A Two Weeks in September, 2014

9月某日(月)
昨夜はベッドに入ったのが3時を過ぎていたが、今朝は8時に起床。それほど体に疲れが溜まっていないのを不思議に思いつつ、キッチンでカフェラテを飲んだ。
しかし、油断禁物。今週末は、なんと1500人を超えるイベントでのショーが待ち構えている。そちらのショーのオーガナイザーたちとの会議も、今週はてんこ盛りだ。
夕刻まで、さまざまなミーティング。
夜は若手女優たち2人とディナー。実は、私たちが属するパフォーマンスアート団体に近ごろ7,000万円のファンドが下りた。そのおかげで、来年は大規模なプロジェクトを実現することが出来るようになった。その場にはいなかったが、偉業を成し遂げたリーダーに対して私たちは乾杯のグラスを掲げた。
私以外の2人はまだ20代だが、非常に気が合い、何人かいる団体メンバーの中でも、特に心安く付き合っている。
ムール貝やら手長海老やらスキャロップのワイン蒸しを食べながら、喧々諤々、来たるプロジェクトに対する期待と新しいチャレンジについて大いに語り合う。
飲み物はジン&トニックで通した。
9月2日(火)
9月3日(水)
9月4日(木)
9月5日(金)
練習、ミーティング、会場での通しのリハーサル、最後にレッスンと、やけくそのようなスケジュール。最後のレッスン後は、そのまま生徒のお宅で夕食をご馳走になる。ランチを摂る時間もなく、非常に疲れていたので、心のこもった料理の数々が、沁みるように美味しくありがたい。
おいとまして、帰宅後は明日のパフォーマンスの準備。明日も、長い1日になりそうだ。
9月6日(土)
Vegaでのスーパーグラマラスなイベント、「Hotel Extravaganza」当日。
朝はスケジュールの確認、お昼からは、オーガナイザーがヘアドレッサーに予約を入れておいてくれたので、ヘアサロンへ向かう。
前髪は、コテで綺麗なウェーブが形作られてゆき、後ろは複雑なアップヘアー。カールをつける時間も含めて、ゆうに2時間。1919年がテーマのショーで、私の髪型もその頃のものをイメージしてデザインされているのだが、その頃の女性は一体毎朝どれだけの時間を化粧室で過ごしたのだろう。
孔雀の羽根がいっぱい刺さった髪のまま、バスで一旦帰宅する。
途中で、ベルリン時代の友人から、無事コペンハーゲンの空港に着いたと連絡が入った。そう、この友人は、私のショーを見るために、わざわざベルリンからここまでやって来てくれたのだ。
会場に着くと、Vegaの前ではすでに着飾った男女が、そこここに輪を作って華やかに談笑している。
(8月編はコチラから→ http://www.erikomakimura.com/2014/09/a-one-week-in-august-in-2014/)

9月某日(月)
昨夜はベッドに入ったのが3時を過ぎていたが、今朝は8時に起床。キッチンでカフェラテを飲んだ。昨夜の疲労はそれほど残っていないように思う。

しかし、油断禁物。今週末は、なんと1,500人を超えるゲストを迎えたイベント出演が待っている。そのオーガナイザーたちとの会議も、てんこ盛りだ。

夕刻まで、さまざまなミーティング。大好きなお友達から自家栽培のトマトを頂いた。

ビタミン不足気味の日々だったので、道々歩きながら口に入れる。甘い。
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(お友達からの自家栽培トマト)

私のカラダから、興奮と熱狂と人々の優しさとトマトからのビタミンを取り除いたら、あとには何も残らないだろう ー  ふとそう思うと、急に涙腺が緩んできて慌てて下を向く

本当に、こんなに好き放題生きているなんて、ほとんど奇跡に近いことだ。そして、それは多くの友人たちと家族の温かいサポートによって成し得ているのだ。私はそのことを強く自覚している。

私は少し泣きながら気が済むまでトマトを食べ、また元気を取り戻した。すぐ元気を取り戻すところが、取り柄といえば取り柄だ。

夜。若手女優たち2人とディナー。実は、私たちが属するパフォーマンスアート団体に近ごろ7,000万円級のファンドが下りた。そのおかげで、来年は大規模なプロジェクトを実現することが出来るようになったのだ。その場にはいなかったが、偉業を成し遂げたリーダーに対して私たちは乾杯のグラスを掲げた。

私以外の2人はまだ20代だが、非常に気が合い、何人かいる団体メンバーの中でも、特に心やすくつき合っている。

ムール貝やら手長海老やらスキャロップのワイン蒸しを食べながら、来るプロジェクトに対する期待と新しいチャレンジについて、喧々諤々、大いに語り合う。

ジン&トニックで一晩通した。
9月某日(火)
疲れ過ぎた。

9月某日(水)
オーガナイザーと今週末のショーについてカフェで朝食ミーティング。総責任者もちょうど会場にいるというので、朝食後に移動。

会場には、照明テクニシャンやサウンドエンジニアもおり、私の質問に丁寧に答えてくれる。その道のプロと仕事をするというのは、なんと気持ちのいいことだろう。私の知らないことを全て知っている専門家と一緒に働ける環境というのは、なんと素晴らしいことだろう。

午後は練習とレッスン。夜は友人宅で夕食会。10数名が集まった。これは恒例行事になっているディナーパーティーで、ゲストは贈り物代わりに、何か演し物をしなくてはならない。詩を読んでもいいし、楽器を弾いてもいい。製作中のビデオを上映してもいいし、即興で物語を作ってもいい。

私は友人と、「或るピアニストのバックステージ」という寸劇を演じた。ちょっとした台本を書いて、チョコチョコと小物を揃え、10分ほどの演目を拵えた。

どうやら非常に喜ばれたようで、拍手喝采を受ける。
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(寸劇の直後)
その後はお決まりのアーティストトークに突入し、白熱した議論が飛び交う。私がパーティーを辞したのは午前4時。

日本に帰ったら、寝溜めしよう・・・。

9月某日(木)
東西南北、てんでバラバラの場所でそれぞれ仕事があり、移動だけでクッタリ疲労。その上、溜まりきったメールの返信を電車の中でしているうちにうっかり乗り過ごし、慌てて次の駅で飛び降りて反対ホームで恨めしく電車を待つこと2回。

数日前の感傷を思い出して、「全然好き放題になんか生きていない…」と、一人で呟く。

しかし、「…いろいろ大変なことだらけだが、やはり好き放題に生きている…」と思い直す出来事があり、寝る直前になって再び考えを改めた。

思考までが忙しいオンナである。

9月某日(金)
練習、ミーティング、会場での通しのリハーサル、最後にレッスンと、やけくそのようなスケジュール。最後のレッスン後は、そのまま生徒のお宅で夕食をご馳走になった。ランチを摂る時間もなく、非常に疲れていたので、心のこもった料理の数々が、沁みるように美味しくありがたい。

おいとまして、帰宅後は明日のパフォーマンスの準備。明日も、長い1日になりそうだ。

9月某日(土)
スーパーグラマラスなイベント、「Hotel Extravaganza」当日。

午前中はタイムテーブルとプログラムの確認。お昼からは、オーガナイザーがヘアドレッサーに予約を入れておいてくれたので、ヘアサロンへ向かう。

コテで前髪に綺麗なウェーブが形作られてゆき、後ろは複雑なアップヘアー。カールをつける時間も含めて、ゆうに2時間もヘアサロンの椅子に座っていたことになる。

今夜のショーは1919年がテーマで、私の髪型もその頃のものをイメージしてデザインされているのだが、その頃の女性は一体毎朝どれだけの時間を化粧室で過ごしたのだろう。

孔雀の羽根がいっぱい刺さった髪のまま、バスで一旦帰宅する。
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途中で、ベルリン時代の友人から、無事空港に着いたと連絡が入った。そう、この友人は私のショーを見るために、わざわざベルリンからここコペンハーゲンまでやって来てくれたのだ。まずはホテルにチェックインするとのこと。

会場に着くと、Vegaの前ではすでに着飾った男女が、そこここに輪を作って華やかに談笑している。

今夜の出番は2回。スポンサーや協賛者のためのレセプションが1回。そして、Burlesque Hypnotique主催のショーが2回目。

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(1回目の本番直前)


1回目のコンサートを弾き終わると、急いでエントランスへ出てベルリンからの友人を探す。

いた!

しかし、なんということ。本人は至って普通の清潔な青年といった風である。周りは完全にオーバーデコラティヴな1919年の装いの人の波。

私は会った早々彼を叱りつけ(ごめんね)、蝶ネクタイを着けさせる。矯めつ眇めつして満足すると、ようやく思いっきりハグを交わす。ようこそ、来てくれてありがとう!!

次の出番の23時半まで、時間はたっぷりある。私たちは大ホールで踊り、ゲスト達のコスチュームを見て笑い声を上げ、何人かの友人と合流し、ビールを飲み・・・と子供のように暴れまわった。


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(或るゲストのの装い)

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(グラマラス)

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(友人と)

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(友人と)

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(2回目のショー)

2回目のショーもつつがなく終わり、仲間達と祝杯をあげた。
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(豪勢にシャンパンの差し入れが)

9月某日(日)
大きなリサイタルやショーの後は必ず、「ソレ」はヒタヒタと足を伝って這い上がってくる。「ソレ」は数日、胸の中に留まり動かない。私はジッと耐え、「ソレ」が諦めてすごすごと引き去っていくのを待つ。苦行中の苦行。多くの音楽家が体験しているであろう、虚無の侵入。
しかし、今日はそんなことはない。ベルリンの愛する友人と1日ゆっくりルイジアナミュージアムで過ごすことになっているからだ。

昨日の疲れから、お互いむくんだヒドイ顔をしているが(シツレイッ)、学生時代に戻ったようにはしゃいでしまう。偉大なる芸術の数々を尻目に、私たちは不真面目の限りを尽くす。芸術への冒涜から、きっといつかしっぺ返しが来るだろう・・・。

それにしても、ルイジアナの素晴らしさといったら。ランドスケープ・アーキテクチャーの妙。対岸のスウェーデンを望めるカフェに、ぼおっと座り込む。

デンマークで最も芸術的な場所で、私は惚(ほう)け果てた。友人が、今私は完全に死んでいるよと言う。時々、喋っている最中にも私は死んでいることがあると言う。

私には彼が言っている意味がよく分かる。私は日々、小さな生死を繰り返しながら、小さく流転し小さく転生し、またあるべき場所へと戻ってくる。

美しい以外、言葉の見つからない休日だった。

9月某日(月)
ベルリンの親友(♂)にコペンハーゲンの親友(♀)が加わり、♂♀♀の3人で、それはそれは楽しい半日を過ごした。

ベルリン(♂)が、世界三大ガッカリの一つ、「人魚姫」を見てガッカリしたいと言い張るので、コペンハーゲン組(♀♀)はブーブー文句を言いながらも、連れて行くことになった。

途中でタパスやバゲット、フレンチチーズやイチジクのコンフィを買い込み、ベンチで即席ピクニックとなる。

ところで、話は変わるようだが、私という人間は過去の出来事をアッサリ忘れてしまう。まるで中国史の王朝交代劇のように、一つの時代がハッキリと幕を閉じると、今度は全く異なる次の時代が始まり、過去の記憶は綺麗さっぱり忘却の彼方である。

(ちなみに)

日本史: 前政権の参謀がチャッカリと新政権の閣僚に収まっていることが多々あり。新時代以降も、前時代の血脈が「なんとなく」溶け込んで生き残ってゆく。

中国史: ある帝国が完膚なきまでに焼き滅ぼされ、完全な新帝国が建国される。

私の記憶の歴史は、間違いなく中国史型である。

…と思っていたのだが、昔話をしているうちに、思い出すわ思い出すわ、山のようなエピソード。気恥ずかしくなるほど、10年前も今も変わらぬ私の姿が暴露されてゆく。

スカンジナビアの抜けるような秋の青空の下に晒される私の失態の数々。横で大笑いする2人を見て、幸せだとつくづく思う。

この後街に出て、バッタリ出くわした友人を拉致してパティスリーへ行ったり、入ったカフェにカバンをそっくり置いてきて青くなったり、感動的なディナーを摂ったり、夜中に音楽仲間の家でワインとメロンをご馳走になったりと、本当にいろんなことをした。
…そして、こんなにいろんなことをしたのに、一番肝心なことが出来ないまま一日が終わってしまった。明日日本へ飛ぶというのに、全くパッキングが出来ていない…。
9月某日(月)
小さなアクシデントは無数にあったが、とにかく無事、mission accomplished! あゝ、パスポートもお財布も盗まれておらず、ちゃんとバッグの中に収まっている。

今回最後の胸弾むようなミーティングを終え、空港に向かう前に頼まれていたお土産を買おうとしたその時。

クレジットカードが不正使用されていることが発覚・・・。
その後のいきさつは、一日一エリコに詳しい。→ココ

無事にコトが終わるなど、あり得ないのだ。いつになったら学ぶのか。

9月某日(木)
東京に1泊して、昨夜ようやく神戸に到着。3週間ぶりの安眠を貪り、12時間後覚醒。私は再び蘇(よみがえ)った。

日本でもこれから1ヶ月ちょっと、ノンストップの日々が待っている。

続く・・・。(多分)

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