November, 2014 Vol.3 2014年11月の記其の3
11月某日(日)
この1週間、1日とて晴れ日はなかった。今日も、雨風吹き荒ぶ憂鬱の日曜日。
そんな1日の始まりは、ベビ付きのミーティングから。ただいま9ヶ月のベビボーイが愛らしすぎて、なかなか仕事に集中出来ない私だが、ベビの母親とのミーティングの間は父親がベビをあやしている。ここのカップルは特別うまくいっているケースだが、男性の育児へのコミットメントについては、北欧を語る上での重要要素であると思う。
ミーティングが終わると、次の約束場所まで車で送ってあげようと言う。ベビが眠そうだし、外は大荒れなので、いいよいいよと遠慮するが、大丈夫の一点ばり。あっという間に家族全員モコモコのコートを着ると、外に出てエンジンを吹かし始めた。
母親が運転席に座る。ベビと2人でのドライブはまだ心配で出来ないし、家族3人の時は必ずダンナが運転する。今日はErikoが居てくれるから、私はスキル向上のために運転できるし、ダンナは助手席で運転指南してくれる、ベビはErikoに任せてといいこと尽くし!と、どこまでも明るい。
母親になっても、仕事の質・量ともに、以前と変わらずこなしている彼女に讃嘆を送ると、返ってきた金言。
Work less, be smarter.
賢い・・・。
午後からは、お花のお稽古。恥ずかしながら1年2ヶ月ぶり。しかしながら、先生もお稽古仲間も温かく迎えてくださり、楽しくはしゃいだひと時に身をおいた。
夜は、友人宅で手料理をご馳走になる。誘ってもらった時からずっと楽しみにしていた、今宵のお食事と友人との会話。私は彼女の作る料理が大好きで、その心尽くしを賞味させてもらいながら、料理はその人の優しさや滋味が沁み出したもの、と改めてしみじみしながら旨みそのもののお出汁を頂く。
ひどい嵐の中、満ちた心地で家路につく。
11月某日(月)
昨日のお花が1年2ヶ月ぶりなら、今日これから会う友人とは2年ぶりの再会となる。
彼女とはちょうど2年前の私のリサイタルで初めて会った。私の友人の友人ということで、彼女は演奏後の私の手を強く握り、花開くような笑顔を見せてくれた。
二言三言話しただけだが、握ってくれた手の温かさとアイスブルーの瞳の上にはね上がるような強い眉が印象に残り、その後もメッセージなどでやり取りが続いていた。
しかしながら、なかなか会う機会には恵まれず、今日の再会まで2年の月日を要した。
現在制作中である映画の音楽・サウンドを担当しているという彼女。先週まではボーンホルム島、来週からはマヨルカ島へクルーとして同行と、かなり多忙らしい。
2年前のErikoのリサイタルでもらったプログラム、まだ取っておいてあるのよ。すごく素敵なプログラムだった。
こういう言葉ほど嬉しいものはない。自主企画のショーは、とんでもない労力と時間をかけてゼロから練り上げてゆくもの。華やかな舞台の陰には、数カ月に及ぶ不眠と、肉体労働と、サポートメンバーたちとの膨大な数のメール・電話・ミーティングがあり、自分でも一体なぜこんなに苦しい思いを自ら課しているのか、もはや分からなくなってくる次第。
ミーティング後は、レッスン。
いつの間にこんなに成長したのだろう・・・と驚きを禁じ得ない中学生の生徒。歴史、芸術、文化、国際問題、そしてついにはメタフィジカルな話題にも容赦なく(?)足を踏み入れる私だが、的確な返答があるので理解しているらしい。それどころか、私の方がハッとさせられるようなアングルからの切り返しがあるので、レッスンが楽しくて仕方がない。
お夕食まで頂いて、本当に感謝。
11月某日(火)
去年の秋、お友達の義両親が彼らの地元でのコンサート開催に協力して下さり、泊りがけの旅では本当にお世話になった。今日、1年ぶりにお目にかかる機会を得て、一緒にお茶を頂いた。お話しているうちにコンサート当日のエピソードを思い出して、大笑いとなった。
ほとんど病的なほど頻繁にコトを起こす私は、それゆえ実はかなり用心深い。特にコンサート前は、念入りに持ち物チェックをするし、ドレスはもしもの時に備えて2着持っていくことが多い。
そのコンサートの時も、何が起こってもよいように、ドレス2着、靴も2ペア、ストッキングやその他小物もおさおさ怠りなくパッキングした。
コンサート開演30分前、私はお気に入りのエレガントなロングブラックドレスに着替えた。
・・・とその時、「ポフッ」という威勢のよい音とともに、背中のジッパーが勢い良くとんだ。こちらのジッパーは日本が誇るYKKを知る身としては、まるでオモチャのようなクオリティー。しょっちゅう壊れるのにはもう慣れ切っている。
私は気を取り直して、2着目をスーツケースから取り出した。自分の用意の良さを世界に誇りたい気分である。
・・・とその時、再び「ポフッ」の音が控え室に響いた。まさか。エリコは「まさか」の状況が大嫌いである。それを知らない神でもあるまいに・・・。
2着目のジッパーも、華麗にとんだ。
私はさすがに青くなり、客席に座っていた友達とそのお義母さまを呼んだ。どうしよう、着るものがなくなってしまったわ。
お義母さまは2枚のドレスを代わる代わる見て、これは今すぐ直すのは無理だとおっしゃる。開演5分前。
スーツケースの中をグチャグチャに掻き回し、私は自分のパジャマを見つけて引っ張り出した。黒のスリップ型で、長く着ているせいでどう見ても舞台で着られるシロモノではない。
ああ。
開演時間になり、私は臍を固めた。友人が纏(まと)っていたスカーフをお借りし、もう1枚自分のスカーフも組み合わせ、安全ピンでパジャマに止め付けた。盆暮れ正月を一緒に祝ったような国籍不明の装いと気分で、私は5分押しの舞台へと向かった。生まれて初めて、パジャマで舞台に立ったのだった。
・・・私がここから学んだことは、「次回は3着のドレスを準備しよう」では決してない。パジャマだろうがハダシだろうがスッポンポンだろうが、柔軟に状況に対処してゆく姿勢である。
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午後は、心にかかっていた用事が友人の助けにより落着。何度もこの場で呟いているが、この友人たち無くしては成り立たない私の毎日。
11月某日(水)
2015年9月にスウェーデンのマルメで1ヶ月に渡って開催される「Sisters Academy」のワークショップがいよいよキックオフ。
8月一杯を準備に充て、9月1ヶ月間全寮制の学校(ボーディングスクール)を開く。我々パフォーマー20名は、授業、個人レッスン、パフォーマンス(私ならリサイタル)を毎日行い、寝泊まりの全てを参加者たちに24時間「見られる」生活をすることになる。
その昔フランスルイ王朝時代、王たちの暮らしは完全にシースルーだった。王宮への出入りを許された貴族たちは、王様が洗顔するところや、女王の髪結いなど、見学して歩いたという。
歴代ルイ王と比べるのもおこがましいが、21世紀型のプライベート重視型生活にひどく満足している私は、すでに今からゲンナリしている。小さい頃からキャンプやお泊まり会、学校での泊まりがけ行事に慣れ、ヒッピー型の放浪の旅も多く経験しているヨーロッパ人の同僚たちでさえ、「無理・・・」と絶句している。
それで、なぜこんなにゲンナリしつつもオファーを受け入れたかというと、
・アーティストの同僚たちが素晴らしい
・パフォーマンスアートという分野の勉強を実地で体験できる。もちろんアーティスト費は支給される
・グループでの仕事を経験する必要に駆られた
の3点が決め手だろうか。
今までは、自分で企画し、そこにサポートメンバーや協力者を得てショーを展開するケースが多かった。また室内楽やアンサンブルの場合でも、それぞれ同等の立場で共演となる。他人の企画に賛同し、そのフレームの中で仲間たちと共生しながら最大限の自己を発揮する、という作業をこれまでほとんど経験していない。ギリギリ若いうちにこれは是非やっておこうと思った次第である。
また、リーダーがどのような人を採用するのか、全く違ったプロフェッションを持つアーティスト同士がどのようにグループで共存していくのかにも非常に興味がある。その中で自分がどのような役割を担ってゆくのかも。
本日は5時間のワークショップ。参加者は、私を含む旧メンバー8名、新メンバー6名。(あとの6名は参加出来ず)。今日のメンバーの国籍はデンマーク人10名、スウェーデン人1名、オーストラリア人1名、ハンガリー人1名、そして日本人の私1名で、会話は英語。デンマーク人同士の私語も英語と徹底しており、外国人としての疎外感は一切感じない。これは非常に重要なことだ。言語バリアによる摩擦や孤独感の大きさは、海外に住む外国人にとっての悩みの種であるから、この点で心配する必要がないのはありがたい。
自己紹介、リーダーによるレクチャー、質疑応答の後に、新旧混ざってのメンバー同士のインターアクションと続き、15時に閉会。
気づいた点をメモ。
・パフォーマンスアートと教育を融合させた、センシュアス(感覚的)な未来型のプロジェクト → コンセプトは非常に面白いが、「教育」とは、一言で一刀両断出来るものではない。独自のメソードを生み出し、フレームワークを同僚と共同で遂行していくには、膨大な時間とリサーチが必要。また、未来を見据えた教育とは何か。課題あり。
・パフォーマーには、精神科医、フォトグラファー、音楽家、俳優、舞踊家など、それぞれの分野でのプロが多いが、私個人的には前回の「Sisters Academy」で、自分のプロフェッションが活かしきれているとは思えなかった。音楽家養成アカデミーではなく、自分の知識を最大限に使ってという仕事ではないゆえ、違ったアングルからのアプローチが必須。半年かけて、じっくり練っていこう。
・気遣いの人が多いため、場を壊さないようにするせいか、問題点をクリアに出来ないケースが多々見られる。グループ内での最も不明な2点について私がリーダーに質問したら、あとから個々のメンバーに「ありがとう。言ってもらえて、すごく助かった」と感謝される始末。喧々諤々(けんけんがくがく)のディスカッションは私も大して好むところではないが、綻びを見つけては即解決していくのが理想。それが無理なら、少なくとも「ココに綻びがあります」と明示しなければならない。また、それが容易に言える雰囲気作りも。
課題は多々あるが、面白いプロジェクトであることには変わりない。このメモを元に、今度の1時間の個人面談で話す内容をまとめていこう。
11月某日(木)
曇天雨嵐、11日目。
夕方まで黙々と仕事。夜は中華レストランにて楽しい楽しい夕食会。
11月某日(金)
朝9時より、リーダーとの二者面談。先日のワークショップで気付いた点、今後の課題を1時間にまとめて伝える。
この際、自分の会話力、プレゼン力を冷静に判断する自分がいる。相手が抽象論として話を展開したいらしいと読みながら、こちらが提示したいのは完全に現実論である場合、どのように自分の思っている方向へ会話を運んで行くか。下手なパワーゲームに発展させることなく、前進のために不可避な会話なのだと真摯に伝える術を自分は充分持っているのか。
語学力とコミュニケーション能力は違う。どれだけ難解な単語を用いていても、空虚に言葉をもてあそんでいるようにしか聞こえぬこともある。
自己評価:私にはコミュニケーション能力はほどほどにあるようだが、語学力が不足している。英語を再勉強しようと、面談後に強く決意。
Cafe Europa でホームメイドのレモネードを飲みながら、来週から始まるファンド申請のための草稿用資料をネットで集める。その間にも、先ほどの面談での会話を反芻していた。
やがて同僚の1人から、自分も面談が今終わったので一緒にランチを摂らないかと電話が入り、Nikolaj Kunsthal に付属のカフェレストランで昼食。
隣の席にわんさかと政治家が座っていた。「Venstre (左)」という政党名なのに、ポリシーは「右」よりの政治団体(「右」ではなく「リベラル」だという意見も)。
音楽家に音楽家臭がするように、政治家には政治家臭がする。先週誘われた、大手のPR会社のパーティーには100人からの広告マンが集っていたが、彼らもみな揃って同じ臭いがした。
その世界にどっぷり浸かっていると、我々はどうやら発酵し始めて、独特の臭いを発するらしい。
妙に感心しながら、次のアポイントへ向かう。ポスターとチラシ用のグラフィックを出来るだけ早く仕上げてしまわなければならない。
題字の配列を決め、文字情報を流し込んだ。一緒にに良いものを作っていこう、と妥協を許さぬ仕事をしてくれる彼女を前にして、私もまた奮い立つ思い。
(美しい人が残していった抜け殻。仕上がりまであともう一歩)
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この時点で、まだ2つミーティングが残っている。
再び街中に戻り、ワインがどうしても必要と言う同僚に従って、ワインバーで会合。真面目な仕事の打ち合わせだが、もうこれだけ疲れてくると、1杯入った方が良いアイディアも浮かぶというものだ。
彼女は私をパフォーマンスアートの世界へ引き込んでくれた人で、あまりに頭脳明晰ゆえ、学校を2年も飛び級したスーパー才女である。また凄い美女でもあるので、バーに入るとそこに座っていた男の人たちの顎が一斉に落ちたので、可笑しくなってしまった。
乾杯して近況を報告しあった後、私がどうしても腑に落ちない「ユートピア・ディストピア」について、かなりの時間を割いての論議となった。青臭いようだが、一緒に進めていくプロジェクトに関して方向性の一致を模索するにあたり、様々な点で深い相互理解が必要なのだ。
彼女と別れた後、今日5つ目にして最後のアポイントへ向かう。すでに22時。気温0度の中を、疲労と空腹でフラつきながらも足早に急ぐ。
11月某日(土)
昨夜は最後に会った友人と夜更かしして、そのまま友人宅に泊まった。
朝は思いっきり寝坊してしまった。キッチンに行くと、友人がカフェオレを淹れてくれた。
私たちは昨夜のバーについて語り合った。そのバーは最近オープンしたのだが、そこにいた女性の10人以上は間違いなくコールガールだったのだ。気の利いたバーフードも出す、内装の素敵な品のいいバーである。そこへ、だだっと入店してドリンクも頼まず、いきなり男性たちにピッタリ寄り添って踊り始める女性たち。
ちょっと観察していると、明らかに「元締め」らしいマダムの姿が浮かび上がってきた。青白い陶器のような肌の、髪を赤く染めたブラックドレスに身を包んだ女性だ。
店のスタッフたちと親しげに話しているところを見ると、どうやら店側から雇われているんじゃないか、と友人が言う。
どの国でも街でも、コールガールを見かけることは珍しくない。ドイツなどでは合法化のもと、彼女たちは自営業として税金を納めている。
しかし、こんな街のど真ん中の普通のバーで、しかも大量に、(多分)店側に雇われているところに遭遇するのは初めてかもしれない。
毎日新しい経験の連続で、その経験を消化する時間が足りない。
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午後からは、2週間前から約束していた通り、大好きなお友達のお家でゆっくりノンビリ過ごさせて頂いた。
この先何があろうとどこに住もうと、デンマークと縁が切れることはないだろうと確信しているが、その理由の1つに、このお友達がここコペンハーゲンに住んでいるから、というのがある。
ふんわりやさしい手作りの栗きんとんでお出迎えがあり、この1週間の疲れや心配がその甘さの中に溶けて消えていった。お言葉に甘えて、2つ目にも手を伸ばした。
夜は絶品のヴェトナミーズ春巻き、白アスパラガスと蟹のとろみスープ、自家製(!)納豆にふっくらご飯をご馳走になった。デザートはこれまたお手製の、シロップ漬けジンジャーをトッピングしたアイスクリームと柿。
そして、「Erikoちゃんにピッタリのラベルだと思って」と、この夜のために用意して下さったワインを見て、私は顎が外れるかと思った。ワインのラベルには、アールヌーボー調の蠱惑的な孔雀が、金色で描かれていたのだ。
ご存知の方もいらっしゃるかもしれないが、私は今年よりコンサートパフォーマンスシリーズ「七つの大罪」にかかっており、現在Vo.4「プライド編」の草稿作りに唸っているところである。そしてこの「プライド」を象徴する生き物というのが孔雀であり、インスピレーションを受けるため、私は孔雀のグッズを集めているところなのだ。
最近は孔雀の指輪を買ったところで、その指輪とワインのラベルのそれとの類似性にほとんど驚愕してしまう。
少し前、私がその指輪を大切にしているのを見て、また私がそれをなぜ買ったのかという理由を聞いたアーティストの友人が、何かを考えるかのように暫し沈黙した。そして、やにわにバッグの中より美しい房の付いたベルベットの布を取り出して言った。
「Eriko、このスカーフをあなたにあげるわ。一目惚れして買ってから、いつか身に纏おうと思いつつ、何故か一度も使うことがなく2年が経ってしまった。Erikoの話を聞いて、あなたこそがこのスカーフの持ち主に相応しいと思う」
広げてみると、そこには見事な孔雀のの刺繍が施されていた・・・。
孔雀がまわりに集まり始めている。愛する人々の優しい思いのおかげで。
今日の素晴らしい午後からの時間によって、私はまた少し強くなれたようである。
帰途、孔雀について調べていたら、孔雀の鳴き声というのが
「イヤーン♥︎ イヤーン♥︎」
というらしいと知り、電車の中で思いっきり吹き出してしまった。明日にでも、孔雀ワインのお友達にこのことを伝えなくては。
11月の記其の4へ続く・・・。