ。そう、朝の6時半に、雲丹やらアジやらトロのお寿司を。
友人と駅で合流し、さて市場に着いてみて我々は絶句した。
物凄い数の男たちが、なんといったらよいか、そうだ昭和版のセグウェイのような乗り物に乗って、場内を暴走してゆくのだ。
そしてその男たちというのが、この平成の世ではもう滅多に見られないような「The Otoko」、とでも言うような、それは格好いい勝新太郎的な荒くれオトコたちなのである。
私はしばし幻惑されてしまった。どれだけヨーロッパ生活が長かろうが、西洋音楽をやっていようが、結局のところ私の中に流れる濃き暑苦しき昭和の血潮は、こういう「ザ・勝新」の世界を前にして燃えたぎってしまうのである。
半ば茫然としながら、私たちはお寿司屋さんを目指した。ああ、日本の行列。並んでいる。朝の6時半にお寿司を食べるため、人々は列をなしている。私もそのうちの1人なのだ。
3時間半待ちという怖ろしい噂を耳にしていたが、幸い2〜30分程度で席に通される。
…起きられないだの、朝は食べられないだの、アレンジしてくれた友人に散々ぶうぶうと文句を言っていたのに、私は雲丹を含む寿司9貫を間食し、人一倍築地を楽しんでしまった…。
築地を後にして、フォトグラファーの友人を空港に送り出すまで、東京のありとあらゆる場所に出没した筈だが、あまり記憶がない。
夜半、なんとか神戸の実家に辿り着いた。2週間ぶりの惰眠を貪る。
10月某日(日)
レッスンと練習の一日。Back to the disciplined life である。
今年は綱渡り的なスケジュールでここまで来てしまった。しかし、仕事をしながらではあるが思いがけず6日間の休みを取ることが出来て、友人たちと日本を味わい咀嚼し、その旨味にただ感動した。
今回、各所で体験したことは、滋養となって今後の創作に活かされてゆくはずだ。そして、休暇中に生まれた幾つかのプロジェクトも、そのうち動き出すことだろう。
これから来年4月の終わりまで、また狂気の日々である。数日レッスン室に籠もって、アチラの世界に行ってまいります。
うふふっ
Photographer Diana Lindhardt in Japan
Behind the Fusuma フスマノカゲデ
the envoy 使者
In the Silver Grass Field 芒野にて
Saint Tokyo 聖東京
Japanese Silence 沈黙
Fate イノチ
More photos by Diana Lindhardt here: https://www.flickr.com/photos/113316806@N06/sets/