Program Note for Duo Recital in Osaka on 15.11.2013

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・ルートヴィッヒ・ファン・ベートーヴェン 魔笛の主題による12の変奏曲 Op.66
「魔笛」とは、言わずと知れたモーツァルトの人気オペラのことである。
オペラの第2幕中、鳥刺のパパゲーノは「恋人か女房が1人 このパパゲーノにいれば さぞ幸せだろう」という罪のない楽天的なアリアを歌うのだが、このベートーヴェンの変奏曲はこのアリアをテーマにしており、非常にチャーミングな作品に仕上がっている。

当時ウィーンで名声を欲しいままにしていたモーツァルトをベートーヴェンが訪ねたのは彼が16歳の時だと言われている。邂逅はいかがなものであったのだろう。

2人の芸術家が出会って数年後の1771年、モーツァルトはたった35歳の若さで亡くなった。亡骸は共同墓地に乱暴に埋められ、彼の骨の在りかは今日まで分かっていない。他方、音楽家として聴覚を失うなど苦悩に満ちた人生を送ったベートーヴェンは、葬儀の日には2万人もの参列者が彼の死を悼み、遺体は生涯の大半を過ごしたウィーンに丁重に葬られた。

・武満徹   オリオン
星にも寿命がある という。ある日真空の闇の宇宙で突然誕生したかと思えば、天寿を全うした暁には星は死ぬ。しかし、遥か彼方の星が発する光が地球に達するまで何万光年もかかるため、星が死んでそれ自身輝きを失っても、地球に住む私たちにはその星はいまだキラキラ輝いてみえる。

オリオン座は、ギリシャ神話に登場する巨人オリオンがさそりに刺されて殺され、その後天空に上がった話を起源としている。最も美しい冬の星座であるオリオン座は誇らかに冬空にさんざめいているが、季節が巡り夏になって、東の空からそろそろとさそり座が現れ始めると、恐れ慄いてその姿を西の方角に隠すという。

オリオン座を形成する星々も、やがて寿命尽きる時が来る。しかし、これから数千年の後も、我々人類は冬の夜空を眺めてはオリオンの美しさを愛でるだろう。
星々の死に気付かないまま。

・フレデリック・ショパン   序奏と華麗なるポロネーズ Op.3
作品番号3のこの曲は、1829年から30年にかけて作曲された。その時、ショパン弱冠19歳。冒頭2小節のピアノのパッセージを聴いて、これを書いたのはショパンであると言い当てられない人はまず居ない。20歳になるやならずの青年ショパンは、既に完成された色鮮やかな独自性を確立しており、華麗、憂鬱、メランコリー、儚さなど名付けられた音の絵の具を無尽蔵に所有していた。あとは気ままに、しかし細心の注意を払いながら、パレットの上でその絵の具をブレンドしていきさえすればよかった。

彼の作風におけるキーワードの1つである”メランコリー”は、本作中にはまだそれほど反映されていない。それは彼がまだ激しい恋を経験していなかったせいかもしれない。ショパンの白蠟(はくろう)で作られたような蒼白の額を何度もその豊かな胸に掻き抱き、彼の人生のパレットに極彩色の絵の具を散々撒き散らして去って行った恋人、ジョルジュ・サンドにパリで出会うにはそれからまだ数年の月日を要することとなる。

休憩

・ナディア・ブーランジェ チェロとピアノのための3つの小品
G.マーラーは21歳の婚約者、アルマの鞠(まり)のようにまろやかな手を握りながら言った (実のところ、その手はすでに何人もの男たちによって情熱的に握られた経験があった。クリムトやツェムリンスキーといった芸術家によってである)。

結婚したら僕は君に絶対的な服従を求める。だから作曲することはもうやめて欲しい。

一方で、R.シューマンの妻クララはリストにその才能を絶賛されていたにも拘らず、30代半ばにして作曲の筆を折った。F.メンデルスゾーンの姉ファニーもまた然りで、父親や弟フェリックスは彼女が作曲することを喜ばなかった。

上に挙げた女性3人は若い頃からその作曲の才能を周囲から称賛されてきた芸術家だが、19世紀という時代が女性作曲家の職業的成功を厳しく拒んだ。
アルマ・マーラーとほぼ同時代に生きたナディア・ブーランジェは前世紀における最も重要な音楽教育家と言って過言ではない。女性の社会進出に貢献したパイオニアでもある。作曲家としても若い頃から頭角を現していたが、6歳下の妹リリの尋常ならざる才能には到底敵わないと早くから気付いていた。当時、芸術界で最も権威があるとされたローマ大賞を20歳で獲得したリリ。彼女を愛して止まないナディアだったが、同じ賞に4度挑戦してやっと準大賞止まりだった彼女の心の闇を知る術はない。将来を渇望されていたリリは24歳で急逝した。

ナディアの残した言葉に次のようなものがある。
「一つ言えることは、私の音楽は全く無用だということです」
これほど静かで絶望に満ちた諦念を私は他に知らない。

セザール・フランク  チェロとピアノのためのソナタ
フランクは青年期に達するまで父親の絶対的な支配下にあった。精神分析医のフロイトが、フランクのような生い立ちを持つ患者に対してどういう判断を下すのかは知らないが、君主のように君臨する父親の存在が、彼の人生に長く不気味な影を落としたであろうことは想像に難くない。そして彼の作風にも。

大抵の青年がそうであるように、フランクも美しい女性に恋に落ちた。ウジェニーは彼のピアノの弟子の1人で、彼女の両親はコメディ・フランセーズ劇団の団員だった。前出のような劇団を堕落の象徴と見たフランクの父は2人の関係を知って激怒。婚約も結婚も断固として許さぬと息子に言い放った。当時、25歳以下の結婚には、法律上父親の許可が必要だった。

或る日両親の家で、フランクは身の回りの品をスーツケースに詰めた。そして帽子を被り、鏡の前でちょっと角度を直すと、玄関の扉を後ろ手で閉めた。その扉が彼によって再び開けられることはなかった。

死の4年前に書かれたこのソナタは、元はヴァイオリンとピアノのために作曲され、4楽章構成となっている。父親に対する複雑な想いは、このあまりに美しく、また一方で哀しみや諦観に満ちた音楽の中で完全に昇華し得たのであろうか。

牧村英里子

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