Program Note for Duo Recital “Opera et Ballet” on 29.03.2014
☆ダンツィ: 「『お手をどうぞ』の主題による変奏曲」(モーツァルト:オペラ「ドン・ジョバンニ」より)
ドン・ジョヴァンニは、絶望的に楽観主義な稀代の女たらしである。(ちなみにプレイボーイの代名詞「ドンファン」は「ドン・ジョヴァンニ」のスペイン語読み)。
イタリアでは640人、ドイツでは231人、フランスで100人、トルコで91人、スペインでは1003人の女性たちと甘美な夢を共にした。彼にとって女は、身分、髪色、肌色、体型問わずにみな愛の対象となった。かなりの年増女にも、「寝た女性カタログ」を長くするために手を出した。つまりはスカートさえ履いていればよかった。
2065人もの女性を愛するには、1日1人でも5年半以上、1日2人を相手しても約3年かかる。ドン・ジョヴァンニとは真に大した男である。 最終的には、今までの悪業が祟ってドン・ジョヴァンニは地獄へ引きずり落とされた。これを知った世の女性たちが快哉を上げる一方で、男性たちは一斉にため息をつくのが聞こえてくるようである。
【”La ci darem la mano(お手をどうぞ)”:http://www.youtube.com/watch?v=SJRZxSclj70】
☆パガニーニ: 「『汝の星をちりばめた王座に』による序奏、主題と変奏曲」(ロッシーニ:オペラ「エジプトのモーゼ」より)
この曲は、チェロのA線1弦のみを使って演奏される。残りの3弦はこの際全くのお飾りである。4本あるもののうち、1本しか使わない・・・。パガニーニ流デカダンスは自信と傲慢に満ちている。 チェリストの左手は、最初から最後までまるでプリマドンナ・バレリーナのようにA線上のみを大胆かつ繊細に踊り回る。視覚的にもお楽しみ頂きたい。
【”Dal tuo stellato soglio(汝の星をちりばめた王座に)”: http://www.youtube.com/watch?v=eFUK4koh0qk】
☆サン・サーンス: 「あなたの声で心は開く」 (サン・サーンス:オペラ「サムソンとデリラ」より)
デリラは妖婦と言ってもよい。妖婦とは、愛よりも大事なもののために、あたかも愛しているかのように見せかけて男を惑わす、艶めかしく美しい女のことである。
妖婦と関わった男は必ず破滅の道を歩むようだ。サムソンも例外ではない。デリラの流す真珠色の涙に負けた結果、サムソンはあっけなく罠に落ち、両目を抉られ、牢に繋がれる。
【歌詞】
あなたの声に心は開く 夜明けの口づけに花が開くように
あぁ、私のいとしい人 私の涙が乾くように
もっと、あなたの声を聞かせて
ねぇ、私に言って
「デリラ ずっとそばにいておくれ」と
あぁ、私の優しい想いに応えて 私を酔わせて
私を誘って 陶酔の世界へと
サムソン サムソン 愛しているわ
・・・女はみな、妖婦なのだと思う。
【”Mon coeur s’ouvre a ta voix (あなたの声で心は開く): http://www.youtube.com/watch?feature=player_embedded&v=9piRiiZ0C4Q】
(Fernando Botero “Adam and Eve”)
☆プロコフィエフ:「騎士の踊り」(プロコフィエフ:バレエ「ロミオとジュリエット」より)
「ああ、ロミオ、ロミオ。あなたはどうしてロミオなの?」
ロミオもジュリエットも最も平凡な類の男女の典型である。
だからシェイクスピアは、両家を対立させて困難な状況をお膳立てして、彼らを非凡に仕立てあげようとした。せめて悲劇の体裁を整えたのである。
(Quote by William Shakespeare)
☆ビゼー/ホロヴィッツ: 「カルメンの主題による変奏曲」(ビゼー:オペラ「カルメン」より)
本能のまま生きてゐたらあつという間に殺されてしまつた。悔しい。
☆マスネ: 「タイスの瞑想曲」(マスネ:オペラ「タイス」より)
アレクサンドリアに住む古代エジプトの有名な遊女タイス。遊女でありながら、享楽的な人生に空しさを感じる、清濁両方持ち合わせたオペラの主人公にはうってつけな女性と言えるだろう。
この瞑想曲は、彼女が修道士アナタエルによって改悛するシーンで奏でられる。オペラの中の女は、懺悔し改悛したのち罪を許され天に召される。一方で、現実に生きる女は罪を悔いたふりをして、陰でぺろりと舌を出す。
(very innocent courtesans)
☆デ・ファリャ:「スペイン舞曲」&「火祭りの踊り」(デ・ファリャ:オペラ「はかなき人生」&バレエ「恋は魔術師」より」)
1939年、アルハンブラ宮殿近くに住まうファリャは、震える手で最後の音符を五線紙に書き入れた。ペンが床に落ち、インク壺のふたが乱暴に閉じられる。
半分ほど空いた赤ワインのボトルをインクに汚れた手で引っ掴み、一気に残りの液体を瓶から喉に直接流し込んだ。手の震えはまだ止まない。 机に転がった幾つかの乾涸(ひから)びたイチジクを口に運びながら、耐え難いほどの虚無感がひたひたと彼の足を這い登ってくるのを感じる。作品を仕上げた後はいつもこうだ。
親友の詩人、フェデリコ・ガルシア・ロルカがファシスト、フランコ率いるファランヘ党によって銃殺に処せられたのは、もう3年も前になるのか・・・。あの男の燦然と輝く才能。あの強烈な個性と至高の芸術性・・・。
“La vida breve.” 独りごちてみる。はかなき人生。若き日に書いたオペラの題名だ。当時まだ軽薄な青二才だったとはいえ、なんという名のオペラを書いてしまったのだろう。
18年もの長きに渡り、自分はグラナダで隠遁生活を続けた。去勢されたふりをしながら細々と生きながらえてしまった。 ロルカのように、華々しく芸術家として銃弾に倒れることもなく、何が「はかなき人生」だ。忌々しさから、床に痰を吐いた。
ちょび髭の独裁者が牛耳るスペインを捨てて、アルゼンチンへ亡命しよう・・・。決意を固めるとがたんと音を立てて椅子から立ち上がった。外套を羽織って帽子を被り、外へ出る。
今夜は理性が吹き飛ぶまで酒を飲まずにはおられない。
(de Falla’s bedroom)
☆ストラヴィンスキー: 「イタリア組曲」(ストラヴィンスキー:バレエ「プルチネッラ」より)
昨夜、ナポリのバルで安物のウィスキーを浴びるように飲み、安宿に帰る途中でのこと。
前を歩く女の脚線美を視界の端が捕らえた瞬間、ただでさえ酒毒に冒された理性は脆くもあっけなく瓦解した。
部屋に女を連れ込んで、ハイヒールを乱暴に脱がせ、ギシギシ嫌な音をたてる蚕(かいこ)棚のような寝台に押し倒す。
しかし、いくら酔っていたとはいえ、女の下着をはぎ取るまで、女が実は男であることに気づかなかったのは全くの迂闊であった。
しらじらと酔いが醒め、素裸のまま窓枠に腰掛けて月を見ながら煙草を吸っていると、件(くだん)の(女だと思っていた)男が寝台から起き上がる気配がした。
立ち上がって暫くじっとしているようだったが、やがて彼は静かに踊り始めた。青ざめた月光が照らす中、踊り続けるその姿には倒錯的な美しさがあり、思わず息を呑む。
まだこめかみの辺りにいじましく酔いが張りついているのかも知れぬ。
・・・映画『気狂(きぐる)いピエロ』の主人公の名前がどうしても思い出せない。
【”Pulcinella”: http://www.youtube.com/watch?v=nFNl6D75Jxo】
(プルチネッラ初演の様子。衣装。舞台ともパブロ・ピカソ担当)