November, 2014 Vol.4 2014年11月の記其の4

11月某日(日)

友人の9歳の娘は、私と友人が恐ろしくドレスアップして出かける度に、アタシも行きたい、アタシもオンナノコなのだから仲間に入れて欲しいと、可愛らしく唇を尖らせる。

私は友人に提案した。3人でガールズブランチに行こう。行く前に、みんなできゃあきゃあ言いながらネイルを塗り、パールをぐるぐる巻きつけ、ビーズ刺繍が入ったドレスを着て出かけるのよ。

昨日、ブランチへの招待状を友人の娘に渡しに行ったら大喜びで、嬉しくてどう反応したらいいかの分からず、母親の胸にぐりぐり頭を押しつけていた。可愛いすぎる。

というわけで、私たち3人はめかしこんで、Cafe Glyptoteket へ到着した。このカフェは博物館Glyptoteket の中にあり、壮大な彫刻や室内樹林された巨木を眺めながらのブランチは大変人気がある。

大人と同じメニューを頼んで満ち足りきった様子の友人娘。この子には愛に対する不安や揺らぎが少しもない、と安堵する。多少甘やかされていようが、ある程度の年齢まではタップリ愛されながら、安心の中で育つといい・・・。

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(博物館Glyptoteketにて1枚。ついついこういう構図で撮りたくなってしまう)

親娘と別れると、午後から練習に集中した。次のコンサートには、新しくチャレンジする曲もプログラムに入れてある。とにかく、少しでも時間が空けば練習したい。

夜はガールズたちとお食事会。異国に住む気の合う同胞の友人たちと会うことは、何をおいても優先させたいコト。みんな、初めて会った時よりさらに綺麗になっていっており、真摯にその道を生きる人たちはこんなにも輝くのかと、よいエネルギーをたくさん貰った。仲良くしてくれて本当にありがとう。

私の1日はまだ終わらぬ。名残惜しくもバイバイすると、本日最後のデスティネーション、VEGA へ。元祖エクスペリメンタル・ロックバンド「Swans」のショーに招待されていたので、気合いを入れ直して会場に入る。

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(SWANS)

2年前にこのバンドを初めて聴いた時、私の100万個ほどの聴覚細胞は死んだと思う。とんでもないド級のノイズメタルで、私と友人達はステージに上がって踊り狂った。完全にトランスに入ってしまい、スタッフに警告を受けたくらいだ。

何度も反復されるメロディーが特徴的で、休憩なしの3時間のコンサート。どうやって家まで帰ったのか覚えていないほど痺れた。

会場のVEGA にはたくさんの友人知人が集まっていた。日曜日の夜遅くにこんなハードコアなノイズ音楽を聴きに来る輩というのは、明日が月曜日だということを屁くらいにしか思わぬ社会のハミ出し者たちである(断定)。

前回も感じたが、彼らの反復による音楽はクラシックの世界から見ると単純と言えば単純なのかもしれない。しかし、彼らが創り出す爆発的なエネルギーはほとんど性的と言ってもよく、繰り返されるバスの爆音を浴びているうちに、衝動的に叫び出したくなるほどだ。

コンサート終了後、完全にトリップしてしまった友人たちと共に馬鹿騒ぎしたい気分だったが、次の日のことを考えてそのまま家路に着いた。先ほど書いたことと相反するようだが、ハミ出し者の私にも一応月曜日は巡ってくるのである。

11月某日(月)
昨夜のノイズでまた聴覚細胞が100万ほど死んだと思われる中、朝早くから日本と電話でやりとり。大幅に時間をくってしまい、11:00からのミーティングに大遅刻。ゴメンナサイ。

5時間かかったが、ようやくチラシのグラフィックも8割がた仕上がり、本当に嬉しい。仕事が少しずつ前進してゆく喜び。

明日は午前中に演出家とブレインストーミング、午後からは、メンバーとファンド申請の申し込み書制作。準備のため、今夜も夜更けまで仕事。

11月某日(火)
見事なブルースカイ!

今朝は、演出家とそのアシスタントとのミーティングでスタート。昨夜練った案をみなでシェアする。しかし、急遽決まったミーティングだったせいもあって少々準備不足だったと自覚。

私は、それぞれの分野のプロフェッショナルと話していて、自分の足りない点を認識するのが好きである。バカの1つ覚えのように同じテクニックばかり使っていたのだな、とか、なるほどその手があったか、とか、そんなことができるのか、など、発見の連続である。

しかし、ものすごいディティールに関する質問が続き、連日の疲れも重なって私は次第に煩悶し始める。ほとんど音を上げかけたが、そこをグッと耐えて質問に答えてゆく。

「これ」を経験するために、私は今、グループワークに身を置いているのだ。「これ」とは、自分の弱点をプロとの会話から徹底的にほじくり出す作業である。

自主企画のショーでは、良くも悪くも自分がボスで、全ては私の頭の中にあり、言葉を尽くしてサポートメンバーにイメージを伝えてゆく。予算も限られているため、大抵のことは自分でやらざるを得ない。

しかし、今属するグループにはしっかりと予算が付いており、プロによる人手がある。演出家に自分の空間をデザインしてもらい、衣装はイメージを伝えておけば買っておいてくれる。ライトデザイニングのプロもいる。

一見恵まれているようだが、この際私は確固としたイメージをすでに持っていなければならず、1人1人のプロにそれを伝えなければならない。どの色のカラーライトをどの角度からどの範囲でどれくらいの強さで照らしたいのか・・・。自分でやる時のように、「いろいろ試しながら」というのは無理だ。一発で伝える必要がある。

午後3時。次のミーティング相手が気遣ってくれて、このカフェまで来てくれたので大いに助かった。この時点ですでに4時間ぶっ続けでディスカッションしており、私は息をするのも辛くなっていた。

気持ちを切り替えて、ここからは全く別の企画立ち上げの話。

ゼロからの手書き草稿を手に、この企画をどう立ち上げ、どうファンドを取るか、これまた数時間かかって第1のマイルストーンまで話を進めた。

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夜、ベッドの中でこの日記を書きながら、体力に不安を覚え始める。今週も来週も再来週もこの調子だ。移動も多く、スウェーデンに行ったり、日本へのフライトもある。

大丈夫だろうか。

11月某日(水)
今日は1日レッスン日。

レッスン時の生徒との会話から学ぶことも非常に多くて、今後、演奏家としてだけでなく、教育についてもしっかり学んでいきたいと強く思う。

日本で6年、ドイツで6年の計12年も大学・大学院生だった私は、とんでもなく長い期間教育を受けてきたが、教育において知らないことがまだ限りなくある・・・。

最後のレッスン後は、先日に続いてまたお友達が美味しい夕食を饗して下さった。家族揃っての温かくて楽し過ぎる会話。

この家族はトリリンガル(3カ国語ペラペラ)である。状況やそこにいる同席するゲストの国籍に応じて、速やかに言語をスウィッチする。これはもう家族全員の努力の賜物で、誰か1人音をあげたらなし得ない偉業だ。今日は私に合わせてくれて、終始日本語での会話だった。

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ドイツのハノーファー音大生時代、私はベルリンから通っていたのだが、その折よく医者のご夫妻のお家に泊めて頂いていた。本当に親切な方たちで感謝に堪えないが、正直そこでの時間が苦痛で仕方が無かった。

教養高く、食事どきの会話はドイツの偉大なる詩人たちの押韻やメタファー、音楽と文学の相互関係、ミュージアムで観た絵の分析など、テーマは興味深いものだったが、なにぶん私には難しすぎた。

(その時点で)4年ドイツにいても、この会話についていけない自分のドイツ語力を私は毎回呪ったものだ。そして同時に、そこそこのドイツ語レベルの私に、なぜ大学の文学部レベルの韻やメタファーの話をするのか、せめてもう少し日常レベルに会話を引き下げてくれないものだろうかと、理解に苦しむ自分がいたのも否めない。

医者ご夫妻の私への接し方は正しいのだ。その国に住む外国人は、その国の言語を正確に話し、正確に理解するべきだ。言語はインティグレーションへの最短の手段の1つなのだから。

しかし、最も話しやすい言語で、伝えたいことを伝え合うのがそんなに悪いことであろうか。私の英語のレベルはドイツ語よりもかなり高く、ご夫妻もそれは承知だった。どうしてもリルケの韻の話がしたいのなら、英語で弾む会話が出来たのではないか。その晩彼らは延々詩について話し続け、私はほとんど何も返せないまま終わった・・・。

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これは私が国民性というものをきちんと理解していなかった頃の、幼い愚痴話である。日本では場を「読」み、「行間」のニュアンスを理解しながら会話することが多いと思う。対してドイツでは、自分の主張を最も的確な言葉で相手に伝えることが非常に重要である。リルケについて私と「中途半端」な英語で話し合っても、彼らにとって意味がないことだったのかもしれない。

国民性の話をすると、すぐに人をステレオタイプ化する狭量な人、と思われることもある。しかし、少なくとも21世紀前半の現在、国民性というものはハッキリと存在する。これを無視して外国人がその国に住むというのは無知蒙昧と、この10数年で学び尽くしたと思う。

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素晴らしく楽しい時間を過ごさせて頂き、温かな家族に見送られて帰途に着く道すがら、対照的なドイツ時代の出来事をふと思い出した。

長い間会っていないが、あのご夫婦は今どうされているだろうか・・・。

11月某日(木)

午後、気の重い案件についてミーティングがあった。2時間の話し合いで本当に疲れきってしまった。しかし、解決の糸口が見つかったのが何より。

楽しいことばかりではないが、生きている限りは出来るだけ温かい人、美しいものに囲まれて過ごしたい。そのための努力は決して惜しむまい。

夜は、知人が出演するパフォーマンスに招待を受けたので、観に行った。1971年制作の映画、Pink Narcissusへのオマージュ的パフォーマンスで、私の知る最も美しい男の子の1人が主演。

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(映画、Pink Narcissus。1971年制作。主人公のナルシズムをいかんなく映し出したカルトムービー)

演じる知人は確かに美しかった。しかし、コンテンツに欠け、美しい以外それ以上でもそれ以下でもなかった。

ショー鑑賞後、猛烈な空腹を抱えたまま同行の友人とチャイニーズレストランへ駆け込む。美しいナルシスト像はあっという間に吹っ飛び、私たちは海老のワンタンスープで冷えた体を温め、春巻きを囓り、メインの黒胡椒と肉、野菜の炒め物を仲良くシェアしながら、呆れるくらい喋りまくった。

それにしても、と思う帰り途。人の心に刻まれるようなパフォーマンスをするとはなんて難しいことなのだろう。今年は忙しすぎてあまりコンサートや観劇を経験できていないが、去年などは1週間に5回コンサートやオペラを観に行っていた。しかし、今に到るまでそのうちの一体幾つの演奏を覚えているだろうか。

中途半端なことは出来ない。「失うものなど何もない」といった時期はもう過ぎてしまったのだから。

11月某日(金)
12月のコンサートに向けて午前中は練習。

ランチはダンディーな殿方と。この方はしばしばチャーミングで楽しいメールを下さり、私は胸トキメカセながらそのメールを読むのである。今日も非常に楽しいひと時だった。

夜までもう一仕事。

アフター6、友人のギャラリーオープニングにお邪魔した。彼女はいつも素晴らしく前衛的なアートをSNSに投稿しており、私に新世界を見せてくれるメンターだ。オープンング、おめでとう。

親友と落ち合って、メキシカンレストランでセビーチェをオーダー。

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(Four legs going out.)

コペンハーゲンは小さい小さいと言うが、面白い人がわんさかと住んでいる。ベルリンに6年以上住んだが、これほど面白い人たちと出会ったかは疑問である。

目の前の友人も、怖いくらいの才能の持ち主。NY、ロンドン、パリ、東京からもアツイ視線を受けているアーティスト。

近いうちにNYに行こう!と気勢を上げた。

11月某日(土)

今週やり残した仕事を一気に片付けていく午前午後。情けなくなるほど、延々と終わらない作業。

夕方から餃子を100個作り、夜の友人宅でのクリスマス会に持参した。まだ11月なのに、もうクリスマス会。

友人宅では、伝統的な焼き豚料理、レバーパテ、ニシンの酢漬け、ミートボール、サラダがズラリと並び、そこに餃子は非常にチグハグで可笑しかったが、餃子はヨーロッパ人には大人気である。今夜もあっという間に無くなってしまった。

私はまじまじとテーブルを見つめた。このテーブル図はそのまま、ここに座っている人たちと私の縮図であろう。10数人のデンマーク人に1人の日本人。デンマークの伝統的なクリスマス会に、1人餃子を100個作って持ってくる極東の女。私は1人でこっそり笑った。

2時間ほどで席を辞し、今日最後のアポイントメント場所へ。会を途中で抜けるのは気が引けるが、友達が開催するショーに前々から招待を受けているのだ。遅れちゃったけれど、誕生日プレゼントね、とチケットを写真集とともに送ってくれた優しい友人。

会場にはたくさんの友人が集まっており、みな過激に着飾っている。ショーの内容は割愛するが、それはそれは長い夜となったのだった。

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(ドラッグクイーンの友人と。写真をありがとう、Marie!)

 

November, 2014 Vol.3 2014年11月の記其の3

11月某日(日)

この1週間、1日とて晴れ日はなかった。今日も、雨風吹き荒ぶ憂鬱の日曜日。

そんな1日の始まりは、ベビ付きのミーティングから。ただいま9ヶ月のベビボーイが愛らしすぎて、なかなか仕事に集中出来ない私だが、ベビの母親とのミーティングの間は父親がベビをあやしている。ここのカップルは特別うまくいっているケースだが、男性の育児へのコミットメントについては、北欧を語る上での重要要素であると思う。

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ミーティングが終わると、次の約束場所まで車で送ってあげようと言う。ベビが眠そうだし、外は大荒れなので、いいよいいよと遠慮するが、大丈夫の一点ばり。あっという間に家族全員モコモコのコートを着ると、外に出てエンジンを吹かし始めた。

母親が運転席に座る。ベビと2人でのドライブはまだ心配で出来ないし、家族3人の時は必ずダンナが運転する。今日はErikoが居てくれるから、私はスキル向上のために運転できるし、ダンナは助手席で運転指南してくれる、ベビはErikoに任せてといいこと尽くし!と、どこまでも明るい。

母親になっても、仕事の質・量ともに、以前と変わらずこなしている彼女に讃嘆を送ると、返ってきた金言。

Work less, be smarter.

賢い・・・。

午後からは、お花のお稽古。恥ずかしながら1年2ヶ月ぶり。しかしながら、先生もお稽古仲間も温かく迎えてくださり、楽しくはしゃいだひと時に身をおいた。

夜は、友人宅で手料理をご馳走になる。誘ってもらった時からずっと楽しみにしていた、今宵のお食事と友人との会話。私は彼女の作る料理が大好きで、その心尽くしを賞味させてもらいながら、料理はその人の優しさや滋味が沁み出したもの、と改めてしみじみしながら旨みそのもののお出汁を頂く。

ひどい嵐の中、満ちた心地で家路につく。

11月某日(月)
昨日のお花が1年2ヶ月ぶりなら、今日これから会う友人とは2年ぶりの再会となる。

彼女とはちょうど2年前の私のリサイタルで初めて会った。私の友人の友人ということで、彼女は演奏後の私の手を強く握り、花開くような笑顔を見せてくれた。

二言三言話しただけだが、握ってくれた手の温かさとアイスブルーの瞳の上にはね上がるような強い眉が印象に残り、その後もメッセージなどでやり取りが続いていた。

しかしながら、なかなか会う機会には恵まれず、今日の再会まで2年の月日を要した。

現在制作中である映画の音楽・サウンドを担当しているという彼女。先週まではボーンホルム島、来週からはマヨルカ島へクルーとして同行と、かなり多忙らしい。

 

2年前のErikoのリサイタルでもらったプログラム、まだ取っておいてあるのよ。すごく素敵なプログラムだった。

 

こういう言葉ほど嬉しいものはない。自主企画のショーは、とんでもない労力と時間をかけてゼロから練り上げてゆくもの。華やかな舞台の陰には、数カ月に及ぶ不眠と、肉体労働と、サポートメンバーたちとの膨大な数のメール・電話・ミーティングがあり、自分でも一体なぜこんなに苦しい思いを自ら課しているのか、もはや分からなくなってくる次第。

ミーティング後は、レッスン。

いつの間にこんなに成長したのだろう・・・と驚きを禁じ得ない中学生の生徒。歴史、芸術、文化、国際問題、そしてついにはメタフィジカルな話題にも容赦なく(?)足を踏み入れる私だが、的確な返答があるので理解しているらしい。それどころか、私の方がハッとさせられるようなアングルからの切り返しがあるので、レッスンが楽しくて仕方がない。

お夕食まで頂いて、本当に感謝。

 

11月某日(火)
去年の秋、お友達の義両親が彼らの地元でのコンサート開催に協力して下さり、泊りがけの旅では本当にお世話になった。今日、1年ぶりにお目にかかる機会を得て、一緒にお茶を頂いた。お話しているうちにコンサート当日のエピソードを思い出して、大笑いとなった。

ほとんど病的なほど頻繁にコトを起こす私は、それゆえ実はかなり用心深い。特にコンサート前は、念入りに持ち物チェックをするし、ドレスはもしもの時に備えて2着持っていくことが多い。

そのコンサートの時も、何が起こってもよいように、ドレス2着、靴も2ペア、ストッキングやその他小物もおさおさ怠りなくパッキングした。

コンサート開演30分前、私はお気に入りのエレガントなロングブラックドレスに着替えた。

・・・とその時、「ポフッ」という威勢のよい音とともに、背中のジッパーが勢い良くとんだ。こちらのジッパーは日本が誇るYKKを知る身としては、まるでオモチャのようなクオリティー。しょっちゅう壊れるのにはもう慣れ切っている。

私は気を取り直して、2着目をスーツケースから取り出した。自分の用意の良さを世界に誇りたい気分である。

・・・とその時、再び「ポフッ」の音が控え室に響いた。まさか。エリコは「まさか」の状況が大嫌いである。それを知らない神でもあるまいに・・・。

2着目のジッパーも、華麗にとんだ。

私はさすがに青くなり、客席に座っていた友達とそのお義母さまを呼んだ。どうしよう、着るものがなくなってしまったわ。

お義母さまは2枚のドレスを代わる代わる見て、これは今すぐ直すのは無理だとおっしゃる。開演5分前。

スーツケースの中をグチャグチャに掻き回し、私は自分のパジャマを見つけて引っ張り出した。黒のスリップ型で、長く着ているせいでどう見ても舞台で着られるシロモノではない。

ああ。

開演時間になり、私は臍を固めた。友人が纏(まと)っていたスカーフをお借りし、もう1枚自分のスカーフも組み合わせ、安全ピンでパジャマに止め付けた。盆暮れ正月を一緒に祝ったような国籍不明の装いと気分で、私は5分押しの舞台へと向かった。生まれて初めて、パジャマで舞台に立ったのだった。

・・・私がここから学んだことは、「次回は3着のドレスを準備しよう」では決してない。パジャマだろうがハダシだろうがスッポンポンだろうが、柔軟に状況に対処してゆく姿勢である。

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午後は、心にかかっていた用事が友人の助けにより落着。何度もこの場で呟いているが、この友人たち無くしては成り立たない私の毎日。

11月某日(水)
2015年9月にスウェーデンのマルメで1ヶ月に渡って開催される「Sisters Academy」のワークショップがいよいよキックオフ。

8月一杯を準備に充て、9月1ヶ月間全寮制の学校(ボーディングスクール)を開く。我々パフォーマー20名は、授業、個人レッスン、パフォーマンス(私ならリサイタル)を毎日行い、寝泊まりの全てを参加者たちに24時間「見られる」生活をすることになる。
その昔フランスルイ王朝時代、王たちの暮らしは完全にシースルーだった。王宮への出入りを許された貴族たちは、王様が洗顔するところや、女王の髪結いなど、見学して歩いたという。

歴代ルイ王と比べるのもおこがましいが、21世紀型のプライベート重視型生活にひどく満足している私は、すでに今からゲンナリしている。小さい頃からキャンプやお泊まり会、学校での泊まりがけ行事に慣れ、ヒッピー型の放浪の旅も多く経験しているヨーロッパ人の同僚たちでさえ、「無理・・・」と絶句している。

それで、なぜこんなにゲンナリしつつもオファーを受け入れたかというと、

・アーティストの同僚たちが素晴らしい
・パフォーマンスアートという分野の勉強を実地で体験できる。もちろんアーティスト費は支給される
・グループでの仕事を経験する必要に駆られた

の3点が決め手だろうか。

今までは、自分で企画し、そこにサポートメンバーや協力者を得てショーを展開するケースが多かった。また室内楽やアンサンブルの場合でも、それぞれ同等の立場で共演となる。他人の企画に賛同し、そのフレームの中で仲間たちと共生しながら最大限の自己を発揮する、という作業をこれまでほとんど経験していない。ギリギリ若いうちにこれは是非やっておこうと思った次第である。

また、リーダーがどのような人を採用するのか、全く違ったプロフェッションを持つアーティスト同士がどのようにグループで共存していくのかにも非常に興味がある。その中で自分がどのような役割を担ってゆくのかも。

本日は5時間のワークショップ。参加者は、私を含む旧メンバー8名、新メンバー6名。(あとの6名は参加出来ず)。今日のメンバーの国籍はデンマーク人10名、スウェーデン人1名、オーストラリア人1名、ハンガリー人1名、そして日本人の私1名で、会話は英語。デンマーク人同士の私語も英語と徹底しており、外国人としての疎外感は一切感じない。これは非常に重要なことだ。言語バリアによる摩擦や孤独感の大きさは、海外に住む外国人にとっての悩みの種であるから、この点で心配する必要がないのはありがたい。

自己紹介、リーダーによるレクチャー、質疑応答の後に、新旧混ざってのメンバー同士のインターアクションと続き、15時に閉会。

気づいた点をメモ。

・パフォーマンスアートと教育を融合させた、センシュアス(感覚的)な未来型のプロジェクト → コンセプトは非常に面白いが、「教育」とは、一言で一刀両断出来るものではない。独自のメソードを生み出し、フレームワークを同僚と共同で遂行していくには、膨大な時間とリサーチが必要。また、未来を見据えた教育とは何か。課題あり。

・パフォーマーには、精神科医、フォトグラファー、音楽家、俳優、舞踊家など、それぞれの分野でのプロが多いが、私個人的には前回の「Sisters Academy」で、自分のプロフェッションが活かしきれているとは思えなかった。音楽家養成アカデミーではなく、自分の知識を最大限に使ってという仕事ではないゆえ、違ったアングルからのアプローチが必須。半年かけて、じっくり練っていこう。

・気遣いの人が多いため、場を壊さないようにするせいか、問題点をクリアに出来ないケースが多々見られる。グループ内での最も不明な2点について私がリーダーに質問したら、あとから個々のメンバーに「ありがとう。言ってもらえて、すごく助かった」と感謝される始末。喧々諤々(けんけんがくがく)のディスカッションは私も大して好むところではないが、綻びを見つけては即解決していくのが理想。それが無理なら、少なくとも「ココに綻びがあります」と明示しなければならない。また、それが容易に言える雰囲気作りも。

課題は多々あるが、面白いプロジェクトであることには変わりない。このメモを元に、今度の1時間の個人面談で話す内容をまとめていこう。

11月某日(木)
曇天雨嵐、11日目。

夕方まで黙々と仕事。夜は中華レストランにて楽しい楽しい夕食会。

11月某日(金)
朝9時より、リーダーとの二者面談。先日のワークショップで気付いた点、今後の課題を1時間にまとめて伝える。

この際、自分の会話力、プレゼン力を冷静に判断する自分がいる。相手が抽象論として話を展開したいらしいと読みながら、こちらが提示したいのは完全に現実論である場合、どのように自分の思っている方向へ会話を運んで行くか。下手なパワーゲームに発展させることなく、前進のために不可避な会話なのだと真摯に伝える術を自分は充分持っているのか。

語学力とコミュニケーション能力は違う。どれだけ難解な単語を用いていても、空虚に言葉をもてあそんでいるようにしか聞こえぬこともある。

自己評価:私にはコミュニケーション能力はほどほどにあるようだが、語学力が不足している。英語を再勉強しようと、面談後に強く決意。

Cafe Europa でホームメイドのレモネードを飲みながら、来週から始まるファンド申請のための草稿用資料をネットで集める。その間にも、先ほどの面談での会話を反芻していた。

やがて同僚の1人から、自分も面談が今終わったので一緒にランチを摂らないかと電話が入り、Nikolaj Kunsthal に付属のカフェレストランで昼食。

隣の席にわんさかと政治家が座っていた。「Venstre (左)」という政党名なのに、ポリシーは「右」よりの政治団体(「右」ではなく「リベラル」だという意見も)。

音楽家に音楽家臭がするように、政治家には政治家臭がする。先週誘われた、大手のPR会社のパーティーには100人からの広告マンが集っていたが、彼らもみな揃って同じ臭いがした。

その世界にどっぷり浸かっていると、我々はどうやら発酵し始めて、独特の臭いを発するらしい。

妙に感心しながら、次のアポイントへ向かう。ポスターとチラシ用のグラフィックを出来るだけ早く仕上げてしまわなければならない。

題字の配列を決め、文字情報を流し込んだ。一緒にに良いものを作っていこう、と妥協を許さぬ仕事をしてくれる彼女を前にして、私もまた奮い立つ思い。


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(美しい人が残していった抜け殻。仕上がりまであともう一歩)

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この時点で、まだ2つミーティングが残っている。

再び街中に戻り、ワインがどうしても必要と言う同僚に従って、ワインバーで会合。真面目な仕事の打ち合わせだが、もうこれだけ疲れてくると、1杯入った方が良いアイディアも浮かぶというものだ。

彼女は私をパフォーマンスアートの世界へ引き込んでくれた人で、あまりに頭脳明晰ゆえ、学校を2年も飛び級したスーパー才女である。また凄い美女でもあるので、バーに入るとそこに座っていた男の人たちの顎が一斉に落ちたので、可笑しくなってしまった。

乾杯して近況を報告しあった後、私がどうしても腑に落ちない「ユートピア・ディストピア」について、かなりの時間を割いての論議となった。青臭いようだが、一緒に進めていくプロジェクトに関して方向性の一致を模索するにあたり、様々な点で深い相互理解が必要なのだ。

彼女と別れた後、今日5つ目にして最後のアポイントへ向かう。すでに22時。気温0度の中を、疲労と空腹でフラつきながらも足早に急ぐ。

11月某日(土)
昨夜は最後に会った友人と夜更かしして、そのまま友人宅に泊まった。

朝は思いっきり寝坊してしまった。キッチンに行くと、友人がカフェオレを淹れてくれた。

私たちは昨夜のバーについて語り合った。そのバーは最近オープンしたのだが、そこにいた女性の10人以上は間違いなくコールガールだったのだ。気の利いたバーフードも出す、内装の素敵な品のいいバーである。そこへ、だだっと入店してドリンクも頼まず、いきなり男性たちにピッタリ寄り添って踊り始める女性たち。

ちょっと観察していると、明らかに「元締め」らしいマダムの姿が浮かび上がってきた。青白い陶器のような肌の、髪を赤く染めたブラックドレスに身を包んだ女性だ。

店のスタッフたちと親しげに話しているところを見ると、どうやら店側から雇われているんじゃないか、と友人が言う。

どの国でも街でも、コールガールを見かけることは珍しくない。ドイツなどでは合法化のもと、彼女たちは自営業として税金を納めている。

しかし、こんな街のど真ん中の普通のバーで、しかも大量に、(多分)店側に雇われているところに遭遇するのは初めてかもしれない。

毎日新しい経験の連続で、その経験を消化する時間が足りない。

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午後からは、2週間前から約束していた通り、大好きなお友達のお家でゆっくりノンビリ過ごさせて頂いた。

この先何があろうとどこに住もうと、デンマークと縁が切れることはないだろうと確信しているが、その理由の1つに、このお友達がここコペンハーゲンに住んでいるから、というのがある。

ふんわりやさしい手作りの栗きんとんでお出迎えがあり、この1週間の疲れや心配がその甘さの中に溶けて消えていった。お言葉に甘えて、2つ目にも手を伸ばした。

夜は絶品のヴェトナミーズ春巻き、白アスパラガスと蟹のとろみスープ、自家製(!)納豆にふっくらご飯をご馳走になった。デザートはこれまたお手製の、シロップ漬けジンジャーをトッピングしたアイスクリームと柿。

そして、「Erikoちゃんにピッタリのラベルだと思って」と、この夜のために用意して下さったワインを見て、私は顎が外れるかと思った。ワインのラベルには、アールヌーボー調の蠱惑的な孔雀が、金色で描かれていたのだ。

ご存知の方もいらっしゃるかもしれないが、私は今年よりコンサートパフォーマンスシリーズ「七つの大罪」にかかっており、現在Vo.4「プライド編」の草稿作りに唸っているところである。そしてこの「プライド」を象徴する生き物というのが孔雀であり、インスピレーションを受けるため、私は孔雀のグッズを集めているところなのだ。

最近は孔雀の指輪を買ったところで、その指輪とワインのラベルのそれとの類似性にほとんど驚愕してしまう。

image (孔雀の指輪とワインの指輪。完全なるシンクロニシティー)

 

少し前、私がその指輪を大切にしているのを見て、また私がそれをなぜ買ったのかという理由を聞いたアーティストの友人が、何かを考えるかのように暫し沈黙した。そして、やにわにバッグの中より美しい房の付いたベルベットの布を取り出して言った。

「Eriko、このスカーフをあなたにあげるわ。一目惚れして買ってから、いつか身に纏おうと思いつつ、何故か一度も使うことがなく2年が経ってしまった。Erikoの話を聞いて、あなたこそがこのスカーフの持ち主に相応しいと思う」

広げてみると、そこには見事な孔雀のの刺繍が施されていた・・・。

孔雀がまわりに集まり始めている。愛する人々の優しい思いのおかげで。

今日の素晴らしい午後からの時間によって、私はまた少し強くなれたようである。

帰途、孔雀について調べていたら、孔雀の鳴き声というのが

「イヤーン♥︎ イヤーン♥︎」

というらしいと知り、電車の中で思いっきり吹き出してしまった。明日にでも、孔雀ワインのお友達にこのことを伝えなくては。

11月の記其の4へ続く・・・。

November, 2014 Vol.2 2014年11月の記其の2

11月某日(日)

北欧の秋は短くどこまでも透徹で儚(はかな)い。

人が夢を見ると書いて、儚いと読むのか…。詩的要素に著しく欠如した私でさえ安い感傷的な詩人に仕立て上げてしまう、北欧の輝けるように美しい秋の日曜日。

日本で見ている受験生から送られてくる楽典(音楽の文法)の宿題を、添削する仕事で本日はスタート。私が仕切った期日ごとに、宿題を写真に撮ってメールで送付してもらっている。いま一度楽典を勉強し直す機会に恵まれ、本当にありがたい。学生時代、なぜあんなに嫌い抜いていたのだろう。

午後は、コペンハーゲン中の様々なイヴェントをオーガナイズしている友人に会いに行く。今日はフリーマーケットを開催しているとのことで、他の友人も誘って会場へ。

そのイヴェントオーガナイザーの友人は、今年2月に男の子を産んだ。彼女の出産予定日、私はちょうど日本からパリ経由でコペンハーゲンに戻る便に乗っていた。夜、疲れ果ててコペンの空港に着くと、なんとスイカのように大きなお腹の彼女が出口で大きく私に向かって手を振っているではないか。

どうも今日は生まれそうにないから、Erikoを迎えに来ることにしたと笑顔で言う彼女を、私は胸が詰まってなんだか口が聞けず、ただ強く抱きしめたものだ。

会場で、コーヒーとチョコレートケーキをお供に近況をアップデートしあう。彼女は先月から、月に1回分のイベントオーガナイズから得る収入をまるまる子供基金に寄付することに決めたそうだ。そんなに多額な寄付は出来ないけれどね・・・とほほ笑む彼女はまだ30になるかならずである。なかなか出来ることではない。

近々彼女にインタビューをして、日本語で1本記事にまとめ上げることを約束する。

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(photo by Rita Christina Biza♥︎ 背景のピアノで去年パフォーマンスをした)

掘り出し物を幾つか下げたまま、アート仲間とミーティング。突貫工事ではない、サステイナブルなアートフレームを構築していくため、私は仲間たちと何度も何度もミーティングを重ね、ブレがないか、同じ信念・美学をもって同方向に進んでいるかを確かめ合う。結局、人間同士が生み出すものなので、一緒に企画を遂行していく過程というのはそのまま、その人の人となりを学んでゆく過程でもある。

短いミーティングだったが、互いの琴線に確かに触れ合ったという静かな興奮に包まれながら、次の待ち合わせに急ぐ。

デンマークの伝統料理レストランでのある会に寄せて頂き、ああコペンハーゲンに住む同胞の方々というのはなんと滋味深くてあったかいんだろうと、クリスマスビールを飲みながらしみじみ感じ入る。食べたものがそのまま私を形作るように、素晴らしい人たちに会うことで、豊穣にあやかり、心に栄養を頂くことで人として潤っていくことが出来る。

実りの多い秋の1日であった。

11月某日(月)
ドラフトを書いただけで暫く放っておいたプログラムノートの校正に着手。昨夜、文学談義を楽しませて頂いたおかげで、ようやく重い腰を上げる気になった曇天の月曜の朝。

実はこのプログラムノート、いわく付きである。数ヶ月前にコペンハーゲンからアムステルダムに飛ぶショートフライトの中で、突如として何かが降臨。紙ナプキン4枚をフライトアテンダントから貰って一気に7つの物語を書き上げた。しかし、着いたアムスの空港で私は完全に放心してしまい、その4枚を空港のどこかに置き忘れてきてしまったのだ。

アムスから関西空港への飛行機に搭乗してから紙ナプキンの紛失にはたと気づき、私はシートベルトを付けたまま膝に突っ伏して慟哭した。

悲しみにくれながら日本までのフライト中に書き直しを試みたが、筆致に勢いとリズムが戻らず、そのまま今になるまで手をつけられずにいたのだ。

悲嘆の中で書きつけたメモを読み直すと、なるほど確かに筆致はイマイチ冴えない。しかし、紙ナプキン4枚を失くした私の慟哭がそこはかとなく透けてみえる点が、ちょっといい感じのような気もする(気のせいか)。

夢中で校正しているうちにあっという間にレッスンの時間になり、慌てて外に飛び出した。

そしてレッスン後、急いである場所へ向かう。

昨日、急遽ミニコンサートの話が持ち上がり、グランドピアノがあるヴェニューへと走るエリコ。

充分リハーサルに時間をかけてリサイタルを行うのも、今日のように前日にリクエストを受けて弾くというのも、音楽家に求められたタスクだと思う。今後、ゲリラコンサートをどんどん入れていこうと誓う。本当に、コペンハーゲンのお友達にはいろんなアングルから育てて貰っている。

Andersen Bakery様から、丸々1ホールのリンゴケーキを差し入れて頂き、大感激。こんなにココロときめくプレゼントがあろうか?コックリとした蜂蜜色のキューブ型のリンゴがコロコロと詰まったそれは美味しいケーキ。

数年前の夏、北シェランドのサマーハウスで数週間を過ごしたことがあった。庭のリンゴをもいで、生まれて数ヶ月の仔馬に1日1個あげに行っていたのを、ケーキを頂きながら思い出した。確か、エスメラルダという名前だったあの愛らしい仔。今はどうしているだろうか。

それにしても、リンゴという響きの愛らしさは他のフルーツには到底敵わないだろう。キウィ、ミカン、ブドウ、梨、バナナ・・・。

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(Andersen Bakeryのリンゴケーキ × グランドピアノ。黄金の秋色)

11月某日(火)
午前中は、来週のワークショップの準備。来年8、9月のスウェーデンでのアート・教育プロジェクトのため、コペンハーゲンで2回、スウェーデンのマルメで1回のワークショップが、次の2週間で開催されるのだ。

午後の一瞬の隙を突いて、お友達と再会。いつも素晴らしいタイミングでメールをくれる気遣いの人。メールで楽しいやりとりがあるので久々に会った気がしないけれど、実際会って話す楽しさといったら!

近々ボトルを空ける約束をして、コートとダウンジャケット越しのハグを交わす。そう、コペンハーゲンは秋を通り越して、もはや初冬の匂いに満ちている。

そして夜。友人たちが出演中の人工精神病棟空間でのパフォーマンスを体験しに、Valbyの指定された場所へ向かう。

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Ventestedet by  a Copenhagen based artistic collective SIGNA (photo: Arthur Köstler)

 

・・・人工精神病棟空間・・・ (私の造語です。対訳に困った末・・・)

19時シャープに始まり、終わるのは24時という、パフォーマーと参加者たちとの完全なるインターアクション型の5時間に渡るサイコパフォーマンスである。

プロットを大まかに説明すると、ヨーロッパ中に蔓延した病原体を保有した患者とその治療チーム(パフォーマー全25名)が住む精神病棟に、私たち参加者(50名定員)が病原体を保有した新患者として入院するという設定。建物1棟まるまるを病棟に仕立てられており、精神を冒されたそれぞれの病人室で我々参加者は彼らのくりなす狂気に巻き込まれてゆく。

治療チームは、患者に精神・肉体両面の治療を施し、私たち参加者を新たな入院患者として、徹底的にマニピュレイトしていくのだ。

参加者たちは、自分を狂気に冒されていると信じるも良し、ノーマルだと信じて徹底的に医療チームに反抗するも良し。我々の態度によって、パフォーマー側も一気に、またじわじわと態度を変えて打って出てくる。

その間の5時間、我々のスケジュールは徹底的に管理されており、参加者は医療チーム・古参の入院患者によって、次々と病室、診察室に誘導されていくシステム。

24時ぴったりに病棟を追い出され、一緒に行った友人3名と外で顔を見合わすや、私たちはセキを切ったように自分たちの経験を話し始めた。

私たちはそれぞれ違うグループに振り分けられていたため、この5時間に経験したことはかなり違う。

好き嫌いの多寡はあろう。しかし、完璧にオリジナルで完璧にオーガナイズされた、このような前衛アートフレームを創り出した原作者のプロフェッショナリティーに頭を垂れぬわけにはいかない。

このパフォーマンスについては改めて詳細をレポートしようと思う。

就寝午前4時。

11月某日(水)
昨夜の経験を反芻するべく、一緒に参加した友人の1人と午後からディスカッション。今日は完オフを取ろうと決めていたのに、結局熱烈に話し込んでしまい、夕食を食べながらさらに話しに話し、結局夜中の0時になってようやく解散。

母語でのやりとりでなくても、同じ言語を話していると感じられる仲間がいるのは本当に素晴らしい。逆に、母語で話しているのにコミュニケーションが取れない、通じ合えないケースが一番辛く感じる。

11月某日(木)
フォトグラファーの友人と写真の編集作業に入る。お昼時に会おう、簡単なランチを作るねとメールを送ってから急いでスーパーに行き、はたと気づいた。恥ずかしながら、コペンハーゲンに戻って以来初めてのスーパーでの買い物だ…。本当に、方々でご馳走になってばかりです。寄食させて下さっている皆さま、この場を借りて深くお礼申し上げます…。

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(おにぎりどうぞ  みそ汁もどうぞ…   エリコ感動)

炒飯と卵入りの中華スープ、肉じゃがとシンプルなグリーンサラダという折中献立を立てる。肉じゃがは余計だったが、何かをコトコト煮たい気分で材料を揃えてしまった。

ジャガイモの皮を剥いたり、タマネギを飴色に炒めたり、卵を溶いたりという行為が私は単純に好きだ。無我  ー 野菜や米や調味料に対して、ただただ無我でいられるのが無性に良いのだと思う。

食事を終え、写真と向き合う。写真編集は、本当にもう気の遠くなるような作業だ。コンセプトを確認しながら、全体・細部の色調をほんの少しずつ変えて、整えてゆく。行っては戻り、行っては戻り。

休憩なしで数時間仕事をして、とりあえず出来上がったものを一晩寝かせることにする。近付きすぎた作品をいったん突き離すのは、音楽家も小説家もやること。明日の朝、新たな眼でもう一度見てみようということになった。

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(フォトグラファーのMacのスクリーンセーバーが、私が演奏している最中の1枚だった。I am totally honored.)

夕食からの時間を数週間ぶりに1人で過ごす。机に向かって1つの企画に打ち込もうとしたが、どうにも考えがまとまらず。1時間ほどしてようやく諦めると、キッチンにお茶を飲みに行った。

調理台の上には、肉じゃが用に買ったタマネギの残りがたくさん転がっていた。ゆうに20個はある。私はふらふらと吸い寄せられるように調理台に立つと、昼に引き続き無我の境地に没入すべく、その20個を黙々と切り刻み始めた。

ハッと気づくと、全てのタマネギはフライパンに投入されており、心地よい夢から覚めた直後の余韻と同じ、優しい気持ちと芳ばしいタマネギの匂いがキッチンに充満していた。これでとびきり手間ひまかけたカレーを作ろう。何時間もかけて、トロトロの飴色に仕上げていき、赤ワインも2本使って更にコトコトしてゆく。これを、忙しい中おにぎりを作ってそっと置いていってくれたお友達に食べてもらおう。

オニオンスープもいいな…と邪(ヨコシマ)な思いもチラと掠めたが、私は究極のカレーを作るため、ひたすらタマネギを炒め続けた。

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(20個のタマネギと赤ワイン2本。綺麗なバーガンディ色になってきました)

11月某日(金)

ストックホルムに住む親友から、飛行機のチケットを送るから遊びにおいでとの電話。24歳の時にベルリンで彼に出会ってから、一体どれだけの笑いと涙を共有したことだろう。

彼抜きにして私のヨーロッパ生活は語れず、また彼抜きにしてアーティストとしての私はあり得ない。彼は芸術で生計を立てているわけではないが、私が知る最もアバンギャルドな美的感覚の持ち主の1人である。

私たちは短い期間一緒に住んでおり、その間に彼から学んだこと、一緒に経験したことはそれこそ無数にある。

・思考、好み、時間、悩み、秘密を100%の信頼のもと共有すること
・ワガママを許されること
・Karl-Marks-Alleeが美しいという感覚(旧東ベルリン地区の大通り。1949-1961年まで、Stalinalleeと呼ばれており、スターリン様式の巨大な灰色の団地が延々と続く)
・金曜の明け方までのクラブホッピング、土曜の恒例ホームパーティー
・湖でのムーンライトスウィミング
・上品な態度を崩さず、最も下品な冗談を言うこと

思いつくまま書き出してみるうちに、改めてあゝ私たちは若かったのだと思わず笑みがこぼれた。

午前・午後は、来デン中の音楽家と急遽リハーサルしたり、幾つかミーティングがあったりの日常。

夜。Hotel D’Angleterreのレストランで、アマゾネスたちとの恒例トリオディナー。出会ったのは4年前。私たち3人の共通点は… ない。ないな。共通項だらけだとずっと思っていたが、今箇条書きにしようと思ったら、何も浮かばなかった。

・・・1つあった。3者とも人生に異様な数のドラマ・・・。

いつもながら、興奮と、聞いたこともないような奇妙な体験談と、めちゃくちゃに飛びまくるノイロティックな会話満載の、美味しく楽しい夜でした。ありがとう。

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(私のコペンハーゲン最古参の友人たち)

11月某日(土)

今週はインプットの多い、有意義な1週間だった。いつもに比べたらアクティビティーは控えめだったが、今後の道標となるだろう様々な気付きがあり、何よりも出会った人たちとの心に沁み入る会話があり、一本勝負のような熱気と真剣の対話があった。

今日は1日籠もって練習、そして来週からのワークショップ準備に充てよう。

と思っていたら、オートクチュールデザイナーの友人から、Erikoにピッタリのドレスがあるから、是非見に来なさい、セール中よと電話。こんな誘惑に抗えることのできる人っているんだろうか。

3週目に続く・・・。

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(Love you sincerely.)

 

November, 2014 Vol.1 2014年11月の記其の1

【11月某日(日)】

上京。3週間ぶりだろうか。新幹線のシートにおさまると、私はアクビをかみ殺しながら小さく伸びをした。

明日成田空港よりヨーロッパに飛ぶが、1日前倒しで東京入りして友人たちと短い逢瀬を楽しむことにしたのだ。

先月は10軒のホテルを転々とするコンサート生活で、正直満身創痍の態である。この1週間も、金沢での本番や神戸でのショー、プライヴェートコンサート等が重なり、毎朝ベッドから這うようにしてようよう抜け出るありさまだった。

しかし、コンサート旅行の間と間に降臨するアイディアによって、私のプロジェクトはまわっているのだ。この生活が無ければ、私はきっと虚無の屍(しかばね)と成り果ててしまうだろう。大袈裟ではなく、「人間(ホモサピエンス・サピエンス)という、他動物に比べて「当てにならぬ本能」しか持ち合わさぬ生き物は、「目的」や「やりがい」くらいは持って生きぬと、無為の海に呑み込まれてそのうち気力を失くして死んでしまう気がする…。

【旅】

金沢行きのサンダーバードの中では、コンサートパフォーマンスシリーズ「七つの大罪」Vol.2 欲望編のプロットが一気に仕上がった。2015年4月19日(日)、神戸の朝日ホールでキックオフの予定。コペンハーゲンに着いたら早速、共演者との写真撮影に入る手はずを整えている。写真の構図はヘルシンキまでの空の旅で描こう。

【新しい試み】

数日前に開催した「異邦人たちの晩餐会」は、日本で続けていきたい新たな企画。知的好奇心を満たすプログラムで、異業種・国際交流を図る目的の、ゲスト参加型の晩餐会だ。

デイリーワインの選び方レクチャーと試飲会、パティシエによる新作発表と試食、サイコロジカルゲーム、私のピアノコンサートといった内容で、4時間にわたる会だった。

企画者としての反省は多々あれど、来年是非、第2回目を開催したいと思っている。

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(異邦人たちの晩餐会)

東京に着くと、銀座でのエキシビション、「エスプリディオール ー ディオールの世界」を、プロの方にアテンドして頂いて鑑賞(大感謝です)。美しいものを見せて頂いたときに感じる、ただただ純粋な歓び。

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(Dior展)

その後はコペンハーゲンでのお花の先生がちょうど来日中ということで、先生とそのお弟子さんたちと集まってお茶を頂くことになった。

私はお花に関してはもう絶望的非才の持ち主だが、先生のお人柄と、お稽古仲間との楽しい時間に惹かれて、その凡才っぷりを恥ずかしげもなく公開している次第である。

大笑いのティータイムと、また別の友人が加わってのディナーを楽しむと、名残を惜しみながら私は1人成田空港近くのホテルへと向かった。

午前0時、ようやくチェックイン。私はベッドに突っ伏した。よく考えたら「異邦人たちの晩餐会」の朝から今までの90時間、忙しすぎてお茶の1杯もゆっくり飲む時間がなかった。

浴槽に誤って2つ入浴剤を入れてしまい、湯船が驚くほどヴィヴィッドな紫色に染まっていった。お湯が溜まるのを待ち兼ねて、その中に肩も腕も足も頭までちゃぽんと浸す。

脳髄まで紫に染まる心地がした。

 

【11月某日(月)】
成田空港第2ターミナル北ウィング。珍しく、何事もなく無事搭乗に到ったので逆に不安になる。

カフェテリアで カプチーノを頼むと、ようやく安堵が胸に広がり始めた。と同時に、この1ヶ月の両親とのやりとりを幾つか思い出して、可笑しくなる余裕が出てきた。

【両親】
私の母は「Mrs. 心配症」の異名を取るほど、年中ミクロ的なことで心配ばかりしているが、一方で、マクロ的な状況下での恐ろしいばかりの度胸と肝の据わり方といったらどうだろう。彼女の右に出る者はいないのではないだろうか。
私が、リスクを伴う大きな仕事を受けるか受けないかで逡巡を見せる時、母の口癖は
「やったらいいのよ。もし失敗したらこの家を売ればいいんだから」

である。 見事な啖呵(たんか)である。

実際売るのかどうかはさて置き、こういうヤクザなまでにオトコマエな発言に押されて、私もイチバチの勝負に出られるし、だからこそ逆に、親に家を売らせるような危険は回避しつつ、私は慎重に計画を立てていくようになるのだ。

また父も、何かと言うと家を売り飛ばそうとする母を穏やかに宥めつつ、また、生真面目とエキセントリックが滅茶苦茶な配合で混在しているムスメを温かく見守りながら、なんとなく家庭をまとめているのである(圧倒されて口を挟めないという異論もあるが…)。

不思議な両親であるが、そして家族であるから色々あるにはあるが、私は彼らには本当に半端なく感謝している。

長生きして欲しい。あと1世紀ほど生きて欲しい。そして、この無茶ばかりするムスメをけしかけたり、宥めたりして欲しい、いつまでも。

つらつら思いを巡らせるうちに、飛行機はヘルシンキに着陸した。そしてコペンハーゲン行きに乗り換え、夜ようやくカストロップ空港に到着。

 

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(Raining in Helsinki)

友達が早速訪ねて来てくれて、夜中まで話し込んでしまった。着いた早々、新しい企画が生まれ、胸踊る心地。ベッドに入ると、私は久々に優しい睡魔に搦めとられていった。夢も見ず。

【11月某日(火)】
メトロの拡張工事でコペンハーゲンは穴だらけ。バスのルートも乱れまくり。バス停のないところで急に停まったり、全然別の方向へ行ったりで、私はドライバーに翻弄され続けた。普段バス1本で行ける目的地へ3回乗り換えた挙句、45分かけてなんと出発駅に戻ってくる始末。どこへ行ってもコントのような日常のエリコである。

しかし、この街に住む友人たちの優しさと言ったら尋常ではない。私は富豪に飼われ、甘やかされ抜いたペルシャ猫になった心地がする。今朝から受け取ったメッセージをを少し紹介してもいいだろうか。

・エリコ、鹿公園でデンマークの秋を堪能しようよ。黄金の落ち葉をサクサク踏んで、カプチーノを飲みながら!

・金曜日にシアターに行かない?ボーイフレンドが曲を提供しているから、チケットあります!

・今ツアー中で会えないけれど、帰ったらディナーパーティーをするから必ず来て!完徹で喋るから、お覚悟のほどを!

・すごく美味しいチーズをパリから持ち帰りました。仕事が終わったら家に寄って。赤ワインにアレルギーのあるエリコのために、白ワインを買っておいたよ。

・コペンハーゲンに戻ってきたんだってね。週末そっちに飛べるか、チケットを調べてみるよ。いやあ、会って話したい。

・エリコ、お尋ねの件だけど、素晴らしい案を思いついたよ!喜んで手伝うから、空いている日を教えてください。一緒のコラボを楽しみにしています。

 

今月のスケジュールは私を不安のブラックホールに陥れて余りあるものである。この友人たちの優しさの大樹に寄りかかることで、私はなんとか心の平安を保ててるのだと強く実感。滅茶苦茶な経路で走るバスの中で、これらのメッセージを繰り返し読みながら私は涙ぐんだ。

 

夕方。コペンハーゲンでの私のマネジャーと、今後2週間の予定を話し合う。この人無しではもう何も回らないほど頼りにしているソウルメイトである。

幾つかミーティングをこなして、夜は友人カップル宅でバターチキンカレーをご馳走になった。2人でリスリングを1本。時差ぼけよ、SAYONARA。

【11月某日(水)】
典型的な霜月のコペンハーゲンの天候。横なぶりの雨、強い風、空は平安朝の典雅な表現をすれば薄墨色、ペシミスト的にはドブネズミ色。

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(薄墨色?)

明後日は今度のリサイタルのポスター写真撮影のために、ドイツからアーティストがやって来る。午前中は、荷物を預かって頂いているお宅で撮影用のコスチュームをまとめ上げる。その数28枚。そして靴は6足。使うかどうかは分からないが、あらゆる状況に備えての準備は必須。

28枚のコスチュームと6足の靴を抱えたまま、午後からはレッスン。

「先生はいつも凄い量の荷物を持っているねー」

長いお付き合いの中学生の生徒が優しく微笑む。彼女にはこれまでに3度、私のショーに助演女優として出演してもらった。ステージ上での私と、舞台裏での修羅の相 の両方の私を知っている彼女を心から愛しく思っているし、彼女も心を開いてくれている。

私は今まで友人同士のような師弟関係というのを経験したことは無いし、師はあくまで師であると思うオールドスクールな人間であるが、確かな信頼に裏打ちされた彼女との温かい親しい関係を、長く続けていきたいと願う。

【11月某日(木)】
朝起きた時にE. ムンクの絵画色の不安が胸に渦巻いていており、落ち着くのに少し時間を要した。今回の3週間のヨーロッパ滞在でやらねばならぬことは

・来年2月のコンサートのプログラム構成・作成
・来年4月のコンサートの写真撮影とチラシ制作
・所属するパフォーマンスアートのワークショップ3つ(デンマークとスウェーデン)
・来年度のスカンジナビア・日本アートプロジェクトの企画書制作
・フォトグラファーとのミーティング
・各アーティストとの打ち合わせ、リハーサル
・ストックホルム行き

であり、全てが厳格なデッドライン付きで、私は久々に心が砕けそうになっているのである。

日本での仕事やレッスンが非常に気になるが、私は10日間のヨーロッパ滞在延長を決めた。Finnairに電話すると幸いフライトの日程を簡単に変更することが出来て、少し気が楽になる。

朝は荷物の移動作業に精を出し、午後からは明日予定されているポスター撮影のための準備をマネジャーと詰める。何枚もテスト撮影をして、構図の案を出し合う。

 

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(テスト)

私のライフワークとなった、コンサートパフォーマンスシリーズ「七つの大罪」Vol.2 欲望編も、リリースのために大詰めの段階に入り始めている。

夜はお好み焼きをご馳走になる。関西人のソウルフードを食べて、私は落ち着きを取り戻した。You are what you eat.   私の金言。

【11月某日(金)】
いよいよ撮影当日。早朝、ドイツからアーティストが定刻通りに到着し、マネジャー、フォトグラファーに私の4人で早速衣装・構図のディスカッションが始まる。

何によって知的・肉体的好奇心を最も喚起されるかは、人にはよって様々だと思うが、私は音楽家のくせにその対象が音楽ではない。「音楽脳」ではないのである。それなら何かといえば私は完全に「文学脳」で、端正な文章から得る脳髄が溶けるような圧倒的な法悦は、ちょっと筆舌に尽くし難い。

面白いことに、今日のフォトグラファーは「音楽脳」で、共演アーティストは完全に「ビジュアル脳」なのだそう。

それぞれアンテナの違うユニークなプロが集まっての仕事は非常に面白い。午前10時からメイクを始め、お昼休憩を挟んで15時に撮影終了。数百枚の写真の中から全員一致の1枚を選び出し、17時半にはアーティストを空港行き電車まで送り出し、無事にmission accomplished.

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(美しすぎるマーメイド)

その後、残った3人で今後の打ち合わせ。本当にまあ、こんなメンバーに巡り会って仕事が出来るというのは、私も無駄に二酸化炭素を排出しているだけの有機化合物(?)ではないらしい(と思いたい)。

夜はもう疲れ切っていたが、最後の気力を振り絞って、友人とのディナーに向かう。多めのカルーアを入れたホワイトロシアンを友人の家で呷ってから、KULというグリルレストランにて、生のスキャロップの前菜と、テンダーロインステーキと赤カブの非常に素敵なマリアージュの2品をオーダー。2ヶ月ぶりの再会を祝してシャンパンを2杯。

バーに寄って帰宅は午前2時半。

【11月某日(土)】
昨夜のレストランのバスルームで、実は暫く気を失っていた私。幸いどこにも痣を作らずに済んだが、今日は大事を取ってディナー以外の予定をキャンセル。ワークショップの準備と、頼まれている書き物をゆっくり仕上げることにする。

夜は、私の知る中で最も創造的で温かくてクレイジーなアーティスト仲間が北シェランドのレストランに席を取ってくれたらしく、ドライブに行く。

暫く会わぬ間に、多くのことがそれぞれの身に起こった。私たちは2人ともサソリ座で、もう救い難いほど典型的なサソリ座の女の宿命たる人生を送っている。

今夜、サソリ2匹は幾つかの秘密を囁きあい、それを共有する喜びにニンマリと微笑みあうだろう。

今夜も私は肉を喰らうだろう。

・・・・・・・・・・・・・・・・

午前2時帰宅。予想通り、私たちはレアの肉を喰らい、幾つかの秘密を共有した。そして偶然プレゼントの交換をしたのだが、私が上げたものは日本の「春画集」、そして彼女のくれた本のタイトルが「マゾキズム(Masochism)」という、いつもながらの恐ろしいまでのシンクロニシティ。6時間話して、もどかしいほどに話し足りない。来年もガッツリと仕事を一緒にすることになる。今年より更に濃密に。

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Vol.2 へと続く・・・

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