November, 2014 Vol.1 2014年11月の記其の1
【11月某日(日)】
上京。3週間ぶりだろうか。新幹線のシートにおさまると、私はアクビをかみ殺しながら小さく伸びをした。
明日成田空港よりヨーロッパに飛ぶが、1日前倒しで東京入りして友人たちと短い逢瀬を楽しむことにしたのだ。
先月は10軒のホテルを転々とするコンサート生活で、正直満身創痍の態である。この1週間も、金沢での本番や神戸でのショー、プライヴェートコンサート等が重なり、毎朝ベッドから這うようにしてようよう抜け出るありさまだった。
しかし、コンサート旅行の間と間に降臨するアイディアによって、私のプロジェクトはまわっているのだ。この生活が無ければ、私はきっと虚無の屍(しかばね)と成り果ててしまうだろう。大袈裟ではなく、「人間(ホモサピエンス・サピエンス)という、他動物に比べて「当てにならぬ本能」しか持ち合わさぬ生き物は、「目的」や「やりがい」くらいは持って生きぬと、無為の海に呑み込まれてそのうち気力を失くして死んでしまう気がする…。
【旅】
金沢行きのサンダーバードの中では、コンサートパフォーマンスシリーズ「七つの大罪」Vol.2 欲望編のプロットが一気に仕上がった。2015年4月19日(日)、神戸の朝日ホールでキックオフの予定。コペンハーゲンに着いたら早速、共演者との写真撮影に入る手はずを整えている。写真の構図はヘルシンキまでの空の旅で描こう。
【新しい試み】
数日前に開催した「異邦人たちの晩餐会」は、日本で続けていきたい新たな企画。知的好奇心を満たすプログラムで、異業種・国際交流を図る目的の、ゲスト参加型の晩餐会だ。
デイリーワインの選び方レクチャーと試飲会、パティシエによる新作発表と試食、サイコロジカルゲーム、私のピアノコンサートといった内容で、4時間にわたる会だった。
企画者としての反省は多々あれど、来年是非、第2回目を開催したいと思っている。
(異邦人たちの晩餐会)
東京に着くと、銀座でのエキシビション、「エスプリディオール ー ディオールの世界」を、プロの方にアテンドして頂いて鑑賞(大感謝です)。美しいものを見せて頂いたときに感じる、ただただ純粋な歓び。
(Dior展)
その後はコペンハーゲンでのお花の先生がちょうど来日中ということで、先生とそのお弟子さんたちと集まってお茶を頂くことになった。
私はお花に関してはもう絶望的非才の持ち主だが、先生のお人柄と、お稽古仲間との楽しい時間に惹かれて、その凡才っぷりを恥ずかしげもなく公開している次第である。
大笑いのティータイムと、また別の友人が加わってのディナーを楽しむと、名残を惜しみながら私は1人成田空港近くのホテルへと向かった。
午前0時、ようやくチェックイン。私はベッドに突っ伏した。よく考えたら「異邦人たちの晩餐会」の朝から今までの90時間、忙しすぎてお茶の1杯もゆっくり飲む時間がなかった。
浴槽に誤って2つ入浴剤を入れてしまい、湯船が驚くほどヴィヴィッドな紫色に染まっていった。お湯が溜まるのを待ち兼ねて、その中に肩も腕も足も頭までちゃぽんと浸す。
脳髄まで紫に染まる心地がした。
【11月某日(月)】
成田空港第2ターミナル北ウィング。珍しく、何事もなく無事搭乗に到ったので逆に不安になる。
カフェテリアで カプチーノを頼むと、ようやく安堵が胸に広がり始めた。と同時に、この1ヶ月の両親とのやりとりを幾つか思い出して、可笑しくなる余裕が出てきた。
【両親】
私の母は「Mrs. 心配症」の異名を取るほど、年中ミクロ的なことで心配ばかりしているが、一方で、マクロ的な状況下での恐ろしいばかりの度胸と肝の据わり方といったらどうだろう。彼女の右に出る者はいないのではないだろうか。
私が、リスクを伴う大きな仕事を受けるか受けないかで逡巡を見せる時、母の口癖は
「やったらいいのよ。もし失敗したらこの家を売ればいいんだから」
である。 見事な啖呵(たんか)である。
実際売るのかどうかはさて置き、こういうヤクザなまでにオトコマエな発言に押されて、私もイチバチの勝負に出られるし、だからこそ逆に、親に家を売らせるような危険は回避しつつ、私は慎重に計画を立てていくようになるのだ。
また父も、何かと言うと家を売り飛ばそうとする母を穏やかに宥めつつ、また、生真面目とエキセントリックが滅茶苦茶な配合で混在しているムスメを温かく見守りながら、なんとなく家庭をまとめているのである(圧倒されて口を挟めないという異論もあるが…)。
不思議な両親であるが、そして家族であるから色々あるにはあるが、私は彼らには本当に半端なく感謝している。
長生きして欲しい。あと1世紀ほど生きて欲しい。そして、この無茶ばかりするムスメをけしかけたり、宥めたりして欲しい、いつまでも。
つらつら思いを巡らせるうちに、飛行機はヘルシンキに着陸した。そしてコペンハーゲン行きに乗り換え、夜ようやくカストロップ空港に到着。
(Raining in Helsinki)
友達が早速訪ねて来てくれて、夜中まで話し込んでしまった。着いた早々、新しい企画が生まれ、胸踊る心地。ベッドに入ると、私は久々に優しい睡魔に搦めとられていった。夢も見ず。
【11月某日(火)】
メトロの拡張工事でコペンハーゲンは穴だらけ。バスのルートも乱れまくり。バス停のないところで急に停まったり、全然別の方向へ行ったりで、私はドライバーに翻弄され続けた。普段バス1本で行ける目的地へ3回乗り換えた挙句、45分かけてなんと出発駅に戻ってくる始末。どこへ行ってもコントのような日常のエリコである。
しかし、この街に住む友人たちの優しさと言ったら尋常ではない。私は富豪に飼われ、甘やかされ抜いたペルシャ猫になった心地がする。今朝から受け取ったメッセージをを少し紹介してもいいだろうか。
・エリコ、鹿公園でデンマークの秋を堪能しようよ。黄金の落ち葉をサクサク踏んで、カプチーノを飲みながら!
・金曜日にシアターに行かない?ボーイフレンドが曲を提供しているから、チケットあります!
・今ツアー中で会えないけれど、帰ったらディナーパーティーをするから必ず来て!完徹で喋るから、お覚悟のほどを!
・すごく美味しいチーズをパリから持ち帰りました。仕事が終わったら家に寄って。赤ワインにアレルギーのあるエリコのために、白ワインを買っておいたよ。
・コペンハーゲンに戻ってきたんだってね。週末そっちに飛べるか、チケットを調べてみるよ。いやあ、会って話したい。
・エリコ、お尋ねの件だけど、素晴らしい案を思いついたよ!喜んで手伝うから、空いている日を教えてください。一緒のコラボを楽しみにしています。
今月のスケジュールは私を不安のブラックホールに陥れて余りあるものである。この友人たちの優しさの大樹に寄りかかることで、私はなんとか心の平安を保ててるのだと強く実感。滅茶苦茶な経路で走るバスの中で、これらのメッセージを繰り返し読みながら私は涙ぐんだ。
夕方。コペンハーゲンでの私のマネジャーと、今後2週間の予定を話し合う。この人無しではもう何も回らないほど頼りにしているソウルメイトである。
幾つかミーティングをこなして、夜は友人カップル宅でバターチキンカレーをご馳走になった。2人でリスリングを1本。時差ぼけよ、SAYONARA。
【11月某日(水)】
典型的な霜月のコペンハーゲンの天候。横なぶりの雨、強い風、空は平安朝の典雅な表現をすれば薄墨色、ペシミスト的にはドブネズミ色。
(薄墨色?)
明後日は今度のリサイタルのポスター写真撮影のために、ドイツからアーティストがやって来る。午前中は、荷物を預かって頂いているお宅で撮影用のコスチュームをまとめ上げる。その数28枚。そして靴は6足。使うかどうかは分からないが、あらゆる状況に備えての準備は必須。
28枚のコスチュームと6足の靴を抱えたまま、午後からはレッスン。
「先生はいつも凄い量の荷物を持っているねー」
長いお付き合いの中学生の生徒が優しく微笑む。彼女にはこれまでに3度、私のショーに助演女優として出演してもらった。ステージ上での私と、舞台裏での修羅の相 の両方の私を知っている彼女を心から愛しく思っているし、彼女も心を開いてくれている。
私は今まで友人同士のような師弟関係というのを経験したことは無いし、師はあくまで師であると思うオールドスクールな人間であるが、確かな信頼に裏打ちされた彼女との温かい親しい関係を、長く続けていきたいと願う。
【11月某日(木)】
朝起きた時にE. ムンクの絵画色の不安が胸に渦巻いていており、落ち着くのに少し時間を要した。今回の3週間のヨーロッパ滞在でやらねばならぬことは
・来年2月のコンサートのプログラム構成・作成
・来年4月のコンサートの写真撮影とチラシ制作
・所属するパフォーマンスアートのワークショップ3つ(デンマークとスウェーデン)
・来年度のスカンジナビア・日本アートプロジェクトの企画書制作
・フォトグラファーとのミーティング
・各アーティストとの打ち合わせ、リハーサル
・ストックホルム行き
であり、全てが厳格なデッドライン付きで、私は久々に心が砕けそうになっているのである。
日本での仕事やレッスンが非常に気になるが、私は10日間のヨーロッパ滞在延長を決めた。Finnairに電話すると幸いフライトの日程を簡単に変更することが出来て、少し気が楽になる。
朝は荷物の移動作業に精を出し、午後からは明日予定されているポスター撮影のための準備をマネジャーと詰める。何枚もテスト撮影をして、構図の案を出し合う。
(テスト)
私のライフワークとなった、コンサートパフォーマンスシリーズ「七つの大罪」Vol.2 欲望編も、リリースのために大詰めの段階に入り始めている。
夜はお好み焼きをご馳走になる。関西人のソウルフードを食べて、私は落ち着きを取り戻した。You are what you eat. 私の金言。
【11月某日(金)】
いよいよ撮影当日。早朝、ドイツからアーティストが定刻通りに到着し、マネジャー、フォトグラファーに私の4人で早速衣装・構図のディスカッションが始まる。
何によって知的・肉体的好奇心を最も喚起されるかは、人にはよって様々だと思うが、私は音楽家のくせにその対象が音楽ではない。「音楽脳」ではないのである。それなら何かといえば私は完全に「文学脳」で、端正な文章から得る脳髄が溶けるような圧倒的な法悦は、ちょっと筆舌に尽くし難い。
面白いことに、今日のフォトグラファーは「音楽脳」で、共演アーティストは完全に「ビジュアル脳」なのだそう。
それぞれアンテナの違うユニークなプロが集まっての仕事は非常に面白い。午前10時からメイクを始め、お昼休憩を挟んで15時に撮影終了。数百枚の写真の中から全員一致の1枚を選び出し、17時半にはアーティストを空港行き電車まで送り出し、無事にmission accomplished.
(美しすぎるマーメイド)
その後、残った3人で今後の打ち合わせ。本当にまあ、こんなメンバーに巡り会って仕事が出来るというのは、私も無駄に二酸化炭素を排出しているだけの有機化合物(?)ではないらしい(と思いたい)。
夜はもう疲れ切っていたが、最後の気力を振り絞って、友人とのディナーに向かう。多めのカルーアを入れたホワイトロシアンを友人の家で呷ってから、KULというグリルレストランにて、生のスキャロップの前菜と、テンダーロインステーキと赤カブの非常に素敵なマリアージュの2品をオーダー。2ヶ月ぶりの再会を祝してシャンパンを2杯。
バーに寄って帰宅は午前2時半。
【11月某日(土)】
昨夜のレストランのバスルームで、実は暫く気を失っていた私。幸いどこにも痣を作らずに済んだが、今日は大事を取ってディナー以外の予定をキャンセル。ワークショップの準備と、頼まれている書き物をゆっくり仕上げることにする。
夜は、私の知る中で最も創造的で温かくてクレイジーなアーティスト仲間が北シェランドのレストランに席を取ってくれたらしく、ドライブに行く。
暫く会わぬ間に、多くのことがそれぞれの身に起こった。私たちは2人ともサソリ座で、もう救い難いほど典型的なサソリ座の女の宿命たる人生を送っている。
今夜、サソリ2匹は幾つかの秘密を囁きあい、それを共有する喜びにニンマリと微笑みあうだろう。
今夜も私は肉を喰らうだろう。
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午前2時帰宅。予想通り、私たちはレアの肉を喰らい、幾つかの秘密を共有した。そして偶然プレゼントの交換をしたのだが、私が上げたものは日本の「春画集」、そして彼女のくれた本のタイトルが「マゾキズム(Masochism)」という、いつもながらの恐ろしいまでのシンクロニシティ。6時間話して、もどかしいほどに話し足りない。来年もガッツリと仕事を一緒にすることになる。今年より更に濃密に。
Vol.2 へと続く・・・