A Three Weeks in May, 2015 2015年5月の記
5月某日(金)
明日のコンサートのため、13時から5時間に渡るリハーサル。
コンサートオーガナイザーとアシスタントの方たちの親切が半端ない。会場設営のため20人ほどが作業しているが、私の邪魔をしな いように、工具を使う時も音を出来るだけ立てないように気を遣っているのが分かる。1曲終わるごとに小さく拍手したり、知っている曲だとハミングする方もいる。
この国でアートや音楽に携わる時にいつも感じるが、やるからにはベストを尽くそう、という人々の根本的な姿勢が素晴らしい。YESからモノゴトが始まる環境というのは非常に稀であるというのが悲しい哉、現実で、責任がかかったらどうしよう、なんだか面倒くさい・・・、とおよび腰の人間がどれだけ多いことか。
最善を尽くしてくれるメンバーに感謝の1曲を捧げてから会場を去る。
夜は、デンマークで最も権威ある教会で開催される、エレクトロ音楽のライブコンサートを聴きに行った。シンプルだが素晴らしく効果的なライティングで、聖母マリアが浮き上がるように照らされている。こういう前衛的な企画を教会側がよく許可したなと感心したが、観客はみな節度を守って静かにその空間にいることを楽しんでいる模様。
5月某日(土)
コンサート当日。数えてみれば、この1ヶ月でフルレングスのソロコンサートを5回弾いている。毎回違うプログラムでかなりハードだが、ソロは気が楽だ。30歳になるまでは室内楽に力を注いでいたが、それ以降はソロの仕事が圧倒的に多い。自己完結に近いカタチで一夜を終えられるのが、ここ数年の自分には合っていたのだと思う。
(開演3分前)
客席は非常に国際色豊かで、イスラムの女性たちが連れ立ってやって来ているのが印象的だった。オーガナイザーによれば、おそらく観客の90%にとって初のピアノ生ライブ体験だろう、とのこと。かなりアバンギャルドな曲も弾いたが、楽しんで下さった様子。
コンサート後は、駆けつけてくれた友人たちと遅くまで飲む。羽目を外し過ぎた感が若干あり・・・。
(ミルクシェイクカクテルアワー)
5月某日(日)
少々だるいが、まずまずの体調で起床。午前中は、次のコンサートのプログラムを決めるべく、片っ端から曲を弾いてゆく。
午後、コスチュームデザイナーの友人が来て、衣装合わせ。コンサートで是非着て欲しい、とありがたいスポンサーシップのお申し出を受けていたのだ。デカダンで官能的なドレスで、肌もボディラインも見せないのだけれど、身に纏うと非常に悩ましい感じ。 素敵。
夜はお友達から夕食会にお誘い頂いた。本当に楽しい方たちに再会し、よく笑った。
5月某日(月)
早朝からフォトグラファーとミーティング。出逢ってからまだ1年半というのが信じられないほど、強い信頼感のもとにコンセプトの段階からしっかり話し合って、共同作業を続けている。撮影時は完全に存在を無にして、空気のようになって被写体を撮り続けることができる、珍しいタイプのフォトグラファーで、今後も末長く仕事をしていきたい人。
(The Envoy 「使者」 片目がアイスブルーの鹿をとらえて、すぐシャッターを切ったDiana Lindhardt。私の好きな1枚)
その後は原稿を書いたり、インタビューを受けたりで、帰宅は深夜過ぎ。
5月某日(火)
友人とランチミーティング。場所は国会議事堂の中のTårnet というカフェレストラン。室内は古代ローマ帝国の趣で、私は完全に心を鷲掴みにされてしまった。こんな場所が、国会議事堂の中にあるなんて!
(勝った!)
夕方からポスター作成。毎度ながら、とんでもなくデリケートで時間のかかる作業が続く。忍耐強いグラフィック担当の友人に感謝。
夜から深夜にかけて、長年の友人と率直で心が震えるようなエモーショナルな語らいあり。感情の拮抗や氾濫があって、結局一睡も出来ぬまま朝を迎える。
5月某日(水)
アーティスト/デザイナーの友人と写真&ビデオ撮影。
仕事のテンポ・アイディア・テイストがピッタリ会う相手だと、仕事というよりもはや遊びと同じような感覚になることが稀にある。彼女とはまさにそうで、プロモーションを兼ねたサイドプロジェクトだったのだが、あまりにも楽しいので構想を膨らませて大きなプロジェクトに持っていこうと気炎を上げた。
(SAMURAI COLLECTION by ZARAH VOIGT 私はホストを務めた)
6時間、休憩なしで作業をして、私は次の場所へ。だんだん体調の不調をおぼえ始めるが、準備しなければならない曲が溜まり過ぎており、夜まで練習。
5月某日(木)
完全にダウン。全ての仕事をキャンセルせざるを得ず・・・。
5月某日(金)
明け方まで苦しんでいたが、その後は死んだように眠った。もしかしたら本当に死んでいたのかもしれない。こんな静謐な気持ちで朝を迎えたのは久しぶり。
午後、美しいお庭のある友人宅にお招き頂いた。自家栽培のミントでお茶を頂いたり、アスパラやほうれん草を摘んでサラダにしたり。リンゴの木もあるし、お隣の庭では遅咲きの桜がはらはら散るのが見える。
少し弱ったところへ差し伸べられた優しい手は、半日間の桃源郷への旅に誘ってくれて、昨日の苦しみは何だったのかと思うほど、心身ともに回復。
素晴らしい午後と夕暮れ。
5月某日(土)
雨の中、精神科医の元ルームメイトと植物園で再会。前回出会ってから3ヶ月分の出来事を熱に浮かされたように喋り合う。
生まれ年も同じ、星座もサソリ座と同じ、パッションの持ち方・捧げ方も同じ、一時は一緒に住んでおり、さらにここ数年は仕事も共にしている我々2人。東西1万キロ以上離れた別の場所で生まれ育ったとは思えないほど共通点が多すぎて、もはや偶然の産物とは思えない(付き合っていたお互いのボーイフレンドの誕生日まで同じだと判明した時は、薄気味悪かった)。
庭を歩いているうちに雨足が強まってきたので、植物園内に建つ家のポーチで雨宿りする。緑滴る庭に打ちつける雨が、濛々と霞を放つさまがあまりに美しくて見惚れてしまう。
ふと、ポーチの隅にデッキチェアが2脚畳んであるのを見つけたので、引っ張り出してきた。組み立てて座ってみる。 この人となら家主に見つかって怒られても構わない、とお互いに思いながら、人の家のポーチで勝手にデッキチェアを借りて雨宿りする我々。暫く惚けたように一面の緑から放たれる芳香と雨音の中に浸っていた。
・・・時が来た。強く抱きしめ合って別れを惜しむ。私はレッスンへ、彼女は夜のパフォーマンスのために劇場へ。 そう、彼女は女優でもあるのだ。 この人に邂逅しなければ、私の人生も違ったものになっていただろう。同時代に生まれて、出逢えて本当によかった。
(植物園にて。棘の上を這い登る私の手 by drylazy)
5月某日(日)
カールスバーグ博物館でミーティング。何度来ても飽きない、圧倒的に魅了的な場所。
夜は、気のおけない愉快な仲間と夕食。気を遣った後なので、余計に楽しくビールが美味い。
5月某日(月)
4年前のコンサートに来て下さったご縁で、今度一緒にお仕事をさせてもらうことになった演出家の友人宅に伺う。
のっけから学ぶことだらけで、私は熱狂的にメモを取りだした。今までいかに既成の美や概念に囚われていたかに気付いて、自分でも驚くほど。スタイルを確立することではなく、常に変容してゆくこと。柔軟な思考を持ち続けること。これが今後の指針となるだろうと強く確信。 気づけば5時間が経っていたが、何ヶ月分もの講義を受けたような充実感。12年も学生をしていた私は、30歳になった時、もう一生誰からも授業は受けないと思ったものだ。しかし、今日の学びがあって、また基礎からみっちり勉強したくなってきた。
5月某日(火)
朝から延々、文字と格闘。私はリズムにのると一気に何千字でも書けるが、そのあとの校正がキライ。主語をひっくり返したり、形容詞を入れ替えてみたり、キリのない作業に頭を抱える。
夜は懐かしい面々と再会。思い出話に興じることができる友人というのは得がたい宝物だと思う。
5月某日(水)
何が何だか、とにかく一歩歩いたら友人にぶつかる、という引き寄せの1日。朝からインテンシブで楽しいミーティングがあり、それから夕方まではビッシリ仕事。その合間に、会うわ、会うわ、街角ごとに恐ろしいほど知り合いに会う。絶対ヒメゴトを持てない街・・・。この街はチャーミングだが、セクシーではない。そう、秘めごとを持てないという事実が、この街からセクシーさを奪ってゆくのだ(余計なお世話か)。
夜はアートマガジン主催のパーティー。つまらなかったので早々に抜けて、今度はファッション関係のレセプションに行ったらこれも退屈で、もう帰ろうと思ったら友人から電話。キミのコンサートを企画したから、今から会場を見に行こうと言う。ということで、タクシーをすっ飛ばして会場を見に行く。その時点で、23時。
友人の彼は私より6、7歳年下のはずだが、思考も話し方もずば抜けてユニーク。説得の上手さにかけては右に出るものはいない。まだ若いけれど、彼は将来必ず成功する。私は自分の人生こそ予測不能で滅茶苦茶に生きているが、人の美点を見抜く目だけは凄まじく強いのだ。彼は間違いなく成功する。有言実行のオトコだから。
帰宅は午前3時半。まだ水曜日だというのに・・・。
5月某日(木)
この日1日、何をしていたか全く記憶がない。
5月某日(金)
夜まではルーティンワーク。20時より、ミュージシャンのお宅でディナー。表面をブラックペッパーやハーブで覆ったマグロのタタキと、パッションフルーツ、リイチをお持たせ用に買ってお家を訪ねた。
非常に楽しい会話と、美味しいワインと、2人分には明らかに作り過ぎの料理と、数1000㌔カロリーのデザート。大笑いの一夜となった。
(2人分のディナー。これに前菜3品+デザート。彼女と私はMISS TOO MUCH!)
夜は、そのままお宅に泊めてもらった。
5月某日(土)
友人宅を辞した後、練習へ向かった。終了後は、ミュージシャンの友人のプログラム作成を手伝う。
その後、グラフィックを担当してくれている友人と締め切りギリギリのチラシの最終校正をして、ついに入稿。友人よ、貴女は素晴らしい!時間に追われる中、よくぞやってくれました。 そして夜はイベントオーガナイザーが主催するグラマラスなイベントに招待を受け、VEGAにてパーティーナイト。テーマは50年代ということで、装いを凝らしてGo Out。
5月某日(日)
今月は4本のコラムを抱えている。デッドラインが迫りすぎて、ストレスから部屋をグルグル歩き回る日曜日の朝。 1本だけ、どうしても落としどころが見つからず、悶悶。
夜は、友人がとろけるような豚の角煮を作ってくれた。あっという間に幸福感を取り戻す私。エリコさんのハートを掴むには胃袋を満たせばいいんだ、と笑う友人に、そうだったのか・・・と自分でも驚く。そう言えば先日も、朝食にパンケーキを焼いてくれたオトコ友達がやたら眩しくみえたのは、そのせいか。
この歳になっても新しい発見の連続で、毎日が楽しい。
5月某日(月)
午前中は練習。午後は写真撮影。そして夜はコンサート。相変わらず大荷物を抱えて会場入り。このコンサートが決まったのは本当に直前なのだが、当日は立錐の余地もないほど満員御礼。オーガナイズしてくれた愛する友人の顔の広さのお陰だ。
・・・一生忘れることの出来ない一夜となった。観客との間に、非常に濃い、ほとんど愛の交歓に近いような共有感があったと思う。私の中では間違いなくカタルシスであった。もしくはそれにとても近い何か。
遅くまで、語って飲んだ。飲んでは語った。
(Thomas Winkler氏が描いてくれた絵。ほんとうにありがとう・・・)
5月某日(火)
お昼より、音楽プロデューサーと2016年の大きな企画についてミーティング。昨夜の疲労が澱のように沈殿していて気を失いそうだったが、前もって準備していたので落ち着いた口調で信念を持って話すことは出来たと思う。プロデューサーは私に最大限のサポートを約束してくれた。ああ、心から感謝・・・。
私はビジネスウーマンとしての才能は皆無に等しいので、話を持っていく時は直球中の直球しか手がない。今日も、橋渡しをして下さった方が思わず目を剥くほど率直に過ぎる感があったが(汗)、仕方がない。この歳までそれで来てしまったので、この先ももうそれで行くしかないのだろう。
夜はいつも大変お世話になっている方とランデブー。この方との逢瀬は毎回とっても楽しい。
5月某日(水)
日本帰国まで今日を残すのみ。全ての予定をこなせるか不安で、心臓が不穏な脈打ち方をしている。毎回、綱渡り的なスケジュールで動いてしまい、ハラハラする。そしてまわりのこともハラハラさせる。
朝から、若き演出家とミーティング。スウェーデンのアートインスティチュート、Inkonstで今年8、9月に大掛かりなプロジェクトがあり、彼女にはそこで全面的にお世話になる。
最初の5分で、彼女の聡明さに完全に魅せられる。第一直感で私という人間の核の部分を的確に探り当てて、知的好奇心に目を輝かせながら、多くの質問を1つずつ丁寧に投げかけてくる。質問内容も興味深く、私のことをしっかり調べているのがありありと分かる。先日の私のコンサートにも来てくれたそうで、そこでイメージをしっかりと把握することができたわ、と微笑む。
彼女はニュージーランド人だが、オーストラリアで長く育ったそうだ。彼女の話す美しい英語も非常に好ましく、新たな出逢いを嬉しく思う。
その後、今度はぐっと年上の別の演出家のお宅へ急ぐ。 今日中に仕上げなければならない書面があるのだ。
彼の妻も著名な演出家で、この2人が醸すボヘミアンで熱気に満ちた雰囲気に包まれると、いつも深い安心感を覚える。
夕方まで一緒に仕事をして、ある程度めどが立ったところで私は腰を上げた。それから、空港近くの友人宅の家にお邪魔して、夜遅くまで書面を書き続けた。夜食を差し入れてもらったり、疲労の極に達した私を慰めてくれたり、お世話になりっぱなし。明け方、少し仮眠が取れた。
5月某日(木)
旅立ちの日。空港で今朝1杯目のコーヒーを飲みながら、ドイツ語のschmerzhaftという言葉について考える。昨夜までは、帰国して落ち着いた生活を取り戻すことを渇望していたのに、今ここ空港でふいに去りがたい思いに襲われ、痛みさえ感じる。
最後の一口を飲み干して、カップを置いた。今年に入って5ヶ月が過ぎようとしているが、50年分歳を取った気がする。やはり、いったん、落ち着こう。
まずは眠りたい。